映画記録 流浪の月

ネタバレを含みます。
また、書いてあることは当方の勝手な解釈であり、作者の意図とは異なります。




メインの登場人物3人が全員家庭にトラウマを持ってる恋愛映画だった。
幼少期の関わりがその人の恋愛観に強く影響を与えることを印象付ける映画だったと思う。
それぞれについて自分が感じた偏見を書く。

父親が死に、母親に捨てられ叔母家庭にて育った更紗。迷惑をかけないように、他人の思惑に沿うように生き、社会の求める像に合致するため恋人を作った。
叔母家庭で、叔母の息子から性的暴力を受けたトラウマがあり、性的な行為へ嫌悪感を持っている。元から性衝動がない可能性も考えられる。

幼少期、文に誘拐されるが、その下で求めること、思うままでいることを許され大切に扱われる。それが羨ましくもあり、同時に耐え難いほどの不幸だとも思う。

自分のあるがままを許容されることは基本的にあり得ない。なのに、その幸せを知っていることで、幸せの基準が高くなり、最高の幸せをそれ以降、その人の側以外で味わうことはないのだ。
実際、更紗は社会に適合しようと生きたけど、文が近くにいると分かれば、すぐに側に戻ってしまった。麻薬みたいなものである。
自己肯定感が低い所に与えられる、存在の容認、肯定といった甘い蜜は一度味わえば、離れられない。忘れられない。
でも、それは自己を保つ助けにもなる。自分は自分でいていいのだと思える蜘蛛の糸でもあるのだ。

更紗の恋人、亮。幼少期に母親に捨てられ、恋人が自分から離れることを嫌い、支配的に行動する。支配するために主に、性的行為を用いる印象。母親が家族を捨てた経緯に由来しそう。最終的には、物理的な支配として暴力行為をする。

更紗が亮から離れる雰囲気を出した時や、亮の意志と異なる行動をした時、相手の心を取り戻そうとする時に性的行為をしようとする。
更紗の表情や状態に関係なしに及ぶので、更紗自体に興味がなくて、自分にしか依存先のない社会的、精神的弱者である"更紗"が好きなんだろうなと思った。分からないけど。

自己を愛してもらうことに執着している。この人にとっての愛は、自分の思う通りでいてくれること。愛しているのなら、自分の思う通り行動してくれると思ってそう。
自己肯定感が低く、社会的に賞賛される立場、人であることを重要視してそう。モラハラ気味で序盤から恐怖を誘う。それで、自分を愛して欲しいけど、自分を愛してくれる程のものではないと思っているから、立場や職種といった外側で自分が優位な立場にいれる人としか付き合えないし、外側で好きなってくれたと思っているから自己の開示も出来なさそう。どうやったら幸せになれるんだ…。

文。更紗を誘拐した人。ペドフィリア?らしい。

母親が"正しい"人。母親が上手く育たなかった木を失敗作として捨てるシーンをよく記憶しており、正常に成長しなかった自分も母親にとって失敗作であり、棄てられたと思っている。

その人のあるがままを肯定することができる?誰にでもできるのかは分からないが、更紗に対してはそうだった。自分を受け入れてもらいたいから、相手を受け入れるのかもしれない。
この人にとっては、大切にすることがおそらく愛。相手が望むように行動する側面がある。

この映画では、一貫して水が演出に出ていた気がする。明るく柔らかい川の水面、流れる水の音、水の中にあるみたいな音、雨、池、涙。
あと、光。柔らかな明るさは楽しかった記憶。嫌な記憶の時は明るさのコントラストが強く、明るいのに刺激が強すぎて、不安感を煽る。静かに穏やかに暮らした時は間接照明みたいな明るさ。

俳優さんの演技が上手だった。顔から嫌悪感や虚無感って出せるんだ。あと、わかりやすく怒ってる雰囲気を出したり、感情が膨れ上がっていく様子を演出されたりすごかった。
広瀬すずさんの撫でられる時に罪悪感から逃げようとするところ、怯えてる演技が本当に好き。そうなるよね!!って感じ。あと、暴力を振るわれた後でも文が伸ばした手には怯えないとこも文には何されてもいいと思っている更紗が読み取れて感動した。また見たい。

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