「元聖女と影のクエリア」第1話

 聖女、という存在がいる。
 今や世界最大規模の宗教を誇るミレリア教の象徴として大聖堂に所属しており、女神から与えられた力によって他者へ癒しを与え、災いを取り除く人間。
 それは突然に、女神から選ばれた少女にのみ女神からの言葉が届けられ、その瞬間に恩恵が与えられる。
 ただし、聖女は十八を超えると聖女ではなくなってしまう。
 聖女がいなくなれば新しい聖女が選ばれ、聖女だった人間は微かな残滓だけ残してその役目を終える。
 そして、役目を終えた聖女は大聖堂からの感謝と支援を受けて普通の生活に戻っていくのだ───
「ここが僕の新しい職場……」
 ラーデン王国辺境の都市、ブルド。
 そこから少し離れた丘の上に建つ教会の前に一人、少年が物珍しそうな様子で建物を見上げていた。
 名前をユリス。
 ただの平民ではあるが大聖堂が定める規定を超え、無事に神父となった少年であり、本日よりブルドに建つ教会で働くことになった人間だ。
「緊張するなぁ、だってここには聖女がいるんでしょ?」
 変に見られていないかな、と。ユリスは辺りをキョロキョロと見渡す。
 誰もいないことを確認し、小さく拳を握る。
「よしっ!」
 ユリスは大きく一つ深呼吸をして、教会の門を一度叩いた。
 数十秒。それぐらいの時間が経ち、扉の奥から足音が聞こえてくる。
 すると───
「ようこそいらっしゃいましたっ!」
 姿を現したのは、明るく花の咲くような笑顔を浮かべる女の子。
 可愛らしくもあどけなさが残る端麗な顔立ちに、アメジスト色の透き通った双眸。ウィンプル越しから覗く輝かしい金髪と、よく見慣れた修道服。
 更に、どこか膝をついてしまいたくなるような神々しい雰囲気。
 ユリスは一目見ただけで理解させられた。
「せ、聖女様自らお出迎えですか!?」
 役目を終えた信仰する誰もが敬愛と尊敬を向ける聖女。
 その少女に出会ったことにユリスは驚いてしまった。
「むぅー、私はもう聖女ではありませんよ? お役目を終えたので、ただのソフィアですっ!」
「そうでしたね、すみません……」
「いいんです、人は誰にだって失敗はあります。私は気にしてません!」
「アハハ……ありがとうございます、ソフィアさん」
 ユリスは身嗜みを整え、軽くお辞儀をする。
「今日からここでお世話になります、ユリスです。これからよろしくお願いします」
「私の方こそ、よろしくお願いしますね」
 ソフィアは笑みを浮かべながら後ろに下がって中へ入るよう促した。
「改めて、ようこそいらっしゃいました───ブルドへ!」

