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最低で最弱な人生で、最高で最強な彼らに出会った/雑記

※現在では避けられる表現を一部使用していますが2016年頃~現在の出来事の備忘録であるため当時の心境そのままに表記をしております。何卒ご容赦くださいませ。

2016年夏、TVで「罪と夏」のCMを見た。


 当時、高校に入学したばかりだった私は、新しい環境への適応に完全に失敗し、圧倒的な生命力を誇る高校生たちに淘汰され歩くボロ雑巾と化していた。今思えば対人恐怖のようなものになっていたのだろう。起床直後から帰宅まで強い吐き気に襲われ、授業中に1+1も分からなくなるほどのパニック状態に陥り、体重は30㎏台にまで落ちた。家族には大層心配をかけた。長期休みの時にだけ会うようになった地元の友人たちに「痩せた?」と言われ、その度に言い訳のストックが減っていくのが恐ろしかった。毎日生きるのに精一杯と言えば聞こえはいいが、生きているという実感がそもそもない。押し寄せる不調に耐えているうちに気が付けば夜になっていて、布団に入って瞬きを一回、もう夜が明けている。胃が熱い。


「これ、良いね」

ふと母が言った。
TVで「罪と夏」のCMが流れていた。
いかにも夏らしく色とりどりの衣装を着た男性たちがプールで水飛沫を上げながら歌い、踊っていた。
当時の私は、ロックとインターネットミュージックに傾倒しておりジャニーズをはじめとしたアイドルにハマった経験はなかった。そのうえ上記のような生活でかなり卑屈な人間になっていた。そのため、普段であれば生返事をしてスルーしていたと思う。しかし、その時は不思議と彼らのご機嫌な歌が、姿がとても鮮やかに輝いて見えた。
「良いね」と答えた。

 「関ジャニ∞」に関しては認識こそしていたもののかなりおぼろげだった。中学の友人がファンだったため話を聞くうちに個人名を覚えて、バラエティ番組に出ているのを見かけては名前と顔を頭の中で何となく一致させる、その程度だった。
 しかし、罪と夏CM事変があってからは彼らを目で追ってしまうようになった。
 特に記憶にあるのはライブDVDのCMで、とてもかっこいい曲が流れているなと思って手を止めた。画面の左隅を見ると「キング オブ 男!」と書いてあった。
覚えておこう。
目の前に広げた分厚い単語帳の中のいくつかをかなぐり捨てようと思った。

「関ジャニ∞、聴いたら少し元気になるんじゃない?」
ある日出かけた帰りに母の言葉を思い出し、CDショップに寄った。関ジャニ∞のコーナーに向かう。多い。とにかく商品の数が多い。ジャニーズアイドルの凄さをまず物量で見せつけられた。
「勝てねぇ」
第一印象はなぜかそれだった。何を「勝つ」「負ける」と定義していたのかは今も分からない。
15歳、高校1年生、真夏、炎天のカルチャーショック。
目移りなんてレベルではない圧倒的な関ジャニ∞ウォールを前に一瞬敗走をキメそうになったがふと思い出した。

(『キング オブ 男!』が聴きたい)

「キング オブ 男!」が聴きたい + 色々聴きたいからアルバムがいい
関ジャニズム

こうして、「関ジャニズム」購入と共に関ジャニ∞生活が幕を開けたのだった。


そこからは早かった。
初めてフルで聴いた「キング オブ 男!」に脳を焼かれ、「三十路少年」で転げ回り、「ER2」に「映画のCMで聴いたことある!!!」となり、「象」にロックを感じ、(勿論他の曲も大好きだがこの4曲が特にお気に入りだった)ウォークマンに落としてからは通学時間と休憩時間に聴いて聴いて聴きまくった。それこそCDやカセットテープだったならば「擦り切れるほど」という表現が正しいだろう。

