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表現する目的ってなんだろう?

ね。内なる感情の吐露? 空想(妄想)の具現化? 伝えたいメッセージ?

おいらはどうだろう? 皆無とは言えない気はするけど感情の吐露ってのは比率的には低い=「これ、かわいい!綺麗」ってのを別扱いならば。脳内で渦巻く湧き出す空想妄想の具現化と整理…かな。それに付随して見てくれ!このダジャレ!とかそんな「伝えたさ」。

絵が描けるから、それが自分的には容易だから絵で具現化するけど言葉遊びも好きだから言葉で表現するのも好きだ。大抵はダジャレ的だけど。音楽は基本的な技術にすら欠けてるからその手段は取らない。まあ、オリジナルメロディが浮かぶ、みたいな事もそもそもないし。動画はもうずッとマトモにやってないから技術はレガシー的なのしかわからないけどやろうと思ったら最新技術は(少し練習する時間があれば)まあまあ覚えられるとタカ括ってるけど、手間掛かるのが面倒なので手段としては実際は当面、選びそうもない。写真はおいら的には絵作りと同義で特別な興味があるほどではないので、スマホで記録やスナップ程度しかやってない。

そう、写真ってなんだろね。カメラという機材を使うから、どうも印象として「写真を撮る≒カメラを使う」になってる人がたまにいるような気がする。そんなこと、どうだっていいことなんだけどでも、おいら的には「表現したいナニカ」が先にありき、と、つい考えがちで「カメラを使う」のが第一の目的になってるように感じる作品を見るとモニョる。写っているものが撮りたかったんじゃなく目の前にたまたまあっただけ、カメラの操作が目的だった感が写っているような写真。

絵具を画材を、使ってみたいから描く、ってのはあるけどそういうことはもちろんあるけど、でも出来上がる絵はそんな目的が透けてしまうような仕上がりにならない気がするんだ。そんな絵はプロアマ問わず、見た覚えがない。

カメラの特性、レンズの選択、露出、環境光やストロボ等の光源の扱い、フィルムやデジタル映像素子、現像の仕方…等、技術・ノウハウがたくさんあってヲタ要素が満載だからかな。絵だってアプリの使い方(レイヤーの重ね合わせとかブラシのカスタマイズとか他)のウンチクはあって似た匂いはなくはないけど、絵はどうであれ自らが主体的且つ主観的に0から何かを描く必要がある。それが技術ヲタ感を薄めるのか? ((音楽的技術が欠けているにも関わらず)楽器も技術ヲタ要素が入る余地あるよう思えるけどそれを感じない事もないけどそれでも写真程じゃあない。演奏には絵と同様に都度、演奏者のその時のエモさが不可欠だからか?それが乗ることで目立たなくなるのか?)

なんか上から目線的に結論を断言してしまうけど、そんな思惑目的技術ヲタ・カメラを弄るの大好き感ばかりが透けて見える写真はつまりは良くない写真なんだろう。被写体に愛がないからなんだろう。(プロには流石にそんなヒトはいないだろうが)技術的には優れていても下手な写真なんだろう。最初の目的がどうであれ、出来た写真が良ければそんな事を感じさせていないのだろう。逆に素人がスマホやガラケーで撮った写真がとても良い画なことは多々ある。もう随分前だけど、そんな写真(コンデジだったけど)から始まって木村伊兵衛賞を受賞したりした例もあるし。結局は愛、だな。どこに愛を持つかだな。レンズの向こうに被写体に愛を持たずカメラ(を扱う自分)だけに愛を持ってシャッター切ってもバレると。

人のフリ見て我がフリ直せ。別の人から見たら自分もそう見えるかもしれない。気を付ける。

とか書いたんだけど思い直した。やっぱりそんなこと知ったこっちゃないよね? 各々が好きにして他人がそれをそのスタンスをとやかく言うことじゃないよね。

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↑味直し的に「機動戦士ガンダム」一年戦争当時のジオンの陸戦モビルスーツ・ドムっぽい三人娘「黒い三連星(さんれんせい)」の画像でも見てくれ。そして↓は「トマト+酸辣湯(サンラータン)」しゃぶしゃぶスープ(左下、右上は和風出汁)。

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きっと幸せになりますよ(私が