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「ドライブ・マイ・カー」覚え書きについて

 ある作品について、長く考え続けることができるとき、その作品にはある種の居心地のよさがある。そこに描かれているのがどんなに凄惨で残酷な世界であれ、あるいは甘すぎる砂糖菓子のような世界であれ、毎日のように訪れて、目の前に圧倒的な違和を感じながら、不思議と落ち着く、安全というよりは、安全ではないことを受け入れることができる、そういう居心地が見つかる作品はけして多くない。わたしにとって濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」には、居心地のよさがある。三時間以上あるこの作品の時間に、また浸りたいと思う。この居心地が、どのような考えをもたらすのかはっきりわかっているわけではないけれど、わたしの考えはどうやらこの作品の隅に居座ることを決めたらしいので(スピッツの古い歌みたいに)、しばらくの間、思いつくことを書き留めていこうと思う。「覚え書き」というのは謙遜でも何でもなく、ワーニャ伯父さんにも想像のつかない、いい年になってきて、居座っている間にも考えたことを忘れてしまうので、出納帳をつけるように、作品から借り入れたことを書き記しておくのだ。

 文中の台詞やショットの内容、順番などは、映画館で観た記憶と暗がりの中でとったノートに基づいている(無粋と思いながら、3度目に観たときにとった)。「ワーニャ伯父さん」の台詞は主に浦雅春訳(光文社古典文庫)に基づいている(映画では多少省略や言葉遣いの違うところがあり、気づいたところは変更した)。もちろんわたしの記憶違いや思い違いの可能性がおおいにあるのだが、ご容赦いただきたい。

 なお、このマガジンに収められた記事は、いずれも映画の内容に分け入るものであり、映画を観ていない人の楽しみをスポイルする危険があることをあらかじめお断りしておく。また、映画を観ずにあらすじをつかみたいという向きには何ら役に立たない。ここまで読んでまだ映画を未見の方には、今すぐブラウザを閉じ、映画館に直行し、このすばらしい映画を同時代の人間として体験することをお薦めする。

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