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水辺のアルバム

昭和に有名なこれと似たタイトルのドラマがあるけど関係ない。私が生まれ育った田舎町は中心部を一本の川が流れそれに沿って谷が開けて平野になっていく。その川へ里山から流れ出る水を流す堀や開放型の側溝が町中の道沿いにあって町全体が水辺のようである。雪国なのでそれらは冬に除雪の手助けとなる。雪を捨て水で融かす。

男子児童で育ったので川や水辺は遊び場のひとつだ。魚釣りやヤスで魚突くのはよくやった。いつの頃か釣り竿が欲しいと父に言ったら買ってくれた(近所の商店街に釣具店があった)。そのまま市内のもう一つ、小さめの川のやや上流に釣りに行った。それなりの釣果だった記憶。細くなった川に斜面から木の枝が下がり釣り糸が引っかかった。父が川を飛び越え木に登って釣り糸を外した。ああ、あの頃の父はまだそんな身軽なことが出来、する気もあったんだな若かったんだな(30歳台だな多分)。

小学校の高学年の夏休み、クラスの中心男子6-7人で川を遡る感じで魚捕り、川遊びをした。学区を超え水源地と呼んでるダム湖(そんなに大きくない、せいぜい池だ)をも超えて砂防ダムやらで出来た滝や堰に魚がたくさんいて、たくさんやっつけた。誰かはその釣果を持ち帰ったが私の母は川魚を食べないので育てられた私も大人になるまで川魚は口にしなかった。持ち帰るのが面倒なだけだ(鯉こくは別。母の実家は食用の鯉を飼う池があった)。

ある時、隣の家の子が川の底の泥に足を取られて履いてたサンダルを片方失くした。でも、いつまでも川底を足でさらって探してた。そんなの諦めてまた買ってもらえばいいのに、って思ってた。今思うとあの家は経済状態が当時良くなかったんだな、木工所だったけど後にその家の本家筋の木工会社に行くようになってたから。子供の頃ではわからないこともいい大人になるといろいろ推測が付くようになる。

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氏神様の神社の裏、当時はまだ私鉄が走ってて線路に轢死したカエルの下半身が干からびてた。その先の里山沿いに田んぼが開けてて用水路が引かれてた。魚がいるかな?と覗いてもまるでいない。その時のことをよく状景で思い出す。

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ホントはあっさりとした涼し気な水辺を描きたかったのに最初使ったソフトの特性のせいか、↑みたいになっちゃった。のでシシ神様みたいなのを加えてこんなにしちゃった。

きっと幸せになりますよ(私が