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自分への誕プレで買った『イーロン・マスク』にはまる

12/4
上の子がインフルになったため、家族行事には私と下の子だけが参加。私は祖母の訪問着を着た。呉服屋さんに行ったついでに「子供用の浴衣の販売はいつからですか」と尋ねたところ、五月頃に出すが、コロナ禍で浴衣文化は急速に廃れつつあるという話をされた。このまま少子化が進めば日本民族が消滅することもありうるし、そのときに民族衣装の写真が一枚でも残っていたほうがいい。それもあって今回は大枚を叩いて撮影。帰宅して着物を脱いでしまいながら「これを着る次世代はいるんだろうか」と考える。上の子供を小児科に連れていく。リレンザを服用するように言われる。

12/5
度重なる子供の発熱の対処で疲れている。「インフルエンザ脳症になる可能性もないとはいえないので、急変したらすぐ病院に連絡」と言われ、寝てる間にそうなったらどうするのかと保護責任者として考えたりする。圧倒的現実に襲われたあと、小説の世界に戻るには時間がかかる。午前はぼうっとしてしまい、午後は保護者会に出席。家では仕事にならなそうなので、サイゼリアで紙にいろいろ書き散らす。夕飯の材料を買って帰る。公文に休んでいる間の宿題をもらいにいく。

12/6
寝不足で起床。高熱がひいて暇を持て余している小学五年生に、リハビリのために学校の宿題と公文の宿題をやりなと伝える。カフェに移動して対談の原稿に修正依頼を書き込み、他の作家さんの新刊の書評のプレビュー原稿をチェックする。
管理職をしている友人が「自分の仕事と、部下の育成と、マネジメントをやっていて、子育てもしていて、本当に時間がない」とSlackに書いていて、「家事代行を頼んで」と返した。後でTwitterを見たら「家事代行は女性が女性を搾取する行為」と書いてあった。わかるのだが、社会はもう少し複雑だ。希死念慮が強かったころシッターサービスを利用していた。年配のシッターさんに「こんな小さい子がいるのに仕事するの?」と授乳している最中に説教されて(文字通り)死ぬ思いをしたことがある。良い時代に子育てをされた方が、家事代行やシッターをやっているということもよくある。
まず出版業界内で働く女性の所得格差をどうにかしてほしい。若いライターさんの単価を聞くと安すぎて驚いてしまう。

12/7
誕生日だった。公文の先生が「英検3級よりTOEIC primaryの方がレベルに合っている」というので英検3級の準会場に予約キャンセルの電話をした。一日中、子供たちの教育の手配をしている。予定があったので下の子の保護者会は欠席。夕飯を作っている最中にふと「電話がかかってこないということはPTAの役員候補にはならなかったのだな」と気づく。立候補がいなければくじで決まってしまうのだ。役員になるとPTA活動のかなりの部分を免除される。さっさと役員をやってしまって、あとはのんびり過ごす親もいる。

12/8
友人からLINEでスタバのチケットをもらった。自分への誕生日プレゼントである『イーロン・マスク』を買ってスタバへ行き、コーヒーを読みながら読書。長編の執筆に必要な氷河期世代のデータを検索もした。予想はしていたがひどい数字だ。ネットには「氷河期の被害は大したことがなかった」と主張する人たちがいて「氷河期世代のほとんどが正社員になれている」というグラフが掲げられていた。その人が「氷河期世代」と括ったセグメントには、バブル世代と、ゆとり世代前期が含まれていた。正社員率が高くなるよう恣意的に集計しているのか、あるいは統計に弱いのか。そんな人でも正社員になれてしまった時代があるということか。
「氷河期世代のほとんどが正社員になれている」かどうかは労働政策研究・研修機構のサイトに掲載された『「就職氷河期世代」の現在 ─移行研究』のデータを見ればわかる。経済学のプロによる集計。

12/9
アメリカでは、日本では氷河期世代と同年代の起業家が人類を次のステージに押し上げようとしている。『イーロン・マスク』がおもしろすぎる。

幼いころから父から受けていた虐待がすごすぎて言葉を失う。とにかく貶されまくったらしい。12歳のときに軍事教練的なキャンプに入れられて、数年に一度死人が出るというそこから逃げることが許されなかった……というくだりを読んで、胸が苦しくなる。

