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フランクフルト歴史散歩〜ロートシルト公園と城壁跡の緑地帯

グーテンターク!皆様こんにちは。フランクフルトのYokoです。

今日は月曜日ですがお休みをいただきました。よしお殿が所用でフランクフルトのオフィス街まで歩いていくというので運動がてらに一緒に往復8キロの散歩を楽しみました。マイン川の方向になだらかな下りです。

インネンシュタット(内の街が直訳)に向かっていざ南進。なぜ「内」なのかは後ほど。

ゲーテ大学などを通り過ぎて真っ直ぐ真っ直ぐ。微妙に色分けしてあるのは左が自転車専用レーン、右が歩道です。あまり情報を書き込まないので景観は保たれますが気をつけていないと気付かないのが難点。

日本と違い歩行者が自転車レーンに入っていたら容赦なく怒られます。ルールに従わないものに厳しい国ドイツ。自転車も容赦なくスピードを出しているのでレーンをたらたら歩いていると事故になるので自転車の人に般若の顔で怒られます。なのでドイツに来られたときは自転車専用レーンに気をつけてくださいね。😊

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ロートシルト公園にたどり着きました。オフィス街が近い(金融系多い)のでスーツピシッのおじさま率が上がります。濃紺スーツ、白シャツ、ポケットチーフ、クシをピシッと入れた髪が目印。夏はサングラスに暑いと片手にアイス、(重いカバンや荷物は持たない)が典型的な姿です。

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この公園はロートシルト家の元邸宅とお庭。アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルトが初めてユダヤ人ゲットー以外に家を構えた邸宅のお庭です。このような元銀行家の庭付き邸宅が公園になったり植物園になっています。

ちなみにロートシルトのビッグマザーのグトレはゲットー内の元の家、緑の表札の家からは出なかったとか。ロートシルト家興隆の祖である父マイアーの時代はゲットーから離れて暮らすことは許されておらず、元々苗字もHaus zum Rot(h)en Schild 赤い表札の家に住んでいたから ロートシルト名乗っていたのですが成功してゲットー内の緑の家に移ってステップアップ。さらに5人の息子たちはフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(次男ザロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(五男ジェームス)の5か所に分かれて事業を行いロートシルト家は繁栄するも、母のグトレは夫の死後も住み慣れたゲットーの緑の家を離れずに終生静かに暮らしたそうです。

それにしてもロートシルト家のヴィラのお庭広過ぎ…。邸宅もどんどん大きくなりパラスと呼ばれた時代も。フランクフルトのユダヤ人ゲットーはかなり狭いエリアなので反動でしょうか。ちなみに公園はインネンシュタットのギリギリ外側になります。

内(ウチ)との境目あたりまで下ってきました。左手に緑地で奥には旧オペラ座。

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ここは交通量が(フランクフルトにしては)多く交差点は危険エリアと認定され、ここだけド派手に自転車レーンが赤く塗られています。バンカーは近くのフラットに住み自転車で滑走タイプと、郊外の一軒家に住み高級車でオフィスに乗り付けるタイプに分かれますがここは渋滞します。

私は…マスク😷して地下鉄交通機関を利用する派なのと、自分の通勤エリアから少し離れているので新鮮な眺めです。

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所用を済ませて、旧オペラ座の正面へ。

パリのオペラ座より小ぶりですが威風堂々としていて好きな建物です。

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オペラ座隣接のレストランとカフェエリア。お昼には少し早くて準備中。赤と黒のテーブルがお洒落だなと惹かれて撮影。

元々外で陽光を浴びながら食べるスタイルが好きなドイツ人ですが、ニューノーマルでより外が好まれるようになりました。

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今どのあたりかといいますと

こちら↓の地図をご覧ください。

ウィキペディアの地図をお借りしました。

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赤く囲った部分が旧オペラ座、濃い緑が先ほど通りがかったロートシルト家のヴィラとお庭の公園です。黄緑で囲った部分が次に歩くLiesel-Christ-Anlageリーセル=クリスト=アンラーゲです。

地図を見るとフランクフルトは鋸の歯のようにカクカクした緑地に囲まれていることにお気づきでしょうか。この緑地に囲まれているのがインネンシュタット 内側の街です。フランクフルトは14世紀から現在のアルトシュタット(旧市街)から放射状に発展、その都市をバロック様式の大きな堡塁(都市防衛施設)で囲み、堀や川を利用して防衛していました。今唯一現存するエッシェンハイマー塔などの40の見張り塔があり、5つの城門(Tor) からしか出入り出来ず朝晩は扉が閉じられました。住民以外商人は大市(メッセ)のあるときにしか入れず通行料が課せられていた時代です。市内でもユダヤ人はさらに細長いゲットーがあり鍵がかけられました。差別が酷い時代です。

18世期にはこの都市防衛は無意味となり、19世紀にはこの防衛機能はなくなり、取り壊し取り壊されたのですが、城壁エリアは公園緑地帯として残したので今もこのカクカクが緑の帯になって残っています。

昔のフランクフルト。丸は現在の旧オペラ座のある場所。四角い囲みが今のリーセル=クリスト=アンラーゲです。

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リーセル=クリスト=アンラーゲの様子です。静かな都会のオアシスとなっております。

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池には色々な鳥が羽を休めていました。

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この城壁跡に沿った緑地帯や道路の形は面白くて少し調べてたところ、

緑地帯は1827年に施行されたWallservitut ヴァルセルヴィトゥートという法律で開発から保護されています。

何度か改正後に今も有効なのは1903年にプロイセン州議会で可決された「フランクフルト・アム・マインの旧城壁物件の開発と使用に関する法律」

„Das Gesetz, betreffend Bebauung und Benutzung ehemaliger Wallgrundstücke in Frankfurt am Main“

今ある緑地帯はなんとなく残ったのではなく、城壁跡の緑を植えて面影を残し、歴史を残しながら無計画な開発から緑地帯を守ってきた歴代の政治家やフランクフルト市民の意思を感じて感動しました。


それでは

最後まで読んでいただきありがとうございました!

Bis dann! Tschüss! 

ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊








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