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「出産が辛かった」という気持ちをちゃんと整理するために書きました

2023年1月10日、私は帝王切開で息子を出産しました。

妊娠中の経過はとても順調でした。
つわりはしんどかったけど、妊娠糖尿病や高血圧もなし、感染症や貧血もなし。
エコーでもいつも赤ちゃんは週数よりちょっと大きめで、旦那も「やったね!」と言ってました(何が「やったね!」なのかはよく分からない笑)
両親から、私自身は予定日より早めに生まれたと聞いており、予定日より前か後かみたいなのは遺伝しやすいというのをどこかで見かけたので、だったらこの子も予定日より前に生まれるのかな〜なんて思っていたし、ちょっと大きめなら早めに出てきそう!と予想してました。
しかし、予定日(2022年12月27日)を過ぎても兆候がほとんどなく、2022年内に生まれるやろ〜と考えていたこともあり、2023年のお正月を普通に過ごせてしまったことにびっくり…というか、焦りました。
(単純に、2022年内に出産というビッグイベントを終えたい気持ちがだったんじゃないかなと思います)
私は妊娠する前から絶対無痛分娩で産む!と決めており、無痛分娩の説明会などにしっかり参加して、麻酔を入れてもらえる条件をクリアしていました。
そして、私が診てもらっていた病院では初産だと計画無痛じゃなくて自然無痛しかできないので、子宮口が開くまである程度の陣痛は頑張らねば!と陣痛が来たときのイメトレに励んだり、会陰マッサージも真面目にやっていました。
(あと、安産の神として有名なサンシャイン池崎さんのいきみ練習とかもしました笑)

結局、年明けには予定日超過で誘発入院が決まり、初日は夕方から入院してバルーンを入れ、翌日から促進剤をしましょうと聞かされました。
ちょっと怖いけど、その時は入院2日目がうちの子の誕生日になるんだ!と思っていました。
促進剤ってすぐ効いて陣痛が来るもんだと思っていたので…
実際どうだったかというと、初日にバルーン(小)を入れたもののあまり子宮口が広がらず、2日目もバルーン(大)を入れることになり、そもそも促進剤にすらたどり着けませんでした…
しかも初日は2人部屋に泊まったんですが、同じ部屋のもう1人の人も同じくバルーン処置されており、その方は子宮口が開いたのか?陣痛に繋がったのか?は分かりませんが、気付いたらその方の荷物が撤去されていました。
その時は、取り残された感がすごかったです…
一応私も2回目のバルーンで子宮口は4cmほど開いたらしいです。
ちなみにこの日の夜、NSTで赤ちゃんが頻脈やらちょっと苦しいサインを叩き出し、夜10時ごろに始めたNSTが夜中の1時半まで終わらなかったです。NSTの拘束も辛いし、不安で仕方ない夜でした…
(最終的に大丈夫そうということで解放されました)

入院3日目、子宮口は4cmキープしてたので、やっと促進剤に進めました!
まあ、結果として本陣痛には繋がらなかったんですが…
促進剤って1日では効果が出ないこと多いから気落ちしないで、と助産師さんに励まされたりしました。
少なくともこの日は促進剤に進めたこと自体が嬉しかったので、そこまで落ち込んではなかったような記憶があります。
ちなみに泊まっていた2人部屋には新しい人がやってきたんですが、NST中に赤ちゃんが苦しいサインを出してたらしく、速攻で車椅子で連れていかれるのを目の当たりにしました。
怖い…何かある前に早く産んであげたい…と思ったのと、病院にいることで何かあった時にすぐ対応してもらえる安心感を同時に感じた出来事でした。

