推しの作画がいい

Sexy Zone、ちょっと作画がよすぎないか?????????(?)

2020年のカレンダー表紙が公開されて以来、ずっとそう思っている。
いや本音を言えば極東DANCEのMVが公開されたときから……いや、違うな。Sexy ZoneをSexy Zoneとして意識したときからずっとそう思っている。

弁解させてもらえるなら、もちろん顔の良さだけで彼らを好きになったわけではないのだが、如何せん彼らのことが気になる最初のとっかかりというのが「ウワッ!!!顔がいい!!!!!」だったため、それ以来ずっと彼らに対して「ウワッ!!!!顔がいい!!!!!」という気持ちでいる。

彼らが三次元に生きている人間だというのはよくよく理解しているのだが、あまりの顔面の整い方に脳がバグってしまい、最終的に「作画がいい」という言葉に落ち着いてしまう。いや落ち着くな。
私は毎日鏡で自分の顔を見つめることで、この世にはとっちらかっている顔面が存在することを痛感している人間なので、顔面が整っている人間に対して恐怖にも似た感情を抱いている。顔がいい人間……それはもう自分とは根本的に違う生き物なのでは………?(同じ人間ですよ)

顔がいいということはもうそれ自体が一つの「ギフト」であるなぁとつくづく思う。私はごく普通の社会生活をしている上に美意識がどん底の人間なので自分を美しくすることを諦めて久しいのだけれど、それでも自分の外見がもういくらか整っていれば今とは違う生き方をしていただろうと思うこともある。具体的には学生生活とか就活とか。性格だって多分今とは違うものになっていたに違いない。
もちろん人は見た目のみで判断されるべきではないし、それを売り物にするわけでない以上、整っていようがとっちらかっていようが別に構わないはずだ。現にとっちらかっていようが毎日元気よく生きている私のような人間もいる。

Sexy Zoneは5人が5人ともそれぞれメチャクチャに顔がいい。そしてそれぞれに世間擦れをしている部分がありつつも、どこか浮世離れしたようなところを持ち合わせている。そういう『非現実感』が、私に彼らのことを「作画がいい」と思わせているところなのだと思う。
彼らはきっと顔がいい人生しか歩いてきていないので(そりゃそうだ)、己が持って生まれたギフトがどれほどの価値のあるものなのかなど考えたこともないと思う。持たざる者からすると、それは幸福なことだと思ってしまうのだが、きっとそういう気持ちを抱く人間がいるということも彼らは理解しないと思う。そういう、自分とかけ離れた彼らをこそ愛おしく思っている。Sexy Zone、一生私なんかと分かり合えないまま生きていてほしい(?)。

しかし160ページ286カットのカレンダーって字面を見る度に笑ってしまう。顔面が強すぎるとカレンダーが160ページになるのか………一年って365日しかないはずだが………?
手元に届くのが楽しみでワクワクしちゃうな~~~~!!!