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怒涛のウィルス祭りのさなか 『仕事は辞めない!働く×介護 両立の教科書』を買った

再び日記です

11/27
先週の水曜から学級閉鎖だった下の子がようやく学校に行ってくれる。パートナーも出社したため、自由にできる一日。
技術書典15が昨日終了したため、オンラインで受注した(技術書典では受注生産もできるのだ)紙の本を印刷する手続きをする。技術書典が用意してくれている「後から印刷」のシステムに、新刊と既刊のデータを入稿し、220冊分の印刷費を振り込んだ。キーボード本はこれで二刷、部数は600部、実売数は400となる。残りの200冊は次のイベントで売るときがくるまでBOOTHに入庫した。紙の本が買えるのはしばらくBOOTHだけになります。

同人誌を作るのは二回目なので印刷から販売管理までの流れはかなりスムーズた。
パートナーが出社しているので私が夕飯担当。といってもカレーを作ってくれていた。それにAmazonで買ったゆで卵製造機で大量生産したゆで卵をのせる。

ところで小学生のうちに料理(一工程だけでも)をしこんでおくと本当に楽だ。子供には料理をしたがる時期があって、危ないわこぼすわうまいくいかないわで、限界親としては迷惑千万なのだが、我慢して「米の炊き方」「じゃがいもの剥き方」などを教えていると、突然日曜日の朝に自分でおにぎりを作って食べていたりする。
宿題をやらせて体力を使い切り、ぼーっとTwitterを見ていたら職場の「子持ち様」からの皺寄せを「普段、1.0の仕事が1.2に増えてしまう」と訴える人が燃えていた。「その子持ち様が0.8の仕事量しかしてなくても、辞められてしまったらあなたの仕事量は1.2以上に増えるのでは」と指摘している人がいて(余裕のなさそうな職場ということもあり)そうなんだよなと思った。
ただ、子供がいない人たちはそれが自由選択であるかのように政府および社会に扱われていることが多い。介護休業について調べていたら、介護休業は家族一人にあたり上限93日しかとれないと知って驚いた。

さらに驚いたのは介護休業をとる対象に伯父伯母(叔父叔母)が含まれていないことだ。こんなふうに「子供がいない人たちの老後はどうしたらいいか」を国が真剣に考えているように見えない以上、「便利に使われているだけではないか」と思う人が出るのは不思議ではない。その思いの集積が、社会の安定を小さく揺らしていくのだと思う。
ただ、介護しながら人事部の仕事をしている友人曰く「既婚者も独身者も介護のことなんか何にも知らないよ!」とのこと。はい、私もです。ふわっとした知識しかないくせに不安に思うんじゃねえよって言われた気がしました。すみません。なので藤谷千秋さんに教えていただいたこの本を買った。

著者のおふたりは、かたや東大卒、かたや元マッキンゼーで、仕事をしながら介護をされている。高学歴高年収エリサーでも親が要介護になったら介護休業をとらないとならず、これまで積み上げてきたキャリアを危機に晒す時代がすぐそこまできているというわけだ。そのようにして介護する人たちが離職した場合、どれだけの経済損失がもたらされるのか、元マッキンゼーの人のつくる図の説得力よ。仕事をしながらケア業務をする人のことをビジネスケアラーというらしいのだが、親が存命なら誰もがそうなる可能性がある。

11/28
長編の執筆にブーストをかけなければならないのだが、自分的に難しいテーマなのでぐずぐずしてしまう。Twitterに投稿したり、slackで友人に愚痴を吐いたり、あちこちに文章を書いているうちに、少しずつ体が温まってきて、気づいたら長編の執筆を始めている。
夕方は子供たちを自転車に乗せ、歯医者に連れていく。

11/29
長編はゆっくりしか進捗してないのに、文庫が出るので告知に汗をかいている。『わたし、定時で帰ります。』の3作目が出ます。

長編を今年度中には脱稿したいと思っていて、そうすると同人誌作りにそこまでリソースを割けない。っていうか、そもそもが「薄くて軽い」かつ「完璧ではない本」をめざしていたのに、どんどん「厚くて重い」かつ「より完璧な本」をめざす方向へいっている。しばらくは商業の方で忙しいので、次の技術書典にだす同人誌の新刊は、短時間でさらっと読める読み物にしようと思っている。無理なく続けることが大事。

11/30
刺激的な言葉で揺さぶるやり方と、受け入れられやすい言葉を相手の内部まで届けるやり方とがあって、後者はトーンポリシングに屈している……ように見えるけど、本当に強いのは後者なんだろう。「私を理解してくれている」と思える相手の言葉しか、人は聞かないからだ。
「他人を真に理解することは命がけの仕事」なんだと河合隼雄が書いていた。「このことを認識せずに、『人間理解が大切だ』などと言っている人は、話が甘すぎるようである」とも書いてある。臨床心理士として追い詰められた人たちとむきあってきた人の言葉だと思う。私も希死念慮に襲われていたころは世界が怖くてたまらなかった。「世界に襲われる前に襲うべきではないか」という心境にまで至ったこともあった。
とくに同性(というか同じ属性)が集団になると、あまりにも細やかな「正義のものさし」ができていく。男性の集団も女性の集団も会社員の集団も出版人の集団もそれは同じだ。同質性が高い集団に長く所属していると、ちょっとでも外に出て、自分たちの「正義のものさし」に都合の悪い情報に触れると、たちまち集団に逃げかえるようになる。外の世界に怯えるあまり「自分たちこそ社会的に正しい」を集団でやろうとしてしまう。
社会に愛されたい。そんな強い思いを感じることが増えた。私にできるのは物語を一つでも多く書いて「私の気持ちがここに書いてある」と言ってくれる読者を増やすことだ。それが社会に愛される体験になりはしないだろうか。

12/1
12月になってしまった。12/4に家族行事があり、あらゆる場所に予約を入れているのだが、主役の子供が熱を出した。数ヶ月前にも、二週間前にも、インフルになったばかりだ。先週は学級閉鎖で一週間ほど休みだった。もしインフルだったら学校に報告しなければならない。発熱してすぐはウィルスは検出されないので、寝かせておいて仕事。午後は編集者さんから文フリでいただいた差し入れを受け取る。夕方小児科に連れていくと一時間待ちだった。あまりの疲労で待合室で寝てしまった。インフルではなかった。
熱がないほうの子供が「来週のマラソン大会に備えたい」というので、夜は近くの公園で走った。子供は時速10キロくらいで走っていた。私はいつも時速8キロくらいなので大変きつかった。

12/2
「朱野さん、休んでくださいね」とよく言われるが、子供が二人いたら休みはない。小学生には行事が多く、その多くが土日に行われる。今日は家族行事のための買い物。20時まで歩きまわる。

12/3
6時半に起きて、コンサートの本番に出る子供を送りだす。もうひとりの子供に習い事の練習をさせ(来週が発表会だ)、宿題をさせながら出かける準備をする。コンサートを鑑賞したのち、新宿伊勢丹に寄って明日行われる家族行事の総仕上げをしてから、もうひとりの子供が「ずっと行きたかった」場所につきそう。なんと原宿の竹下通りに行くことに。すべての人がおしゃれだった。若者がおしゃれなのはまだいいが、幼児や老人までもがおしゃれだった。「SNSでキラキラした格差を見せられて」うんぬんという話をよく聞くが、やはりリアルでキラキラを見せられることのほうがショックだ。深傷を追ってしまい、帰って夕方まで寝た。
夕飯前に起きて、明日の家族行事の準備をしていたら子供が「熱っぽい」と言ってきた。38.7度だった。ふふふふ。