小説を書く事

小説が書けなくなった、かもしれない。
今までも「良いものが書けない」「筆の進みが遅い」ということはあったが、私は今初めて「小説を書くことが怖い」という感情に直面している。
それは、「良いものが書けなかったらどうしよう」「人から評価されなかったらどうしよう」という怖さではない。”言葉を紡ぐこと”、”言葉を扱うこと”、”言葉を使って作品を作り上げること”、”言葉を使って自分を表現すること”への怖さだ。全く、初めてのことだ。
今までの私は一体どうやって、あんなに無邪気に文芸に触れていたのだろう。

今、私は「どんな形でもこの文章を書き上げる」ことを自分に課している。
右上にある「下書き保存」のボタンを押さないこと。
左上にあるタブを閉じる×印を押さないこと。
同時刻、サークルの感想会が開かれているはずだが、私はそれに背を向け、バッハの無伴奏チェロ組曲を安定剤として、これを書く。

小説をどう書けば良いのかわからなくなり始めたのは、今年の5、6月ごろからではないかと思う。
どう書けば良いか、というより、文芸にどう向き合えばいいか、といった方が正確かもしれない。
その頃はまだ、ほんの少しのモヤモヤで済んでいたのだが。

小説は何のために書くべきなのだろうか。小説は何かのために書かれるべきなのだろうか。小説には何かの思想を載せるべきなのだろうか。小説には何か面白い物語が描かれていなければいけないのだろうか。小説は"現実"に何らかの形で向き合うために書かれなければならないのだろうか。あるいは、"言葉"と何らかの形で向き合うために書かれなければならないのだろうか。読者に真摯であるとはどういうことなのだろうか。読者がいるということを意識するとはどういうことなのだろうか。言葉に真摯であるとはどういうことなのだろうか。

小説は、必ずしも何か主義思想ないし現実問題を反映していなくても良いものだろう、とは思う。
もちろん反映していてもいい。例えば男女性について。マイノリティについて。格差について。社会制度について。世の中の捉え方について。それを小説という形で表すのは昔からあることだし、何の異を唱えるつもりもない。
だが、私はそれが(そのような小説を書くのが)滅法苦手だ。
元々、私は小説を現実から乖離するために書いていた。
だから私の今までの小説には女性主人公が登場しないし、完全な現実の物語よりかはファンタジーの方が多い。情景描写に大げさなまでにこだわるのも、現実の会話ではあまり使わないような言い回しや語彙を使うのも、現実味を薄れさせるためである。
そんな小説を書くような人間だ。小説の中に自分の思いや社会のこと、何らかの「現実」を取り込むことなど、苦手に決まっている。だからただ美しい世界を、美しい文章を書くことだけに心を注いでいた。それが楽しいと思えていた。

だが先日、ふと思ってしまったのだ。私の書きたいと思っている小説は、空っぽなものなのではないかと。
ストーリーに託して伝えたいことがあるわけでもなければ、面白いストーリーを書きたいわけでもない。ただ、綺麗な世界を綺麗な言葉を紡ぎたいだけだ。
ただ言葉に向き合いたいのだ。

であれば、詩を書いたり、エッセイを書いたりすれば良い。小説である必要はない。気がする。

私が、小説という形を選択しているのはなぜなのだろうか。
私は、何のために小説を書くのだろうか。

「綺麗な世界を綺麗な言葉を紡ぐ」ために「小説」を書くのなら、それはもう限りなく、磨いて、磨いて、向き合って、細部の一つ一つにまでこだわって、思想や面白い筋がなくても確かな重さと力を持って存在していられる作品に作り上げなければならないように思う。それには、かなりの時間と、気力と、覚悟がいる。
そしてそれに加え、「詩」にならないように気をつけないといけない。
だか困ったことに、散文詩と小説の違いを私ははっきりと分かっていない。
何となく、”起承転結”があれば小説なのだとは思う。
だから私がやるべきは、自分の紡いだ言葉に時間をかけて向き合い、磨き上げながら、何らかの起承転結を作り上げることなのだと思う。

が、それが出来る気がしない。
無理やりストーリーを作り上げてオチをつければ小説の形は取れる。しかしそれでは自分は納得しない。
自分の納得しないものを書いて文章だけを小綺麗にして誤魔化して出し続けるのは、文芸を学習の専門にしながら、十年近くも小説を書いてきながら、ずっと「小説が好きだ」と声高にいっておきながら、文芸にきちんと向き合っていない気がする。
そうなるのが、怖い。
文学部生として、文芸サークルの一員として、もっと文芸というものに、文芸というものの持つ意味に、我々が文芸をやることの理由に、向き合わなければならない気がする。

文芸の敷居を下げることを目標にしているサークルの副幹事長が自分に対して文芸の敷居をこれでもかと引き上げているのだから、何ともどうしようもないことだ。
だが私は、前のように空っぽのまま無邪気に言葉を紡ぐのが怖くなってしまった。


何ともまとまらない文章になったし、抱えている感情を正確に記述できたかと言われればそうでもない。
が、少し吐き出せた気がするので、ひとまずここで筆をおく。

ちなみに、バッハのチェロ無伴奏は第4番の1曲目まで進んだ。

また、小説を書きたいと思えるようになりたい。


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