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嫌い

先ほど、武蔵小杉駅を歩いていた、前からグラサンの女の人が走り出したな、と思ったらばーちゃんにぶつかって倒れてきた。しかし私の狂人な肉体は衝立となり事なきを得た。自分の方に倒れ込んできたのでそのまま行ってもよかったのだが、自分も歩いてるからそこそこの衝撃になったので、スマンポーズをしてさっさとそこから離れることにした。ばーちゃんは「最近の若者はねー」みたいな顔をしていた、本当の胸中は謎であるがこの瞬間ばーちゃんはあのグラサンを少し嫌いであろう。

ふと、誰かと酒を飲んだり、インターネッツでも嫌いの話は多くあると思う。何年か前に嫌いを撒き散らすタイプのアカウントはフォローするのをやめた。SNSだって平和がいい。最近youtuberと酒を飲んだりするんだけどほんとあいつらはクソリプがガシガシくる。このご時世にポコチンの写真も来る、見せてもらったがオレより立派だった。更にそれを送ってるのが大学生だってんだからイカれてやがる。まぁ、一般人であるが故、金にならないクレイジー一般人とは距離を置いて生きていきたい。

で、この嫌いってやつについて何かを勘違いしているケースというものがあると思う。例えばこの武蔵小杉のケースは「グラサン女」がよろしくないのであって若者じゃないし、チューバーの件は大学生の男じゃなくてその「ポコチン写真送信家」がよろしくないわけである。大体だれかの嫌いを聞くと個人が嫌いでそれが拡大解釈されただけってことはままある。

嫌いの裏側には何かしらエピソードがあるっていうような話を言いたいのよ。で、その個人を言うのは憚れるから、そいつが属するグループを嫌いになるわけで。だから、前田敦子の「私のことは嫌いになってもAKBは嫌いにならないで」って言葉になるのよ。ただ、これ前田の方もオタクはそう言った感情の整理が出来ないやつ多いって思ってそうなんだけど、、、正直オレも思ってるしそんな奴が多そうだとは思ってる。あと、そう言うやつは声がでかい、1人で5人分行く。まぁ、それはそれでしょうが無いとして個人が他の個人と初対面でお話をする際にはいろんなフィルターを外して、今までの経験からの話を消して、フラットに入らないといけないなと思うの。そら、占いなんか全否定よ。あいつら最近統計学とか言うのよ、どこの統計だよ、お前一人の統計でものを語るんじゃあないよ、占いに来るような人間が統計の大半のくせして。

だからおばぁちゃんには今回のことを言うときに、クソ人間を最初につけて欲しいのね「若いグラサンの女の人」にぶつかったんじゃなくて「クソ人間の若いグラサンの女の人」って言うと、世界は少し良くなる気がするのよ。

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