イーロンの「気が狂うような切迫感をもって仕事をしろ」精神によるサクセスストーリーを伝記は描いている。だが、イーロンは虐待の後遺症に苦しみ続ける。子供を持つ年齢になっても、父はさらなる精神的ショックを与えてくる。イーロンは仕事ができなくなるまで傷つく。
上の世代による「棄民」とも言われる就職氷河期世代(団塊ジュニア世代とポスト団塊ジュニア世代)が好きなアニメといえばエヴァンゲリオンだが、同世代のイーロン・マスクもエヴァファンなんだよなってことを考えてしまった。自分を捨てた父に愛されようとして死地に飛び込む息子の物語。この世代の、とくに男性の、無意識レベルの思いに寄り添う物語ってほとんどないのではないか。

ちなみにイーロン・マスクが創った車の一つ、サイバートラックにも「ビーストモード」があるようだ。

私はポスト団塊ジュニア世代の娘だが、父にジェンダーロールを要求されたことはただの一度もない。求められたのは「能力」だった。働きずくめで子供たちを育てた祖母をそばで見ていたからかもしれない。どんな状況でもサバイブできる「能力」と「いっさい波立たない感情」とを父は私に与えようとしていた。「痛い」と私が泣いていたときにかけられた言葉は「痛みを覚えたときは他の場所を痛めつけるといい」だった。そうすれば痛みを忘れられるかららしいが、そんなことを友達に言うようなフランクさで娘に言ってくるのである。だからか、今でも私は修羅場にいる間は痛みを感じない父もそうやって幼少期を生き延びてきたのだろう。修羅場が終わるとあちこち壊れていることに気づくことができるのは、私の幼少期が父に少なくとも経済的には守られていて、多くの本を読んで育てたからだろう。私の中で波立っていた(しかし表出させることを抑制されていた)多くの感情に名前があることを本は教えてくれた。今でもそうだ。

リーマン・ショックの直後「会社のために新卒で入れてもらったお前が辞めるべき」と間接的に言われたことがある。娘だけでも助かってほしいとは思わない人なのだ。リスクをとる生き方の方がお前には合ってる、と言われている気もした。そしてそれは正しかった。(助言に従ったわけではないが)あのとき会社を辞めずにいたら作家にはならなかっただろう。後になって精神科医に「困難に遭った話をするとき嬉しそうだね」と指摘された。父も妹に「俺とあいつは似ている」と言っていたらしい。リスクを好んでしまうのは、生来なのか、それとも環境によるものなのか。

そんなことをイーロンの伝記を読んで思いだしてしまった。もちろんスケールは桁違いなんだけど、リスク中毒ともいえる彼の生き方にシンクロしてしまうのだ。イーロン・マスクが創った車の一つ、サイバートラックの公式サイトに「ドーパミンが止まらない」というコピーがあるのだが「そう、ドーパミンだよな、ほしいのは」と共感してしまう。

イーロンは感情が波立ちそうになると宇宙のことを考えるそうだ。だがそうしなければならないということは、感情はたしかにあるのだろう。

12/10
小学生の宿題は多い。私たちが子供だった時代よりずっと多い。さらに今日は習い事の発表会。帰ってきた小学二年生が『こどものけんりのほん』という絵本を持っていた。「やすむこともあなたのけんり/のんびりゆったりするのはだいじなじかん」と書いてあるページを指さされた。練習がハードすぎることへの抗議らしい。「ママのために借りてきた」のだという。明日は学童を休ませることにした。

12/11
「明日も学童休む」と言われる。「ママのために借りてきた」の意味を考える。何年も前に精神科医に言われた「お子さんに救われましたね」という言葉を思い出す。当時の私を救ったのは小学五年生の子の方だ。

12/12
長編の原稿をやる。冒頭をまた直す。こんなことしてる余裕はないんだけど、おもしろくないものを編集者に渡しても仕方がない。イーロン伝記を読んでいるおかげで、「父(なる存在)」との関係が見えやすくなった。イーロン・マスクが、私の「父」のイメージにこうまで合致するとは。
家父長制という言葉は使いやすいのだけど、その言葉を使う人たちがイメージする「父」のイメージと私のとはなんか違うのだ。私にとって「父」は子を「家」や「ロール」に縛りつける存在ではなく、「家から出ていけ」と突き放して「自由に」やらせる存在だ。それが愛だと思っている。
イーロンが人類を火星へと送りだそうとしているのも、きっと愛なのだ。
火星の平均気温は-63℃だそうだが。