 それから「元気が出るCD」「FIGHT」「JUKE BOX」…など、アルバムを中心に買い漁り、やがて「関ジャニズム LIVE TOUR 2014≫2015」を見て、渋谷すばるさんと安田章大さんに魅了された。今で言うところの「推し」である。
 渋谷さんに関してはあの歌唱力は勿論のこと、こんなかっこいい人間がこの世にいるのか、と思った。あの大きな目に一目惚れをブチかましてしまったのである。メンバー紹介系の曲ではコンプラパートを歌い上げ「アイドル」に対する認識を良い意味で破壊してくれた。
 安田さんについては、あのチャーミングな笑顔と摩訶不思議な言動、そして我が道を行く唯一無二のファッションスタイルに撃ち抜かれた。アニメなんかでも天然なキャラクターに惹かれることが多いのだが、確実に安田さんを好きになった影響だと思う。
 クールな感じなのかな、と思っていた横山さんはクールというよりかは照れ屋で、それでいて笑う時は豪快に笑う。しっかり者のMCのイメージが強かった村上さんは意外と抜けている部分があってメンバーにいじられがち。イメージ通り賑やかで楽しい丸山さんは時たま見える"闇"の部分がスパイシー。横山さん同様クールな印象があった錦戸さんは真面目故にちょっとだけ怒りっぽい部分と年下らしい甘えん坊な部分を併せ持っている。シュッとした大倉さんはよく笑い、よく食べ、よく毒を吐き、鳥貴族。鳥貴族!?!?!?!?

 「個性」の奔流に飲み込まれるようにどんどん関ジャニ∞にのめり込んでいった。それまで見向きもしなかった雑誌を手に取り、切り抜いてスクラップを作り、録画容量に頭を抱え、下手な絵を描き、カラフルなペンでノートに歌詞を書き写した。すばるくんに憧れて「NOROSHI」のビジュアルを美容師さんに見せてオーダーし、「Fight for the Eight」のアイメイクを真似し、ヤスくんに憧れてネイルをした。
 吐き気もパニックも治らず、記憶力も落ちるばかりだったが、関ジャニ∞に触れている時間は本当に少し元気になれていたし、メンバーの誕生日や背番号は覚えていた。関ジャニ∞のファンのことを「eighter」と呼ぶと知った時は「じゃあ私はeighterなのか」と、柔らかいものに包まれたような暖かい喜び安心感で満たされたし、その呼称をすばるくんが発案したと知った時は宇宙まで飛び上がって火星を叩き壊しそうになるほど嬉しかった。

 母の前で曲を聴いたりDVDを見たりしていたおかげか、いつの間にか立派な親子eighterが爆誕していた。母も私と同じで元来ロックバンド畑のオタクだったこともあり、METROCK2017にまで出演してバンドとしての活動を年々広げていた彼らを応援しやすかったのだろう。母はやはり関ジャニ∞に触れるきっかけとなった「罪と夏」がお気に入りのようで何度も一緒にMVを見た。明らかに井上陽水さんを意識している丸ちゃんと、一般参加お兄さんが前に引っ張り出されるシーンで何度も一緒に笑った。元々仲の良い親子ではあったが、「eighter同士」という親子とはまた異なる繋がりが生まれた。ちなみに母は青色eighterである。

このささやかな幸福が続くと思っていた。

2018年、すばるくんと同じ髪型をした私はテレビの前で呆然としていた。
ヤスくんに似たピアスをした母は涙ぐんでいた。
2019年、もはや何を言われているのかも分からなかった。
2018年は受験、2019年は入学とビッグイベント続きだったこともあり、少し彼らから距離を置くようになった。
それまでと同じように新曲が出れば喜び勇んで聴き、音楽番組はチェックを欠かさなかった。しかし、どこか「一歩引いて眺めていよう」と思うようになってしまった。一番苦しいのも一番悲しいのも彼らなのに、彼らの事で自分が傷付くのが恐ろしくなってしまった。臆病者、eighterの名折れと後ろ指を指されても仕方ないと思っている。

それでも関ジャニ∞のことは好きだった。

2022年、母が入院をして(※今は退院して元気にしています)、祖父と共に母の送迎や荷物運びをすることになった。祖父とは仲が悪いわけではなかったが、やはりジェネレーションギャップというのは大きく、2人きりになると些か話題に困った。

