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クリエイターってなんじゃろな

言葉そのもの意味じゃなく、どういう時どういう人がどういう行為や人を想定してる使うんじゃろな、って。何かを創るヒトなら全て?を指す? 時には「創る」が「作る」「造る」と同義だったり? 英語でも Create, Make ,Build に言い分ける感じになるけど。それに-er が付くと日本人的にはイメージに随分差があるよね(ビルダーってなんかカッコいいなしかし)。noteでクリエイターなんちゃら大会(そんな名か?)みたいなのあるんじゃろ? タイムラインちゅーかnoteアプリで通知を見る時とかの拍子で「編集部のおすすめ」が表示されたりする。以前からちょっと毒入りで「書店の新書コーナーみたい(啓発タイトルが多い印象)」と言ってたんだけど、今日も表示されたのは(何かの)役に立つ・こうしてみたらこうなった・こういう人にはxxを…的なタイトルが目白押しで今の中の人はこういうのが好き(?)、こういうのを推したいんだねって思って。システムの「カイゼン」の方向性と考えあわせると「(外に)発信したいヒト」が好きなんだね?的な。そのことには否定も肯定もないし、sns界隈の世の中の趨勢ってそんな感じだよね、とも思うし。そういうことで、中の人が想定する「クリエイター」からは外れちゃうんだろうな、おいら。とか思ったり。だから自分もやることをカエルなんてことは全然なくて、なんの役にも立たない一発ギャグ…と、すら言えないかも知れない駄イラストとかも世の中にないと息苦しいじゃん? ハシヤスメアツコ(BiSH)、もとい、箸休め的に息抜き・効果があるんじゃね?という言い訳とともに“クリエイトせずディストロイするガール”の絵を投下。

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昨日、NHK Eテレの日曜美術館で芸大美術館で開催中の「あるがままのアート展」を取り上げていた。アール・ブリュットとカテゴライズされる: 広義には絵の専門教育を受けていない・狭義では何らかの障碍(知的、身体、精神疾患)を持った作家の作品の展覧会だ。私はアールブリュットの代表作家の1人のヘンリー・ダガーが好きで、そこからアール・ブリュットの作品は好んで見るようになった。

自分でも気を付けたいと思うけど)アール・ブリュットを語る時しばしば、健常者からの目線(上から目線)になってしまう。残念ながらEテレもそういう見方を排除してない構成だと思った。アール・ブリュットの作家の作品は知的障碍に由来するような激しさや緻密さ、驚異的な連続性などぶっちゃけると常軌を逸してること(=こんなのマトモじゃ描けない的な)が少なくない。しかし、それは知的レベルの問題ではなく常人が自らで持ってしまう枷、タガがない・あるいはそれが極めて薄いからだと思う。常人が「お利口」になってしまってる、むしろそれがそれこそが(発想の)障害とも言えるのかも。でも、凄い人はいて、それをもクリアしている(多分)。東京都現代美術館のMOTコレクション観ていると 。oO  (この人、デムパだよね。言いたいこといっぱいあんだね)等と、つい思ってしまう表現の人がいて、その後で草間彌生の古目の作品やらが何個も続くと、なんていうか次元の差を感じる。端的に極端な言い方すると「正気を保って狂ってる」故・岡本太郎もそうだ。有名無名大作家や端くれの作家問わず、大体どこかしらあざとさが見え隠れすると思ってんだけど、草間彌生と岡本太郎はそんなゲスの勘繰り的目線を軽ーく吹っ飛ばす。凄いなとしか言えない。ああ、この「あるがままのアート展」の魲万里絵もいろいろ飛び越えてる。


きっと幸せになりますよ(私が