Летят перелётные птицы
初めましての方 初めまして。
前回の記事を読んでくださった方 こんにちは。
香笛飲(かふぇいん)です。
Säkkijärvenが奪われて残ったかふぇいんが偏見で語るソ連軍歌シリーズをやっていきたいと思います。
第十三回はЛетят перелётные птицы(渡り鳥が飛ぶ)です。
本曲は1948年に詩として作成され翌年に曲として完成した。
一見、単なる愛国歌に思えるがしっかりと見るとトルコの海岸やアフリカなどの歌詞が出てくる。これらはユダヤ人が迫害され移住した地になる。
大体ですがユダヤ人の動きをこの歌に沿って紹介するとこうなる。
ユダヤ人は元来、イラク南部にいた民族がカナンの地(パレスチナら辺)に移り住んだヘブライ人が祖とされる。
紀元前17世紀頃、ヘブライ人らはギリシアの火山噴火で暮らせなくなりエジプトに集団移住する。彼らはエジプトで奴隷となってしまった。紀元前12世紀頃のエジプトは最大の栄華を誇った第19王朝の時代だった。この時、アイスランドの火山が噴火し世界的な気温低下が起こった。旧約聖書でいうところの十の災いの最後の災いにあたりの時代だろうか。
この先は出エジプト記にある通りモーセがヘブライ人を導きカナンに戻る。この時にイスラエル人と名乗り始める。彼らはカナンにイスラエル王国を建国したが北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。
この時の混乱によって一部がアフリカ大陸にも離散したといわれており本曲のアフリカはこの離散した人々のことを指していると推測できる。
北のイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、多くの人民が捕虜としてアッシリアに捕らわれた。
南のユダ王国はエジプトに敗北し、エジプトの支配下に入ったが、後にエジプトが新バビロニアに敗れた。さらにその後、新バビロニアの侵攻に会い、ユダ王国が滅亡して多くの人民が捕虜としてバビロンに捕らわれてしまった。彼らはユダ王国の遺民という意味でユダヤ人と呼ばれるようになった。これがユダヤ人と呼ばれるようになるまでである。
アケメネス朝ペルシアによって新バビロニア王国が滅亡すると、捕囚のユダヤ人はキュロス2世によって解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下ででエフド・メディナタが建国された。ユダヤ教の教義も、このころにほぼ確立された。
アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領となる。
ローマ帝国に対し反乱を起こすが、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ローマ帝国は後に分裂した。西ローマ帝国は長く持たなかったが東ローマ帝国は長く存続したが、1453年、オスマン帝国軍によって東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスが陥落した。オスマン帝国ではユダヤ難民を受け入れ、ヨーロッパ世界とは異なり、基本的には非ムスリムに対する差別を禁止する、国家による平等社会が整備された。
この難民こそが本曲のトルコの海岸のフレーズの元ネタなのである。
さてこれらの難民や離散した人々は近代に至って差別、迫害の対象になっていた。特にナチスによるホロコーストは悪名高い。これらの動きを受けてユダヤ人たちはパレスチナに帰還し故郷を復活させよとしシオニズムを提唱した。これによって1948年にイスラエル国が建国された。
このイスラエル国が本曲における暑い国にあたる。彼らはイスラエルを目指したユダヤ人たちのことを指している。
ソ連にもユダヤ人が居住しており彼らも「暑い国」を目指したのだ。
さて要点を整理するために1番の前半と4番の後半の歌詞を引用する。
永久の祖国とはソ連のことを指し「私」はソ連に留まり尽くすという愛国心を歌っている。
トルコの海岸、アフリカの中身は先ほど説明した通りでイスラエルを暗喩しているともいわれている。
本曲の曲名ともなっており繰り返し出てくる、渡り鳥はイスラエルに向かうユダヤ人を指しているのでしょう。
ユダヤ人がイスラエルを目指し行く
だが私は永久の祖国のために行かない。
端的にまとめてしまえばこういう歌になります。
この内容からして「私」もユダヤ人なのでしょう。
さてさらに見ていこう。ユダヤ人たちは所謂、コスモポリタニズム、世界市民主義という思想を持っている。この世界市民主義というのはヘレニズム哲学のストア学派で提唱されていた。ヘレニズム哲学はローマ帝国で生み出されたものであり当時ユダヤ人もローマ帝国にいた。つまりこのユダヤ人にとっての世界市民主義思想はローマ帝国時代に流入したのではないか…と考えられる。
世界革命論というものがある。これはカール・マルクスが提唱したもので全ての国で労働者階級による共産主義革命と資本主義の廃止が歴史的必然であるという考えである。ロシア革命をレーニンは世界革命の一環と呼んだ。そしてレフ・トロツキーが推し進めようとしたがスターリンの一国社会主義論と対立。対立に負け世界革命論は否定されてしまう。考え方によってはこの世界革命論も世界市民主義の考えにも値する。
本曲はスターリン政権下に作られた。ユダヤ人も世界革命論に近い思想をもつ。こうなるとこの曲が作られた理由も歌詞が少し嫌味っぽいのも納得できるのではないか…と考える。
これゆえにソ連的愛国主義に反するユダヤ人のコスモポリタニズムに対する批判はБорьба с космополитизмом(コスモポリタニズムに対する闘争)という形で現れる。これがスターリン政権下で行われユダヤ人排斥の流れを補強していくこととなった。
本曲は歌詞が遠回しになっていることからユダヤ人問題と絡められることなく現代でも愛国歌として歌われ続けている。
Youtubeでは 渡り鳥が飛ぶ などの邦題であがっている。ぜひ聴いてみてはいかがだろうか。個人的にはЧиж & Coというウクライナのバンドのアレンジがお気に入りだ。バンドながらジャズのような洒落たアレンジだ。ぜひ聴いてみてほしい。
ps 今回の記事はとても書くのが苦労しました…いつもの倍以上かかりました…
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