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「最後のチャンスだから」恐怖症

大学生活もあと少し、ちょっと前から「これが最後のチャンスだから〜」と言って周りはみんな色々やりだした。髪を明るくしてみたり、旅行に行ったり、ゴロゴロしたり、遊びまくったり。

就職したら、ちゃんとした大人になって生きていくらしい。
暗い髪で、きちんとした服装で、髪型で、本音と建前を操り、まとまった休みなんてない、周りと合わせ、歳をとる。

ちゃんとした大人ってなんだろう。みんなのちゃんとした大人像は、とても不自由で、私はどうしても不安になる。

不自由さは幼稚園の頃から感じていた。朝起きるのが苦痛だった。それは小中高もそうだ。宿題を家で取り組める集中力が無く、毎日毎日どうして自分はできないのか悩んだ。授業と本が好きだった。私は私なりの時間の使い方で、いきたかった。好きな時に寝て、起きて、つくって、人に会って、遊んで、食べて、勉強して、働いて、そんなことにずっと憧れていた。

大学に入ってはじめてその憧れに気づいた。とりあえず全部やってみた。なんとなく、世界が少し広がった。社会に出ても、今みたいな生活を続けたいとは思わないけれど、なんだかみんなの話す社会はいきなりあらわれた牢獄のようで恐ろしい。

最後のチャンスは、ほんとに最後のチャンスなのだろうか。みんな今の一時好きなことができていれば、その思い出だけで残りの人生を生きることができるのだろうか。私は今のみんなが好きだけど、変わってしまうのか。私は私のペースで変わって生きたいけど、これは私の甘さなのか。

私は変わるのならば、希望を持ちたいのだ。将来に希望をみたい。希望さえあれば、苦しくても生きれる。
だから、「最後のチャンス」という言葉が、こわい。

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