4月20日

窓から見えるものが鮮やかで眩しい。
夏だな。

無気力は人を失望させるけれど、やる気は人を絶望させるものだと思った。
黒と白みたいなものかもしれない。
無気力な人はやる気のある人を見て絶望するかもしれないし、
やる気のある人は無気力な人を見て失望するかもしれない。
ああ何も説明できてないな。
いつだってぼくを惨めたらしめてきたのは人の行動だったと思う。
言葉に傷ついたことも多いけれど、ぼくを本質的に貶しめたのは行動だったのだと思う。ぼくにできないことができるのが羨ましい。うそだ。ぼくにもできる。やらないだけで。いいや違う、やらないんじゃなくできないからやれないんだ。うそだ。ぼくにもできるのにやらないんだ。じゃあ、できることをしないぼくは、あまりにも自分を操るのが下手くそじゃないか。自分を操れない人間ができることなんてたかが知れていると思った。だからぼくも行動しようと思った。
惨めだ。わかっていて言葉にしないことも、理解できているのに言葉に起こすことも。
自分にすら虚栄を張るものだから、ぼくにできる最低ラインがわからなくなってしまった。よく、できることをクリアして自信をつけて、レベルアップしていけばいいだなんて聞くけれど、ぼくはどうもにがてらしいというか、コツコツができなかったが故にこうなって、いや、ちがう。自分の最低ラインが理解できてなかったからか、いやきっと、事実上の最低ラインよりもぼくは自分を落としてしまうことはわかっているから、むしろできないようなことを目標にしたほうがいいのか。

人間はきっと、いや、ごめんなさい。主語が大きくなった。
ぼくはきっと逃げて逃げて逃げて、それでもやっぱり上にいる誰かに焦がれてしまう生き物だから、このままではいられないのだと思う。そうしてなんかいも、翼を焦がしたものだから、いや、翼なんてたいそうなものは持たなかったけれど、怖くて仕方ない。

ひとがこわい
どんな目でぼくを見るだろうか。
きっと誰もぼくを知らないだろうし、でもぼくが見えるものだから、こわい。
ぼくはあなたの目にどう映っていますか。人間に見えていますか。見えているでしょうね。だってぼくは人間だから。
人間なんだもんなぁ。人間としていきたいよなぁ。ぼくが想う、”人間”として生きたいよなぁ。
中身がどうであれ、自己評価がどうであれ、ぼくはぼくが人間として見られることを知っているわけで。ほんとうは猫にでもなってまどろんでいたいのに。人間だからそうもいかない。言葉は通じるし、ある程度のことは察せるし、生きていくのに誰かの存在がある。自殺しても人間だし、生きようとしても人間だし、どう考えたって人間だし。ああ、諦めるしかないよなぁ。にんげんとしていきなくちゃ。ああいやね。わかってるんです、人間だって。どんなに思考放棄したってそれからは逃げられないんですね、ここにいようとする限り。

人間であるなら、人に優しくありたいし、自分に厳しくありたいし、楽しいことをしたいし、一緒にいる人に幸せそうに笑ってほしいし、イライラして欲しくないし、イライラしても笑っていたいし、誰かのために行動してみたいし、誰かのあたまを優しく撫でてみたいし、ハグもしたいし、一緒に眠ってみたいし、草の匂いを感じたいし、雨に打たれたいし、海を眺めたいし、木の枝に座りたいし、布団にくるまりたいし、自分の子供を抱いてみたいし、友達の結婚式に呼ばれてみたいし、好きな服を着てみたいし、ピアスをつけてみたいし、本を読みたいし、絵が描きたいし、見える景色を切り取りたいし、犬を撫でたいし、猫と遊びたいし、魚のうろこを観察したいし、空を飛んでみたいし、ああなんだかどうにもたくさん、人間にはやりたいことが多いらしい。ぼくもそうだよ。人間にはできることがたくさんあるね。よくを言い出したらキリがないや。ああそうだね。ぼくはこう言う人間だから。生きるしか、ないなぁ、ずっとねむっていたいけれど。

どんなにかっこつけたくたって相応の人間しか象れないし、だからといって人間以外は象れないし、うん。ねぇほんとうに。勇気なんかないよ。やる気だってないよ。生きるしかないなぁって、おもうから、まだ死んでないから、生きるしかないなぁって想うんだよ。あなたがそう思えなくても。苦しいな。生きるのは苦しいよ。心はすぐ痛くなるし、頭は動かないし、体は鈍っているし、できることは、ぼくが思っているよりずっと少ないし。
誰かと一緒に眠りたいな。できるならばそれが、あなたであればいい。泣きたい。
ありがとう。生きなくちゃなぁ。

ああけれど、あほらしいな

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