「元聖女と影のクエリア」第3話

 サクの聖力《クエリア》は『影』だ。
 空間にある影を自在に操作し、新たな物体として世に顕現させることが可能で、応用力や利便性に優れている。
 たとえば、影の中に空間を生み出し自由に行き来を可能としたり、自身の体に鎧を模した影を纏って通常以上の筋力を身に着けたりと。
 その力は少数精鋭の特務聖女機関《リアフォーリア》の中でもトップクラス。
 今まで一度もタイマンでの勝負に負けたことがないほどの実力を有している。
 そんなサクに、寝静まった夜———一人の来客が訪れる。
「……サク」
 寝間着姿のリーゼロッテが、瞼を擦りながらサクの部屋に現れた。
「なんだよ、今から寝るところなのに」
 ベッドに寝転がろうとシーツを捲っていたサクが振り返る。
「なんか、結界内に記憶にない人間が一人いる……」
 リーゼロッテの聖力《クエリア》は『記憶』。
 記憶を覗いたり、本人が思い出せない記憶を含め操作が可能で、その効力は人間だけでなく物体にも及ぶ。
 加えて、一定範囲内の結界と呼ばれる領域を構築すれば、草木や石から見覚えのない人間が通れば自動的にリーゼロッテへと共有される。
 これは聖女を四六時中守るために作られたものであり、襲撃を事前に阻止するものだ。
「ってことは、また誘拐犯か? 昨日もじゃん」
「だから、あとはよろしく……」
「そんで昨日も俺が駆り出されたじゃん」
「私、眠い……」
「その理由も昨日聞いたなぁ!?」
 サクが訴える中、リーゼロッテは無視してそのままサクに背中を向けて部屋を出て行ってしまう。
「じゃあ、よろしくぅ……」
 リーゼロッテが消えると、サクは大きなため息を吐いた。
 そして、ぼりぼりと頭を掻くと仕方ないといった様子で立ち上がる。
「あいつ、どこにいるのか言わずに寝に行きやがった」
 これではどこに行けば倒せるのか分からない。
 そうなればソフィアの部屋に行って襲撃を待つしかないのだが、それだと問題が山積みだ。
(ソフィアに襲撃された瞬間を見られるリスクもあるし、そもそも女の子の部屋に無断侵入とか……)
 そうはいっても命には代えられない。
 リーゼロッテに聞きに行けばいいのだろうが、呼び戻し起こしている間に誘拐されたともなれば目も当てられない。
(まぁ、あいつが急いでなかったってことは離れた場所にいるんだろ……悩む前にさっさと行こ)
 サクは少し足を速めながらソフィアの部屋へと向かった。

