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卒業(して)ました!(裏エラ)

かえしもー!
復帰早々休載野郎です。バカ!

江良、先月で学校を卒業いたしました!!

いや〜なんとかなるもんですね。紆余曲折ございましたが、無事単位を取得しアカデミー卒業を迎えられました。

卒業式当日、運悪く天気といい気温といい特別に荒れていた日だったので、案の定多いに体調を崩してしまいまして…。徹夜で絵を描いていたため体力が限界だったのもあり…とにかく眠くて寒くて…控え室でスーツのままぐっすり寝こけちゃいましたね。
帰って化粧も落とさずグロッキーになってました。
本当に情緒もへったくれもないな…

とにかく体力がない私は、電車通学するのでいっぱいいっぱいだった日々でした。もっと近場に住んでいたらよかったのかも。これから住まいを決めるときは、職場や学校など最寄りのスポットと自宅間の道のりを計算に入れるのが大事ですね。一つ教訓になりました。

あと一つ、去年でっかいトラブルがあったからな〜。多いに身を削る出来事でありましたので、公私共に支障が出て本当に苦労しました。
もう完全に心身潰れてたんですが、ここで終わってたまるかという気持ちはずっとあった。いろんなものを取りこぼしたけれど、できる限り体を動かしてできる限りの努力はしました。無理やり体を起こして泣きながら絵を描いて、何も食べず飲まず液タブにペンを叩きつけてそれでも進捗が進まない。寝ずに学校行って、進まない絵を見せては先生に呆れられ…私はあの頃執念で出来た昇華への渇望で立っていましたね。至らない自分とその腕から出力される至らない絵を直視し続けることは、深い井戸の中に頭を突っ込んで叫び続けているような。

狭い世界に閉じこもってそっから出ない、薄っぺらな日々で満足できない。そうやって生ぬるく周囲に甘えて、何も残せないまま老いていくのはごめんだ。
私はやりたいことをやって、それで結果が出せなくてもひねくれない。自分の思い通りにいかないことをすぐ周りのせいにして昇華に繋げないなんて、ダサくておもんない奴がやることだ。葛藤を糧にして創り続けた先に沢山いいことが待っている。やってよかったと思える日々が来ることを私は知っている。毎日繰り返しそう考えていた。
未来とか八百万の神様とかアーティストとか自分とか他人とか推しとか。いろんなものを信じたり信じなかったりして、この一年やっとこさやってきましたね。それはまあ、今までもこれからも同じなんだけど。

最終的にはかつて以上のものを手に入れられたと思います。その成果の最たるものが博多マルイ展の等身大パネルなのかなあ。
まさか学校側からパネル採用のお声がけをいただけるとは思わなかったんですよね。等身大パネルの絵については、よーし飾られるぞー!というモチベで描いたものではないので。むしろ淡々とレギュレーションに沿ってデザインしたものなので、拍子抜けしたというのが素直な感想です。

私が学校で学んだことってなんだろう。
そう考えてみたら、技術的なことより視野や哲学の面が大きいです。
クリエイター同士の人間関係だったり、最近のトレンドだったり。
企業に応募して100回落とされて、自分の腕に市場価値がほぼないことを知って。
怖い先生に詰め寄られて自分の無知を思い知って泣かされたり、後輩が私でさえ知らない美術の世界に目を向けて頑張っていることに劣等感と羨望を抱いたり。かと思えばこのご飯はA定食のセットなのかB定食のセットなのか、超つまんないことで怒り狂ってる人もいて。
デッサンが足りてないね笑と嘲笑混じりの添削を終えた帰り道、行きつけの八百屋のおじさんに可愛いねえ!とニッコニコでねぎと生姜とみかんときゅうりをおまけしてもらう日もあって。

人間は上や下、横、右に左に立体で分布生息しているものなんだな。と
在学中の数年間で学びました。

正直、卒業式はだるくて帰りたかったんですが…
もう明日からは登校をしなくていい。そう思うと
藍とピンクの奇妙な空の下、つまんないコンクリートの上をただ帰るためだけに駆けている時の、優しく、ぬるい焦燥。たまにお茶を啜るためにマスクを外した時の、口元にあたる中途半端な風。
そんな帰り道をゆく日々が恋しくなりました。
私の生涯の学生生活の大半は、帰り道の感傷でできているなあ…

あんまりハッピー!卒業めでた〜い!って心持ちでなくてすみません。
卒業したって私は私だし、これから時間の使い方が変わるだけ。そう思っているから、学業を納めたと言っても大して心が動いていないんでしょうね。

なので、皆さんも変わらず江良の活動を応援していただけますと幸いです。