入院4日目、今日も促進剤して、陣痛が来なかったらもしかしたら帝王切開かも、という話をされました。
帝王切開の話が出たのは、おそらく先日、苦しいサインが一瞬見られたからかなと思います。
この日は助産師さん達も全力で陣痛促進しようと頑張ってくれて、足湯をしたり、乳頭マッサージを教えてくれたりしました。
この乳頭マッサージで乳腺が開通して、びっくりしました…!!まだ生まれてないけど、ママになる体の準備はできてたんだって感動した出来事でした。
で、促進剤を入れてたんですが、助産師さんと楽しくおしゃべりできてる様子を見た先生に「眉間に皺が寄るぐらいにならないとねえ」とか言われました。
全然そんな痛さにはならず、そして赤ちゃんも促進剤ナニソレ状態で、高い位置でプカプカしており、促進剤の影響で心拍が落ちることも特になく…
この状態だと急いで帝王切開する理由もないな、となったようでした。
お子の誕生日、またもお預け…帝王切開って聞いたから流石に今日だ!と思って心の準備もしてたんですが…
そしてこの翌日は日曜日ということで、緊急性のない促進剤はしない、ゆっくり休んでと言われ、マジか…となりました。
ちなみに一時帰宅という選択肢もあったんですが、帰って何すんねんという感じでしたし、どこかでコロナもらって来ても困るし、何より病院にいたらNSTで赤ちゃんが生きてることを確認できるから良いよね、ということを旦那と話して帰らないことにしました。
旦那にはちょっと会いたかったですが…旦那も私が入院してる間、いつ生まれるのか分からない状態で何日もモヤモヤしながら過ごしてたんじゃないかと思います…
この辺は流石にメンタルブレイクしてた気がします。
進まない現状、長引く入院…
この数日間、促進剤やNSTを陣痛室でやってもらってる時、隣の陣痛室から赤ちゃんの産声が聞こえてきたことが数回ありました。
でも、私の赤ちゃんは産まれない…
なぜかこのタイミングで2人部屋から個室に移動になったこともあり、確か泣いてました。いやもう、何回も泣いたから、もはやどのタイミングで泣いてたかなんて覚えてないんですけどね。2人部屋で我慢してた分、個室で泣いてた気がします。

入院5日目の促進剤お休みの日、たまにNSTされるぐらいで、本当にゆったりと過ごしました。
自称スパルタの助産師さんに、陣痛促進のために乳頭マッサージと階段上り下りを推奨されたので、他にやることもないので真面目に取り組んでたらその助産師さんに褒められました笑
(全然スパルタじゃないです笑)
また、帝王切開の可能性が高まってきたこともあり、私の不安を解消するためにあらかじめ手術室見学をさせてくれたりしました。
なにかと気を遣ってくださる助産師さん達に優しくされる度、こっそり泣いてたなあと…

翌日の入院6日目も祝日だったので、たぶん本来は促進剤をやらない日だったと思うのですが、私がトータル3日間は促進剤に挑戦したいと伝えていたので、やってもらえました。
ここまで読んでくださった方はお察しだと思いますが…結果、何も変わらずでした!!
ここで、翌日の帝王切開が正式に決まりました。
陣痛室で旦那に電話をかけ、先生が電話越しに帝王切開について説明してくれたりしました。
この日の夜は、42週0日でやっと終わる安堵感と、帝王切開への不安で、さすがにメンタル不安定でした。
卵巣嚢腫の手術(腹腔鏡下手術)をしたことはありますが、下半身麻酔で意識のある状態でお腹を切られるって考えると、やっぱり怖かったです。
ただ、その後旦那が「明日ドキドキする」とLINEしてきて、それ手術される私に言う!?と思って少し元気が出たりしました笑
ものすごく不安な中、旦那が立ち会いしてくれるのが嬉しかったです。
この日の夜はなんだかんだちゃんと寝た覚えはありますが、やっぱり色々考えました。
こんなに長く入院して、3日も促進剤したけど何も変わらなくて、みんな「お腹の居心地いいのねー」って言ってくれるけど、こんなにも出てこないなんて、お子は私に会いたくないのかな…とか、変なことを考えていました。
私は会いたいよ!!
旦那が赤ちゃんのお世話を楽しそうにしてるところを見たいよ!!
実両親、義両親をおじいちゃんおばあちゃんにしてあげたいよ!!
そんなことを考えて勝手に悲しくなったりしました。
あともう一個思ったこととしては、無痛分娩&安産を夢見て妊娠中頑張ってきたけど、帝王切開になってしまったことに関して、その結果生まれたお子を愛せなかったらどうしよう…とか余計なことを考えてしまいました。
帝王切開自体に偏見はなかったですが、たくさん調べて準備して理想で固めてしまった出産ができなかったことは、思っていたよりもダメージになっていたみたいでした。
とにかく陣痛がこなかったので、もっとたくさん歩いて運動してたら来たの…??努力が足りなかった??とも思いました。どうなんでしょうね。誰にも分かりませんね、これは。
あと帝王切開だと、2人目を授かったらやはりまた帝王切開になるというのも地味にダメージを受けました。
普通分娩より避妊期間を長くとらないといけないので、もともと旦那と話していた二人目計画に狂いが生じたのもちょっと悲しいというか申し訳ないというか…
(※そもそも授かりものなんだからそんな計画通り行くと思うなよ、というツッコミはその通りだと思います、ハイ)