 ♦♦♦

「お、お邪魔しまーす」
 そろりと、サクはソフィアの部屋に侵入していく。
 ベッドにはあどけなくも可愛らしい寝顔を見せるソフィアの姿があった。
(まぁ、そりゃ寝てるわな。夜更かししたくても寝ちゃうやつだし)
 ソフィアは今までの生活サイクル上、早寝早起きしかできない。
 規則正しい生活だと言われればお終いなのだが、夜更かししたいと言っている本人の願望は可哀想なことに叶えられないままだ。
(……ほんと、こっちの気も知らないまま可愛らしい顔で寝やがって)
 サクは不審犯がいないことを確認すると、ベッドに頬杖をついてソフィアの寝顔を覗く。
(昔から変わらんな、ソフィアも)
 ―――サクとソフィアは幼馴染だ。
 平民で、家が近くて。熱心な信徒であるソフィアはシスターになって。
 ある日、ソフィアに誘われて教会に祈りを捧げに行って。
『サク、たまには一緒にお願いしましょう! 女神様ならきっと祝福してくれるはずですからっ!』
 そうして足を運んだ時、ソフィアは女神からの恩恵を賜って聖女として選ばれた。
 そして、その時傍にいたサクも同じように恩恵を賜る。
 あとはなし崩しに大聖堂に誘われて特務聖女機関《リアフォーリア》に所属したような形だ。
(まぁ、あれがなけりゃソフィアとは離れ離れだったかもしれねぇし、結果オーライなのかも)
 面倒臭がりのサクがこうして仕事をしているのもソフィアがいるから。
 そうでなければ、今頃皆と変わらぬ平和な毎日を送っていただろう。
「……幼馴染っていうのも困りようだとは思いませんかね、ソフィアさん?」
 サクは苦笑いを浮かべながらソフィアの頬を突く。
 むにゃむにゃと、サクの存在に気がつかないソフィアは口元を動かした。
 それがなんとも可愛らしくて、サクはたまらず何度も突いた。
 すると―――
「んんっ……サクぅ……」
 寝返りをうったソフィアの腕がサクの頭へと当たり、回された。
 感触があったからか、その腕はそのままサクの頭を引き寄せて胸へと抱き始める。
「~~~ッ!?」
 甘い香りに柔らかい感触。
 突然抱き締められたことによってサクの顔は真っ赤に染まってしまった。
(マ、マズいマズいマズい!)
 抱き締められてしまえば身動きが取れなくなり、今この状態で誰かが来れば対処が難しくなる。
 加えて、顔立ちの整っている美少女に抱き締められる……これがサクの動悸を上がらせた。
「ふへへ、サク……」
 幸い、ソフィアは寝言を口にするだけで起きてはいない。
 ゆっくりと抜け出すことは可能だろうか? サクは試しに起こさないよう腕から逃れようと試みる。
 だが、動こうとすれば逃さまいと抱く腕が強まってしまった。
(ソフィアさァん!? 離してくれませんか、起きたら絶対後悔するでしょ、特に俺が!?)
 とはいえ、寝ているソフィアに起きたあとのことなど考えているわけもなし。
 そもそも、サクを抱いていることどころかサクがこの部屋にいることすら気がついていないはずだ。
「サクの匂いがします……」
(そりゃ、俺がここにいるからな!?)
「幸せですぅ……」
(甘言すぎませんかね、さっきから!?)
 幼馴染とはいえ、こんなに何度も自分の名前を寝ている間に口にするなど男として嬉しく思わないわけがない。
 それほど慕ってくれている証拠であるし、普段と少し声音が違うため心臓に悪い。
(マ、マジで早く離れないと夜這いした男ってステータスが確立されてしま―――)
 そう思っていた時だった。
 ガチャリと、小さな音を立てて部屋の扉が開かれたのは。
 部屋に姿を現した第三者はリーゼロッテではなく───顔全体を布で覆った見知らぬ男。
「…………」
「…………」
 サクと侵入者の視線が無言で交差する。
 このタイミングで現れるとは思っていなかったサクに、こんな構図は想定していなかった侵入者がいるからこそこのような沈黙が生まれたのだろう。
 だが、それも一瞬のこと。
 すぐに現れた男がサクを倒そうと駆け寄るが、先んじてサクが体を起こし、男の顔を掴む。
「ッ!?」
「睡眠中にお邪魔してんじゃねぇよ!」
 掴まれた顔は地面に叩きつけられ、そのまま体ごと広がった影に沈んでいく。
「ふぅ……危ない、今のはマジで油断してたわ」
 男の姿がなくなり、サクは息を吐いて額の汗を拭う。
 リーゼロッテは一人と言っていた。目の前の男を倒せば、とりあえず脅威は消え去っただろう。
 しかし、また別の問題が浮上する。
「さて、俺もさっさと寝よ───」
「……サ、サク?」
 おっと、これはこれは。
「ソ、ソフィアさん……いつ起きられたので?」
 ギギギ、と。恐る恐るサクは振り返る。
 そこには目を見開いて放心しているソフィアの姿があった。
「サクが額を拭った時に……」
 ということは、誘拐犯の姿は辛うじて見られなかったということだろう。
 まぁ、思わず無理矢理立ち上がってしまえば触れていたソフィアが起きるのも当然だ。
 気づかれなかったから安心……などという話ではないのをサクは知っている。
「い、いやっ! これはですねソフィアさん! 語れないけど深い深い理由がございましてッッッ!!!」
 サクが必死の形相で訴える。
 しかし、シーツで体を隠しながら涙目になるソフィアは真っ赤な顔を見せて叫んだのであった。
「で、出ていってくださいッッッ!!!」
「すんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 ♦️♦️♦️

 ───その次の日の朝。
「聞いてください、リゼさん! 昨日、サクが私の部屋に勝手に入ってきたんです! しかも、夜! 私が寝ている時に!」
 食卓にて、いかにも「怒っています」という様子で朝食を頬張っていた。
「そうねー、女の子が寝ている時に忍び込むなんて最低よねー」
 そんなソフィアのお怒りを聞きながら、リーゼロッテはまた適当に相槌を打つ。
 一方で───
(こいつ、自分のせいで俺が忍び込むことになったことを棚に上げやがって……ッ!!!)
 サクは忌々しそうにリーゼロッテを睨んでいた。
 地面に正座、加えて膝に石畳を抱えた状態で。
「(庇えよ! 非常時で致し方ないってお前なら分かるだろうが、お前が行かせたんだから!)」
 サクは堪らずリーゼロッテにアイコンタクトを飛ばす。
「(はいはい、ごめんなさいねー)」
「(だから助けろって! 今時滅多に見ないぞ、こんな拷問!)」
「サク、聞いているんですか!」
 ピシャリとソフィアがよそ見をしていたサクに言い放ち、思わず背筋が伸びる。
「うっす! わたくしめが悪かったです!」
「そうです! そもそも、サクは日頃からデリカシーが足りません───」
 ソフィアがグチグチとサクに向かって説教を始める。
 それを受けながら、サクはひっそりと涙を浮かべて天井を仰いだ。
(納得いかねぇ……)
 その涙は誰も拭ってくれることはなく。
 ソフィアの説教は三十分も続き、サクは自分が作った朝食にありつけなかった。

 ♦️♦️♦️

「誰にだって、憂いはある」
 とある場所、とある光もない空間。
 そこで、一人の少女が嘯く。
「何が言いたいんですか、ご主人?」
「望んで特務聖女機関《リアフォーリア》に所属していた君には分からないだろうがね。私だって後悔を払拭する前はどうしても思ってしまうんだよ」
 同じ空間にいる男に向かって、少女は歪な笑みを浮かべた。
「元聖女でももう一度後悔するかもと、不安になるものさ───もちろん、私も《・・》ね」

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