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40代になったせいだと思ったら過労だった話

最近、村井理子さんの著書を読むのが好きだ。
村井理子さんは1970年生まれの翻訳家で、愛犬家で、琵琶湖のほとりに住んでおり、とにかくエッセイが面白く、最近あちこちの媒体で連載を持っている。ファンになったきっかけは書店で光って見えたこの本だ。

発病当時は47歳だった村井さん。ある日倒れ、「心臓弁膜症」と診断される。本書はその闘病記である。私が惹かれたのは帯に書かれたこの文章だ。

私にとって、多少の体調不良はすべて、更年期障害というひと言で片付けられるものだった。今思えば、もっともっと自分を大切にしていればよかった。何もかも更年期障害だと片付けるなんて、自分に対するとんでもないネグレクトだ。

「更年期障害だと思っていたら重病だった話」村井理子

私に似ている、と【勝手に】思った。病気の深刻さはまるで違うが、私もこの2年間、心身の不調を年のせいにしていたからだ。「子供たちに手がかからなくなって育児が楽になったはずなのに」「パートナーがリモートワークになり夕食を作るようになって、家事負担も軽くなったはずなのに」心身が重たくて仕方がないのはなぜだろう。前より原稿の進みがどんどん遅くなるのはなぜだろうと思っていたのだ。私はこう考えた。

40代にになったせいで気力が衰えてきているのではないか。

自分にプレッシャーをかけなければならないと思った。住んでいた地域の賃貸マンションが子供二人を抱えた一家には狭く、築30年以上のわりに家賃も高額だったこともあって、住宅を購入しようということになった。パートナーがリモートワークに入り、二人分の仕事場を確保する必要もあったので、駅からは遠いが、倍の床面積が確保できる分譲戸建てを購入した。マンションは高すぎて買えなかった。私にローンは組めないが、ドラマ化で得た印税を頭金に突っ込むことで、労働意欲を掻き立てようと考えたのだ。
それでも心身は重く、原稿は遅いままだった。私は考えた。

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