感想文:おやすみプンプン

 実を言うと、おやすみプンプンという漫画については8年前から知っていた。
2015年くらい、盛り上がり始めたTwitterの暗がりの中では教科書のような存在だったから。そこのお兄さんやお姉さんたちの、今のTwitterではワンクッション置かなければ見られないような赤黒い写真や文章になり損なった日本語もどきたちに混ざって、おやすみプンプンについて誰かが語り出すと一つまた一つと別のアカウントもその作品について触れるのだ。
白い照明ばかりが光って、そして生臭い。そんなスーパーの鮮魚コーナーみたいなインターネットの片隅で絶賛される作品。“メンヘル“な人々のバイブル、それがおやすみプンプンへの認識だった。

 毎日無料で65話まで読んだタイミングで、七夕に乗じた全編公開で一気読みをした。13巻もある、しかも表紙が出来損ないのはとサブレみたいな作品を買って読もうとは今まで思えなかったから。ごめんなさい。きっと来月あたりのカード支払いに余裕ができた私が買うことでしょう。見開きで見たいシーンが結構ある。

 呪い、自分勝手、性欲。負の3本柱が支える漫画だったと思う。
 叔父さんが生まれてきた自分の子を見て「希望じゃないか」と言ったけれど、自分にはそれこそが呪いに思えた。
だって、この漫画は呪いをかけられた子供が大人になるまでの話だったのに。そんな話の中で子どもを希望と感じてしまうのは自分勝手だ。まあ子どもは親の勝手な都合で生まれてくるんですけれど。このシーンには負の3本柱が全部ある。

「プンプンが、もし、またあたしを裏切ったら今度は殺すから」
「約束したよね。あたしを裏切ったら今度は殺すって。」
 愛子ちゃんは本当に可哀想な家の搾取される子どもだったけれど、同時にプンプンからたくさんのものを奪っていった女の子でもあると思う。一線だけじゃなくて、結局殺す権利も死ぬ権利も、或いは一緒に幸せになるという未来すら全部全部愛子ちゃんが奪っていったのだとも思う。プンプンは愛子ちゃんに殺されたかったけれど、愛子ちゃんはそれすらせずに、なんならプンプンが愛子ちゃんを殺そうとした時には拒否したのに、先に死んでしまった。そうして、約束を守らせてもらえないままだったプンプンに短冊で最後の最期まで呪いを遺していってしまった。もしかしたら彼女がプンプンに与えてくれたのは、呪いだけだったのかも。

 さっちゃんは、逆にプンプンの手を引く存在で一貫していた気がします。中絶の待ち合わせも、プンプンが引き返せる可能性の一つにはなっていたんじゃないでしょうか。もちろんその手をプンプンが取るってことはなくて、プンプンはまたもや夕方の18時に女の子を裏切る形になるのですが。
ただ、143話で彼女がプンプンを見つけて、手を差し伸べたのが救いであるかはなんとも言えないところです。各人の解釈にかなり委ねられると思うので。個人的にはさっちゃんもまた自分勝手な大人なんだなとは思いました。結局、プンプンが愛子ちゃんに求めて潰してもらった左目も、一応見えるようになってしまいましたし。或いは、それが愛子ちゃんという、プンプンの愛を勝ち取った女の子へのささやかな復讐なのかもしれない。

 思いつくままに書いてしまったけれど、一人の人生を漫画にしただけとも言えるかもしれない。別れ際に手を振った時のプンプンはクラスの仲が良かった誰かでしかなくて、他人の目には案外普通に見えてしまう。注目して見て触れなければ他人の人生なんてそんなもので、こうやって世間は回って——
呪いも何処かで繰り返されていくんでしょう。

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