 ♦️♦️♦️

 教会の中は意外と複雑な造りをしていた。
 ユリスが入ってきた入口は礼拝堂と繋がっており、その先にある扉を開けるとすぐにリビングが顔を出す。
 そこにはソファーに腰を下ろしながら紅茶を淹れ始めている一人の女の子がいた。
「あっ、戻ってたんですねリゼさんっ!」
 ソフィアと同じ修道服に、美しすぎる端麗な顔立ち、燃えるような紅蓮色の双眸と、きめ細やかな白い肌。ウィンプルを外しているため、瞳と同じ色の長いウェーブのかかった長髪が露になっていた。
「さっき買い出しから帰ってきたところなのよ」
「それはお帰りなさいです!」
 リゼと呼ばれる少女は手に持っていたカップをテーブルに置いた。
「それで、その子はもしかして……」
「今日からここで働くユリスさんです!」
 視線を向けられ、ユリスは慌てて身嗜みを整える。
 そして、少し頭を下げて自己紹介を始めた。
「大聖堂から派遣された神父のユリスです! 今日からよろしくお願いします!」
「ソフィアと同じシスターのリーゼロッテ・アスタルテよ。長いからリゼで構わないわ」
 ユリスは大人びたお姉さんみたいだな、と。そう思ってしまった。
 きっと、落ち着いている印象とどこか頼りになる雰囲気がそう思わせたのだろう。ソフィアと並ぶ姿がどこか仲睦まじい姉妹を連想させた。
(家名があるってことは貴族様なんだ)
 家名を名乗れるのは貴族だけ。
 教会は来るもの拒まず。貴族でも爵位も低く、家督が継げない人間など在籍していることがあるため、なんら不思議ではなかった。
「あれ? そういえばサクは……?」
 ソフィアがキョロキョロと辺りを見渡す。
「あぁ、あいつなら私と一緒に―――」
「たでぇーまー」
 リーゼロッテがそう言いかけた瞬間、リビングの扉がゆっくりと開いた。
 少し長めに切り揃えられた黒髪。それでいて、どこか気だるそうな態度と表情と反して鋭い瞳。
 ユリスとは違う祭服を見に纏っていることから、ここの牧師なのだと分かる。
 そして、その姿を見てソフィアが勢いよく駆け出した。
「サク、お帰りなさいですっ!」
「へぐっ!?」
 ソフィアは単にサクと呼ばれる少年が帰ってきたことが余程嬉しかったのだろう。
 駆け出した体は見事に腹部へと直撃し、愛と強烈さを含んだ抱擁にサクは一瞬だけくの字に曲がった。
「あ、熱い抱擁を受け止めるためには腹筋がまだ鍛え足りなかったか……ッ!」
「サクのお腹はがっしりしてますよ?」
「これ以上鍛えろと腹部に走る痛みが訴えておりましてねェッ!」
 首を傾げるソフィアがいるため、お腹をさすれないサクは苦悶の表情を浮かべる。
 しかし、そんなサクを無視してソフィアは嬉しそうに抱きついたまま体に頬擦りを始めた。
 その姿を見て、ユリスは思わず呆けてしまう。
「驚いたでしょ?」
「えっ?」
「あの子、サクに対しては甘えん坊なのよ」
 出会った時も十八歳とは思えないほど明るく無邪気な可愛らしい姿ではあったが、サクに抱き着くソフィアはそれ以上のように見える。
「二人はとても仲がいいんですね」
「ソフィアとサクは大聖堂にいた前からの付き合いらしいから、そうだと思うわ」
 苦笑いを浮かべて、リーゼロッテは再び紅茶を紅茶を淹れる。
「まぁ、ここでも仲がいいのは見れば分かるのだけどね」
「あはは……分かります」
 つられてユリスも苦笑いを浮かべる。
 仲睦まじいのは確かにリーゼロッテの言う通り、見れば分かるからだ。
「と、とにかく離れろソフィア……せめてお腹をさすらせてくれ」
「むぅー……分かりました」
 渋々といった様子で、ソフィアはサクの体から離れる。
 そのタイミングを見て、ユリスはサクの近くまで寄った。
「初めまして、ユリスです。これからよろしくお願いします!」
「おう、よろしくな」
 同じ男というだけで親近感が湧いてくる。
 だからこそ仲良くなろうと拳をひっそりと握るのだが、サクが唐突に背中を向けて入ってきた扉に手をかけた。
「んじゃ、顔合わせも終わったし俺は出掛けてくるから」
「えっ、今日も遊びに行くんですか?」
「男の子はいつになっても遊び心を忘れない生き物なのだ」
 そう言って、サクは手のひらを振りながら扉の向こうへと姿を消していく。
 現れてはすぐ消えて。ユリスは状況が飲み込めないままその場に立ち尽くしてしまう。
「あ、あの……僕、何か粗相をしたんですかね?」
「気にしないで、いつものことだから」
「サクはすぐどこか遊びに行っちゃうんです……」
 ソフィアがシュンと項垂れた姿でリーゼロッテの言葉に後付けをする。
「だからあなたが派遣されたっていうのはあるかもしれないわね」
「大聖堂からも容認、ですか」
 リーゼロッテに手招きをされたユリスはおずおずと傍のソファーへと腰を下ろした。
 それに合わせ、項垂れていたソフィアもいつもの表情に戻ってユリスの対面へと座った。
「大したおもてなしはできないけど、これからよろしくね」
「よろしくお願いしますっ、ユリスさん!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」
 ───新たしい環境、新しい職場。
 これからこの場所で、優しそうな人と誰もが敬愛する元聖女と一緒にユリスの生活が始まっていく。