つまり!
妊娠自体は大変順調だったので、出産も無痛分娩(安産)を前提にいろんなことを決め決めにして理想を作り上げており、その理想からだいぶ離れた出産になったことで、計画通りにいかなかった焦りや自責などで、心が追いついてない部分が多々あった、と。
そしてそれをイマイチ言語化できず、助産師さんにもポジティブに誘発頑張ります感を出してしまい、1人で抱え込んでなんとなく泣いていた、
というのが、「出産が辛かった」の詳細かな、と思います。

帝王切開当日は異常に落ち着いてて自分でもびっくりしましたが、麻酔が入って下半身が自分の意志で動かせなくなったあたりでちょっと怖くなりました。心拍数が明らかに上がりました。
ちなみに(産後の痛みは別として)出産するまでに受けた痛みで一番痛かったのは、硬膜外麻酔のためのカテーテルを入れる前の、局所麻酔だったかもしれないです。
まあまあ痛かったですが、耐えて背中を丸め続けてたら、助産師さんに
「我慢強い!ここ反っちゃう人多いんだよね!」と褒められました笑
硬膜外麻酔が効いてると、おなか切られてる間も、なんとなく触られてる…ぐらいにしか感じませんでした。
でもやっぱり怖いので旦那の手をずっと強く握ってました。
お腹からお子が出てきた時は、感動とかでなく、本当にお腹にいた!!って感じでした。
この時、感動で泣いたりしなかったことも、自分の理想との乖離だったかもしれないなーと今は思います。
しかも新生児一過性多呼吸でNICUに連れて行かれたので、あんまり長く触れ合えなかったんですよね…
産んだ、母になった、という実感がその時あまり湧かなかったんです…
これもまた、理想と現実のギャップでちょっと悲しかったですね…

術後はしばらく悪寒止まらなかったりしましたが、その後は産後ハイが来たのか、いろんな人にLINEで出産報告をしていました。
母になった実感が湧いたのは、次の日に車椅子でNICUに連れて行ってもらって、やっとお子を抱っこできたときでした。
この日は夜ご飯にステーキとケーキが出て、とても美味しかったことを覚えています。
かわいいお子がいて、おいしいご飯が食べられて、私は本当に幸せだなと思ってこの日は眠りにつきました。

これが、私の出産の全貌です。
たしかに出産翌日にものすごい幸せを感じることができましたが、色々な理想と現実のギャップにぶち当たって消化できないまま、育児に突入してしまい、産後のメンタルにもかなり影響を与えました。
(どっちにしろホルモンバランスのせいで産後のメンタルは壊滅的なので、出産が辛かったかどうかに関係なくメンタルブレイクしてたかもしれないですが…)

Twitterで「スーパー安産でした!」「無痛分娩神でした!」みたいな声を見かけると、ザワザワしてしまっていました。
私の理想としていた出産ができてる方々がうらやましかったんでしょうね…
無痛分娩でやり直せるなら、正直ちょっとやり直したい気持ちはあります!!
でも、私も死ぬことなく、お子も死なせることなく、帝王切開で無事に生まれた、それはもう当たり前でなく奇跡だし、それもまた私の努力がもたらしたものには違いないので、自信を持って今後生きていきたいなと、今は思っています。


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