【氏家悠路さん特別ミニインタビュー】
—えー、本日はGreen Moon On The Waterの最初のスタジオアルバム「東京沼(Tokyo Swamp)」発売記念で、リーダー兼フロントマンの氏家悠路さんのインタビューを敢行したいと思います。
聞き手は、かつて氏家さんが働いていらした渋谷のショップ、PARADOXが発行していたミニコミ「パラプレス」の編集長をつとめた雨桶昌紀こと私、吉原純です。氏家さんとは同い年です。
—よろしくお願いします。
氏:まあ緊張なさらず(笑)
—ありがとうございます(笑)。今日は氏家さんの音楽ルーツなどについて伺おうと思います。本格的なディスコグラフィーは既にご本人がブログ等に書いていらっしゃいますので、それ以外のところをお聞きしようかと。
氏:了解です。
—音楽との最初の出会いは何ですか?
氏:それは歌謡曲ですね。具体的には小学生の時に聴いたフィンガー5。ぼく、晃(リードヴォーカル。トンボメガネがトレードマーク)と同い年なんだよね。
—「個人授業」(1973)ですか?
☆フィンガー5「個人授業」(1973)
https://www.youtube.com/watch?v=u4TalAH3cVk
氏:その前。初期はバンドだったでしょう。テレビで見たよ。
—それは貴重なモノを見てますねー。(有名な「個人授業」は正確には2枚目のシングルで、前身のベイビー・ブラザーズからフィンガー5に改名後のデビュー曲「キディ・キディ・ラブ」(1972)を出した時点まではバンド形態だった。)
氏:テレビで「あっ、バンドなんだ」って認識したんだ。妙子がキーボードだったんだよね。で、晃がサイドギター。
—ビートルズとの出会いはいわゆる赤盤青盤ですか?
氏:ビートルズは小学生の時、塾の先生に聞かせてもらったのが最初。アルバムというか印象に残ってる曲は「ミスター・ムーンライト」(1964)。
☆Mr. Moonlight - The Beatles (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=6STQwYCY2MA
氏:当時から月の光に惹かれてるのかも(笑)。
ロックへのとっかかりはKISSかな。その後ディープ・パープルに行ってからレッド・ツェッペリン。ツェッペリンよりパープルの方が若干ポップでしょ。
でもまあ本格的にロックを聴き始めるのは高校生になってからだね。
—楽器を始めたのは中学生でしたっけ。
氏:そうです。フォークギター。かぐや姫、甲斐バンド、チューリップとか聴いてた。軽音楽部の部長もつとめました。フォークギターをアンプにつなぐのもやってたな。
—ドラムスはギターの後?
氏:うん。高校入ってから。友達とバンドを組むので集まって、元はヴォーカルで参加の予定だったんだけど、そこにあったドラムセットを見て「ちょっと叩かせてよ」って叩いたら、ドラムスの担当だったヤツが「オレよりうめぇじゃん」って言うんで、「ええっ?そうかなあ〜#」ってなって、そこから一生懸命練習しました(笑)。
それ以降、高校時代は校内・校外で多くのバンドを掛け持ちでやってたよ。文化祭でも引っ張りダコだったし。
その中で三つ四つ年上だった人のバンドで、その人が作ったオリジナル曲がすごい好きでね。後から詩をつけ直して今もずっと歌ってます。それが今回の「東京沼」4曲目の「My Pain, My Crime」。
—「Ted矢島先輩」の作曲ですね。この方とは今も?