 ♦️♦️♦️

 神父として配属されてからの生活は思った以上に目まぐるしいものであった。
 朝は信徒の人達と一緒に定例の礼拝を行い、日中は交代で祈りを捧げに来た信徒の対応、そして教会を閉める前に掃除をして分担された家事をする。
 共同生活である以上、ある程度のルールが設けられているため順応するには少しばかり時間がかかった。
 それでも新しい生活はとても楽しく、ユリスも充実した日々を送っていた。
「ソフィアさんはどうしてシスターになったんですか?」
 一週間が過ぎた頃のとある夕暮れ時。
 一緒に掃除をしていたソフィアにユリスは床を掃きながら尋ねる。
「正確に言えば私はシスターではありませんよ。そうですね、シスターもどき……といったところでしょうか?」
「シスターもどき?」
「聖女は女神から直接恩恵を賜った存在です。そのため、いくら女神の声が聞こえなくなったとしても一度も聞こえたことのないシスターと同列に扱われません。今やっているのは真似事、ですかね?」
 階級社会のようなものだ。
 一度上に立ってしまえば辞めたとしても敬われるような存在であることには変わりない。
 そのような者を下と同列に扱うことなどできず、同じ立場になることはあり得ない。
 加えて、ミレリア教は主たる女神こそ神聖視している。女神に近づいた者を自分達よりも同じ、もしくは下に見ることなど極端に嫌う。
 故に、いくらソフィアが望んだところでシスターにはなれないのだ。
「だったら、別の生活とか考えなかったんですか? ほら、確か聖女は役目を終えると大聖堂からいっぱいお金がもらえるって話でしたし」
「ふふっ、私は元の生活が好きなんです。豪遊など考えましたが、こうして皆様と女神を信仰している方が楽しいですし、性に合っています」
「それに、何も受け取っていないわけではありませんよ? この教会は私のためにわざわざ大聖堂が建ててくれたんですから」
「へぇー」
 ユリスは思わずキョロキョロと礼拝堂を見渡してしまった。
 造りは特段簡素なわけではなく、それどころかそこいらの教会よりもしっかりと造られているように見える。
(流石は聖女様、規模が違う……)
 理由は分かるが、いざ実際に目の当たりにしてしまうと驚いてしまうものだ。
「それに、大聖堂は毎月いっぱいお菓子もくれます!」
「いきなり規模が小さくなった」
「あと、夜更かししても週に一回までなら許してくれるようになったんです!」
「そして反応にも困るようになった」
 むふん! と。ソフィアは雑巾を持ったまま胸を張る。
 なんとも可愛らしくて魅入ってしまうような姿であった。
「夜更かしとは素晴らしいんですね! リゼといっぱいお話しできますし、遊びに行ったサクの帰りだって待てます!」
「あれ? ここに来てから一度も夜遅くまで起きている姿を見てないんですけど」
「おねむになってしまったら仕方ありません!」
(起きていられなかったのか)
 いちいち発言も反応も可愛い元聖女である。
「さぁ、早くお掃除を終わらせましょう! お腹が空いてしまいました!」
「そうですね」
 二人は話を切り上げ、黙々と掃除を再開していく。
 掃除を行うのは礼拝堂全体。そのため少し時間はかかってしまったが、しばらくして二人は掃除を終えて道具を片付けていった。
「そういえば気になったことがあるんですけど」
「なんですか?」
「いつも掃除が終わったタイミングで夕食ができているじゃないですか? あれって誰が作っているんですか?」
 リビングがある扉の方へと並びながらユリスとソフィアは向かう。
「えっと、それはですね―――」
 そして、二人は扉の前に立つとそのままドアノブに手をかけて開けた。
