ドライブ紀行「忘れられない旅」 その1.蒜山高原の秋
1.牧歌的な高原ドライブ
岡山県と鳥取県の県境に丸みを帯びて女性的な三つの山が寄り添うような形で並んでい る。
蒜山三座と呼ばれる山々で、南麓一帯は広大な蒜山高原となり、「岡山のチベット」 といわれる中国山地の麓まで東西二十キロ、南北十キロの大草原となっているe
「県道をはしっていたのでは蒜山の本当の良さはわからんじゃろ…」土地の人にすすめられ、高原観光道路に入ると急に視界が開け、およそ日本離れした牧歌的な景観が展開する。
澄みきった青い空、深い緑の森を背景に、広々とした牧場に薄茶色の乳牛がのんびりと草を食んでいる。「ジャージー種ですよ。酪農の町をめざして飼育しているんです」。一般のホルスダイン種より乳量は落ちるが、脂肪分は多く味もいいとか。
銀色に光るススキを分け入るように中蒜山のすそ野を走る。やがて舗装がきれ地道に出 るが、まったく苦にならない。対向車もない。一瞬舞い上った砂ぼこりも、澄んだ大気の中にすぐにきえてしまった。
蒜山の山々は、 そろそろ色づきはじめていた。この辺り植物の種類も多く実に二千種を越えるといわれている。山頂付近はブナの原生林におおわれ、 またシコクフウ、 ツクシゼリなど高山植物の群落もみられるウルシ、ヤマザクラ、ツタなどがやがて真つ赤に燃える。
2.伝統の里・郷原
蒜山の豊富な樹木に最初に目をつけたのは木地師であった。木地師とは、山中に住み、木をきってはロクロで椀や盆、大きな木地鉢をつくった人々のことで、 木がなくなると、また良材をもとめて山へ移っていった。
蒜山の言い伝えでは、二百五十年ほど前、 上方ら公家が落ち延びてきて、木地塗りの仕事を始めたのだという。トチノキを材料にロクロを回し山の漆を縫った漆器は郷原塗(こうばらぬり)と呼ばれ、山の娘のように素朴で健康で手堅い塗りであったという。
旧大山街道にのぞんだ郷原では、 この漆器を大山参りの客を相手に売り繁栄したといわれているが、結局は手工業の段階を出ず、 明治になって能登の輪島塗りなどの大資本に圧倒され、今では昔日の面影を全く残していない。
繁栄を極めた郷原の塗り師たちが、文久三年に寄進したといわれる石の大鳥居は、今では郷原の名物となっている。石造りとしては我が国最大のもので、十四メートルの高さに巨石を積み上げるのに土を山のように盛り上げて足場にしたそうだ。
この石の大鳥居のすぐそばの道端に、ひとかかえもある大きな石が理まっている。先端をくりぬいて直径二十センチほどの穴をあけてあり、「くくり石」という。「大山参りの旅人がここに馬をつないで休憩したという説がありますが、 これは庄屋さんにおさめる年貢を運んできた牛や馬をつなぐためのものです」。おりよく居あわせた中学校の先生の説明を聞いてよくみるとなるほど、その「くくり石」は、いかにも元庄屋にふさわしい大きな構えの家の前に埋められていた。
3.殿様気分の山菜料理
「蒜山おこわ」「蒜山そばL「シバグリ」など、高原の秋は味覚がいっぱいだが、なんといっても圧巻は山陽休暇村の「山菜料理」。蒜山でとれる山の幸・川の幸を材料に百五十種もの献立があり、季節ごとに変わった味が楽しめる。郷原塗りの大きな木地鉢に「稲穂から揚げ」「フキノトウ水煮き」「川海苔」「ヤマメの子」「タニシの酒蒸し」など、聞くのも見るのももちろん食べるのもはじめてのものがズラリ。
和物は「クサソテツのからしあえ」「タラの芽ミルクあえ」など五種類。「ツルニンジンの味噌漬け」など漬物だけで十種類。天ぷらではサルトリイバラ、アカツ、ニワトコ(これは接骨木という文字どおり骨折時にたべるとよいそうだ)、イカリソウ、タチツボスミレなど十八種類。その他、 炊き合わせ、焼き物など全部で五十種類の料理が並ぶ豪華坂。
ちょっとした殿様気分が味わえる。「料理する日の朝、必要な分だけ材料をとりにいく」ので行ってから申込んでもダメ。(私が行ったのは、かなり昔の事なので今も食べられるかどうかかは、わかりません)
飲み物がまた変わっている。自家製の果実酒「マタタビ酒」「マツブサ酒」はどれも甘くて軽いので女性向き。クロモジの木の皮でつくったクロモジ酒は、 シブ味がよくきいているのでカラ党の本格派にも好まれそうだ。
お茶は熊笹の葉を煎ったもの。この熊笹茶を常用している島根県のある村では癌の発生が全くないことから「熊笹茶に癌に有効な成分があるのでは....」と研究が進められているそうだが、山菜料理で殿様気分を味わった後で、ちょっとクセのあるこの熊笹茶を飲むと、今度はパンダになったような気分だった。
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