見出し画像

プロデュースだいじ

ある人が書いたのを見て思った。プロデュースは大事である。が、プロデュースする側が自分の武器を、良いところを分かっているとは限らない。マスに向けての方向性、一般論的にウケる要素にモデファイするだけかもしれない。一定のファンが既にいる時にそれはしばしば、裏目に出る。良かったところを丸めてしまう。削いでしまう。ありがちだ。雑誌のリニューアルがよく陥るパターンだ。リニューアルする動機は部数の伸び悩み、落ち込み、実売数減とかな訳だが、この時にリニューアルで激変させてしまい、それまで付いてた読者が 。oO  (コレジャナイ、欲しいのはこれとは違う)と思ってしまう。それを上回る新たな読者が付く変化ならまだ良いのだが実際は中々難しい。それまで付いてた読者をも失うことになる例は幾らでもあった。リニューアル後、結局は(時には加速して)休刊することになる。

何でもマスに、不特定多数にウケるモノに出来るわけでもない。多くのみんなにウケようとすることで(嫌われないようすることで)、失ってしまうモノもある。ピンポイントで受ける層に届いてドンッ!と響いてたモノが、広がってボヤけた面になって響く程の力がない、コトン!がせいぜい…誰にも届かないなんてことになるやもしれない。適切な層に確実に届くことが大事。その上で、その層を失わず周辺を徐々に広げて数を増やすのがデキると良いのだと思う。実例はある。例えば、BiSHだ。BiSHは地下アイドルファンをコアにして周囲をアイドルファン、ロックファン、その他…と集合体の外縁部を広げ1.5万人位のハコなら即日完売する迄にはなってる。多分、そのコアの層を失わずに一般の認知まで進んだ。BABY METALもそうだ。さくら学院重音部からヘビメタファンを取り込んで世界的な認識にまで広がった。何も根本のスタイルを変えずに広げられている(←実年齢が上がってルックスも成長したのでその意味では幼いイメージの楽曲は無くなったが)。こんな風に上手く行く事ばかりではないけどコアの部分を変えてしまっては上手く行かなかった時に何も残らない。守るべきアイデンティティは何処にあるか。どんなプロデューサーでもそれを上手くやれたり、そこを守ってくれる保証は常にない。今は、SNSとかyoutubeとかさまざまなメディアを誰でも使えるから、アーチスト自身のセルフプロデュース能力が問われる。そのあるなしでキマる気がする。また、自分をプロデュースしてくれる人のその能力をちゃんと測るのも必要だ。

(サブスク動画配信のオーディション番組から作られたガールグループ、某テレビ局のプッシュも大きいのできっと暫くは話題も多目に見えるんだろうけど、みんな、プロデューサーの色に意に染まり過ぎでそれってどうなの?(画一的なルッキズムも感じるし) 本来持ってた個性を失わせてるようにも見えて当面はともかく将来はどうなの?ってつい、思っちゃう。まあ、知らんけど。余計なお世話だけど)

きっと幸せになりますよ(私が