2024/7/13

生きることは絶対的に正しく、善である、という仮定を前提に呼吸をしている。生きたい、死にたい、という個人の欲望より深い自分の真髄にこの仮定を置いている。だから自分は大丈夫だ、結局何だかんだ生き続けると思っているけれど、たまに目を覚ますと今日は死んでしまいそうだと自分を信用できない日もある。朝は地獄で、明日が怖い。朝に目を覚まして今日も地獄だと思うことが慢性化されすぎてもはや地獄も死ぬということもあまりに自分に近く、いっそそれらが何も特別な大したことではないと思えてきた、かもしれない。
特に5月から1日ずつ確実につらい日を過ごしてきたので今月(7月)は流石にこのままだと前提の仮定を覆す結果に至ると思い、自分を殺すという手段を始めてみた。殺すというとあれだが変化するくらいの感じだとわかりやすいか、自分の中では殺すが最適だと思う。これが思いのほかうまく機能していると3日間思ったが4日目から機能しなくなった。それでも5日目から再度挑戦、色々あり再び落下、無理やり戻そうとする、再び機能しているかもしれない……その繰り返し。今日が7月の中旬なので、後半もこんな感じだと予測する。
同じ鬱で希死念慮を持っている人々をSNSで探す。意外にも彼らには信じるものがあり、愛するものがある。その上で救いがない。私はこの精神状態になる前、このことを何か、もうすべてをあきらめて信じることができなくなった状態だと思っていた。実際は私の場合、すべてできて、なにもできない、すべて有していて、すべて失った、状態に近い。一見矛盾しているようだが、今の私にはこれがとても腑に落ちる。二元論の両者が存在している感覚で、ここに矛盾はない。死にたくて、生きたい。
何かを手に入れることより何かを失うことを恐れる。そしてそれ以上に、有していると勘違いして失うことすらできないことを恐れている。

2024/7/15
あと16日で大学が終わる。つらい。電車の中で、教室の中で、トイレの中で、震える指を押さえて吐き気に耐えながらシャツのボタンを掛け直す。下を向きながら繰り返していた。上を見上げてみる。でも、空を見上げても地上すら見えなかった。こんな日がいつのまにか日常になり、ついにあと16日で終わるはずだ。

自分を殺すということも、つらい。

なんでこんなになっちゃったの
なんでこんなことをしなくちゃいけなかったの

地獄の先にひとり、ぽとりと堕とされた、この感覚が抜けない。つらさが慢性化しその感情に私は麻痺してしまって、もう自分のために泣けなくなった日から、死ねなかった日から、どうにかして自分を殺してでも脱出したかった。
それで、これで、このままいけば、脱出できるの?
己を殺してでも息をし続けてさえいれば、いつかは、生き返れるの?

2024/7/17
どうしようもなく死にたくなった。

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