氏:いやーもうぜんぜん行方わかんない。この”Ted”っていうのも当時書き写した楽譜にそう書いてあっただけなんで本名もわからないんだよ。
すみません先輩、歌わせていただいてます!(笑)
高校出て専門学校に入学して二十歳頃、情報誌「ぴあ」のページ端の読者投稿欄(はみだし)のバンドメンバー募集の告知を見て参加したのがTHE EXECUTE。(初期はHIRO名義)。それ以降はブログに書いてあるのでそっちを読んでね。
☆THE EXECUTE「The Voice」1983
https://www.youtube.com/watch?v=acUCPovksDQ
—ついでに伝説のお店、PARADOXについて少し話していただけますか。嫌でしょうけど(笑)
氏:嫌だなあ〜(笑)...まあ、少しだけ。元々は明大前のレコードショップ「モダーンミュージック」が出したお店です。
—あっ、それは知りませんでした。
氏:そうなんだよ。開店時の店員はぼくとFとN。Fがカルト映画の担当で、ぼくとNが音楽担当。開店は1980年代後半。店の名前はみんなで候補を出して、最終的にぼくが考えた「PARADOX」が選ばれました。その後Nが脱けて山本(健雄)くんがアルバイトで入ってきます。その頃にはモダーンミュージックから独立してました。
—山本さんは元・新宿JAMのDJだかPAだかでしたよね。前歯の横の一本が三角に欠けてたイメージがあります(笑)。
氏:1990年の暮れからそれまでの音楽/映画の店からボディピアスの店へシフトチェンジしていくんだけど、なにしろ新しいカルチャーなので、ミニコミを作って皆に知らしめようということになって、1991年の1月、店頭に《ミニコミを作るのでスタッフ募集します》という貼り紙とチラシを出しました。
—それで最初の「パラプレス」の編集会議にビデオショップ時代の常連客が8人集まったんですが、その中に私(吉原)もいまして、皆で自己紹介したところ私が一番年上(29歳)だったという理由で編集長に決まりました。
ちなみに初代の副編集長は、当時20歳のフリーの編集者・山中修郎〈軍馬修〉くんでした。彼は半年後にはPARADOXに姿を見せなくなりましたが、数年後に渋谷の「パリペキン」、西新宿「ロス・アプソン」という伝説的なレコードショップをオープンする傍らライターとしても活動します。個性的な人物でしたがバイク事故で若くして亡くなりました。
氏:あー、そういやいたねえ。彼、亡くなってたのか...
—1991年、氏家さんが痛郎のドラマーだった頃、《木乃伊》(カルトなファンがいたインディーズ音楽系ミニコミ。ゆらゆら帝国やRUINSなどをとりあげていた)のスタッフ数人(全員20歳前後の女性)が、たまたま氏家さんにインタビューをしに来た帰り、「パラプレス」のゆる〜い編集会議に乱入してきたんですよね。
で、『ミニコミ作りナメんなー!(怒)』かなんかで“ご意見番”みたいな位置になって、その後は彼女たちに原稿やレイアウトを手伝ってもらうようになりました(笑)。「パラプレス」はわずか2号で終わっちゃいますが(私の不徳のいたすトコロです)、30年を経た現在も当時の編集部の何人かと繋がってます。
☆痛郎「だから、ですから、許して下さい」1990
https://www.youtube.com/watch?v=Z8GPabkHLfA
氏:その痛郎(第2期)活動終了後の1992年、かねてから構想していた、自分がリーダーのバンド、Green Moon On The Water(GMOW)を結成しました。オリジナル・メンバーは氏家悠路(ギター、ヴォーカル)/山本健雄(ギター)/野戸(ベース)/白神(ドラムス)の4人。その年の9月9日に法政大学学生会館ホールで初ライヴ。この時の演奏が満足の行くものだったのでカセットテープでリリースしました(現在もPARADOX ANGELIQUE MARMALADE店頭で販売中)。
この後、年が明けて山本くんが渡米のために脱退して、GMOWはメンバーチェンジしながら現在に至って今年結成30年になるんだけど、この時の4人はほぼ完璧だったと思うね。
—ありがとうございました。
最後になりますが、Green Moon On The Waterというバンド名の由来はなんですか。歌の歌詞かなんかにあるのかな?と思ってたんですけど違うんですね。
氏:これは僕のオリジナルです。1990年頃に住んでいた、千葉県の行徳の港の夜の情景からつけました。
2022年8月21日 渋谷にて
(text)吉原 純
1961年生まれ。「東京沼」の中で好きな曲は「Moon Light」と「おせっかい」。1996年から2004年まで、氏家さんの店の近くの宇田川町の中古レコード店で働いていたこともある。
★「東京沼」が入手出来るサイト
Amazon
https://www.amazon.co.jp/Tokyo-Swamp-Green-Moon-Water/dp/B0BY7WZP3N
ディスクユニオン
https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008639295
タワーレコード
https://tower.jp/item/5682902/Tokyo-Swamp
HMV
https://www.hmv.co.jp/artist_Green-Moon-On-The-Water_000000000928259/item_Tokyo-Swamp_13803009
Base
http://www.recordshopbase.com/coming5594.html
いぬん堂
https://inundow.stores.jp/items/640a74a5b523c46fb748cab6
★氏家悠路ブログ
http://yuro-u.jugem.jp/?cid=2