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40代は、私が消えていく

まだ30代前半だったころ、いろんな世代がまじった友人たちと、スーパー銭湯に行った。お湯から出てくると友人たちはご飯を食べていた。

そのテーブルに座り、会話を聞いていた私は、年齢ごとに話す内容が違うな、と感じた。20代の友人の話のほとんどは「私という人物」だった。
20代のころはそうだったな、と私は蕎麦を食べながらぼんやり思っていた。20代はとにかく評価される。就職活動で評価される。入社すれば先輩面した二、三歳年上の社員から「お前はこういうやつだ」と言われる。あらゆる世代から(迷惑なことに年の離れた上司からも)恋愛対象にもされたりされなかったりする。とにかく外野がうるさい。好むと好まざるとに関わらず、「私という人物」を説明させられる場面も多い。だから気づくと「私!」の話をしていたという記憶がある。

一方、30代はというと、自分も友人も「私の仕事」の話をしていた。人物よりも、実績を評価されるステージに移ったのだ。家庭ではこんな役割を果たしたとか、転職したとか、責任ある仕事を任されたとか、こんなイベントを開いているとか、「他の人より上手くやれちゃってますよ」「新しい時代を切り拓いちゃってますよ」と言いたくてたまらない。だってすごくがんばってるんだから。仕事の話をしているようでいて、結局は「私!」の話をしていた。

しかし隣のテーブルにいる40代の友人たちはそうではなかった。彼らは私に話しかけてきた。

「このうどん、美味しくもないけど、まずくもないね」
「別れ話をするカップルが食べるうどんの味だね」

20代と30代が「私!」と「私!」をぶつけ合う横で、彼らは「うどん」の話をしていた。
そういえば彼らは普段から自分の話をしない。こちらが話したことや、誰かが紹介した本の内容に反応して「そういえば」と最近あったことを話してくれることはあっても、それ以上語ることはしない。自己アピールというものをしないのだ。

40代になって、彼らの気持ちがわかるようになってきた。

「私!」に対する興味が急速に失われていくのだ。「何者かになりたい」という思いも、「この社会に爪痕を残したい」という思いも、最近ほんとうにどうでもよくなってきた。だからとくに話すことがない。

「TED Talks」というあらゆる分野のエキスパートたちがプレゼンテーションする番組がある。もしあの番組に出演を請われ、「私という人物」「私の仕事」「うどん」の三つからどれを選びますかと尋ねられたら、迷わず「うどん」を選ぶだろう。そのくらい私について話すことがない。

あのとき一緒にご飯を食べた40代の友人の一人は、その後、小さい書店を開き、業界のニュースになった。「書店経営を手伝ってくれ」と言われ、もう一人の40代の友人も勤め先を辞め、今は店先に立っている。
「何者かになりたい」という思いも、「この社会に爪痕を残したい」という思いも、そんなものは何もなくても、きちっと仕事をしていれば、夢を叶えられてしまう。「手伝ってくれ」と言われて「じゃあ」と腰を上げて誰かの夢に参加することもできる。むしろ私に興味が薄れたからこそ他者のためにできることもあるのかもしれない。
40代というのはそういう年代なのかもしれない。

この話にオチはない。私が私に興味がなくなってきたなあと思う。それだけである。