母が検査をしているのを待っている時、祖父が不意に言った。
「関ジャニ∞って、すごいな」
突然のことに目を丸くする私に、気さくなくせをして口下手な祖父はぽつぽつと話したのだった。
洋ロックを主としながらあらゆるジャンルを聴きまくり、自身も楽器を演奏する音楽ジャンキーな祖父は「関ジャム」を好んで見ていたそうだ。そこでジャムセッションを見て、関ジャニ∞の演奏力、歌唱力、表現力に感動したのだと言う。そして私が関ジャニ∞が好きと以前ぽろりと言ったことを覚えていて、話そうと思ったのそうだ。
「特にあのボーカルが凄いな」
「すばるくんのこと?」
「ああ、そうだ。すばる、そんな名前だった。あの声は他にはない。他のメンバーも演奏が上手い」
すばるくん、その名前にツキリと少しだけ心が痛んだけれど、eighterではなく耳も肥えている祖父が関ジャニ∞を認識し、そして凄いと評価してくれたことが、自分が褒められたかのように嬉しかった。思えばもうこの頃にはだいぶ傷も癒え、再び関ジャニ∞を近くで見る勇気が出てき始めていたのだと思う。

 この会話をしてから僅か1年後、祖父にステージ4のガンが発覚し、それからたった3ヶ月でこの世を去ってしまった。
 もっと話したかった、話せばよかった。でも、会えなくなる前に1回でも大好きな「関ジャニ∞」という話題を共有できて、2人の思い出を「関ジャニ∞」で交差させることができて嬉しかった。

 

「T.W.L」で腕が痛くなるほどタオルを振った。
「キング オブ 男!」「無責任ヒーロー」「Kicyu」の振り付けを覚えて一緒に踊った。
「象」で顔が溶けるぐらい泣いた。
「LIFE~目の前の向こうへ~」で顔が溶けた。
「Re:LIVE」で顔がなくなった。
「オオカミと彗星」を毎日聴いて、家族を失った悲しみを癒した。
「THE FIRST TAKE」で世界中の人が関ジャニ∞の関ジャニ∞らしさを素晴らしいと言ってくれたことに鼻高々になった。
「サブスク解禁ジャジャジャジャーン」が私を完全に出戻りさせた。
「アンスロポス」が先の見えない不安を吹き飛ばしてくれた。

「バカになろうぜぇ~!」で大いに沸いた。
「せーのーで、パーン!」で右手を高く掲げた。
「最高で、最強の、関ジャニ∞!!」で皆と手を繋いでいるつもりになった。
全部全部、嘘でも夢でも空想でもない。

 結局高校卒業後も私は何だかうまく生きていけず、一度は人生を終わらせる選択をしようとした。すんでの所で立ち止まっている今も薬がなければ眠れないし、家族以外の人の前ではまともに食事をとることができない。
 しかし、高校に入学してすぐの私と違って、私はeighterであることに誇りを持っている。自分の他の部分はそうでもないけれど、「eighterである」という部分に限っては、好きだと堂々と言える。

 名前が変わってしまうことが寂しくない、悔しくないと言ったら大嘘になってしまう。「『関ジャニ∞』のライブに行く」という密かな夢はもう永遠に叶わぬものになってしまった。
 でも、彼らが「関ジャニ∞」であったこと、「関ジャニ∞」という名の世界一のグループが存在したという事実が無くなるわけじゃない。「無限」は決して伊達なんかじゃない。


 「関ジャニ∞」のことを「屋号」「看板」と呼んで掲げるあなた達は、いつだって誇り高かった。20周年の節目の年に、せっせと磨いた新しい看板を掲げるこれからのあなた達もきっと、そうであり続けるのでしょう。その頼もしい背中に心からの敬意を込め、これからの未来が明るいものであり続けるように祝福を送り続けます。

2016年の夏、あの日、関ジャニ∞に出会えてよかった。
ありがとう。


2024.2.4 「罪と夏」を聴きながら
かえる


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