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M山くん

今でも地元で呼ばれるおいらのあだ名を小一の時に付けたのはM山くんだった。そのエピソードはM山くん本人に後年、同窓会で言われるまで忘れてた。そういやそうだったと経緯は直ぐ思い出せたが。

中学から高一位まで毎年(かな?とにかく複数回) T泊へ海のキャンプにM山くんを含めた4人で行った。M山くん家は材木店で年の離れたお兄さんがいてもう社会人で薪用の木切れとキャンプ道具をトラックに積んで海まで送迎してくれた。M山くんはボーイスカウトでもあったのでテント張りや飯盒炊爨はお手の物だったので、ようするにM山くん一家には大変な世話になった。

通ってた中学はお弁当持参の学校である日、M山くんはおかずに何処ぞの天ぷら店の仕出しだかを持ってきた。物珍しいので皆んなが欲しがり少しずつ与えもしたがやがて自分の分がなくなる〜!と声を荒げて追い払ったが最後においらにひと口くれた。衣だけだったが。

高校を卒業し(M山くんとは別の高校だけど)それぞれが進学なりをし、お盆に地元で出会った。M山くんは将来の家業の手伝いのため何処か外の会社に修行?丁稚?なんて言うんだ? に行ってた。先輩から借りたというクルマに乗ってた。皆んなで乗り込み(総勢5人だったか?)、深夜のM瀬サーキットでスピンターンとかして遊んでたらS藤くんが車酔いして車内でゲロった。

N山くんの家があったところは今は何になってる? わからなくなるほど変わった。材木を使う地場産業も衰退しM山くんの家がどうなったかわからない。まあ、知っているだろう人に聞けばわかるんだろうけど。

何故だろう? そんなこんなのM山くんのことを最近、よく思い出す。今ここに書いてないこともまだいくつか思い出せる。

きっと幸せになりますよ(私が