 すると、リビングの奥からエプロン姿のリゼが何やら食器を運んでいる姿が映る。
「あ、なるほど。リゼさんが作っていたんですね……って、どうしたんですかソフィアさん? 突然お化けに出会った子供みたいに僕の背中に隠れたりなんかして」
「お、恐ろしいことが起きてしまいました……ッ!」
「この平和的日常の一幕に一体何が」
 ユリスは背中で怯えるソフィアを見て首を傾げてしまう。
 すると、そんな二人に気がついたリーゼロッテが食器を持ったまま近づいてきた。
「あら、もう掃除は終わったの?」
「えぇ、今ちょうど終わったところで―――」
 そこで、ユリスは衝撃的な光景を目の当たりにしてしまう。
 具体的には遠目では分からなかった食器の上に乗っている料理の姿を。
 更に具体的に言えば、キラキラとした液状のような固形物のようなとにかく輪郭も原型も留めていない何かしらを。
「リゼさん、それは……?」
「あぁ、これ? 唐揚げよ」
「足りないっ! 唐揚げにしては形も解像度も何一つとして足りていないっ!」
「何を言っているのか分からないけど」
「分からないの!?」
「とにかく座っちゃいなさい」
 ユリスの驚きを無視して、リーゼロッテは持っている食器をテーブルに運んで二人に座るよう促す。
 とにかくおぞましい何かが食卓に並んでいるような気がしないこともないが、ユリスとソフィアは恐る恐る腰を下ろした。
「……昨日までの食卓は綺麗だったのに」
「……いつもはサクが作り置きしてくれていたんです。なのに、今日に限って」
 ユリスも体が震えてしまった頃、食器を並べ終えたリーゼロッテが対面に座った。
「さぁ、早く食べちゃいましょ。久しぶりの料理でちょっと味が心配なんだけどね」
(心配したのは味だけなのか)
(形は心配しなかったんですね)
 二人が発言に疑問に思っている中、リーゼロッテは肘をついて笑みを浮かべた。
 それは恐らく食べたあとの感想を期待しているのだろう。
 望みを叶えるためには、このらしきという表現さえも憚られる唐揚げらしきものを頬張らないといけない。
「ささっ、遠慮しないで♪」
 ごくり、と。ユリスは思わず息を飲んでしまう。
(い、いやいやいやっ! せっかくリゼさんが作ってくれた料理なんだ! 後輩としても男としても、ここは食べないといけないっ!)
 ユリスはリーゼロッテから見えないよう太股を抓って勇気を出すと、笑みを作って何故かフォークではなくスプーンを手に取った。
「い、いただきまーすっ!」
 スプーンですくったキラキラした液体をユリスは口へ頬張る。
 そして—――
「んー! さっぱりとしつつも酸味と甘みを感じる味わい! ドロドロゴリゴリとした感触から放たれるのは程よくなく過剰な辛さd」
 綺麗な蓮の花咲き誇る、透き通った水が流れていた三途の河が見えた。

 ♦♦♦

「あ、ユリスさんっ! 目が覚めたんですね!」
 ユリスが目を開けると、眼前に見下ろすような形で迫るソフィアの愛くるしい顔が映った。
「うぅ……一体何が……」
 体を起こすと、今度は先程まで掃除をしていた礼拝堂が映る。見渡しても横に座るソフィアしか姿はなく、静寂だけが礼拝堂に残っていた。
 尻に伝わる硬い感触から考えるに、どうやら寝かされていたのだと理解した。
「よかったです。食べたあとすぐに倒れてうわ言で天使様を呼んでいた時にはどうなるかと……」
「あれ? さっきまで綺麗な河があって僕を手招きしていたはずなのに」
「ユリスさんがその河を渡らなくて本当によかったです」
 ソフィアはユリスの横で胸を撫で下ろす。
「やっぱり、リゼさんの料理は危険です。治癒の恩恵がなければ今頃ユリスさんは天使様とハイタッチしてました……」
「もしかして、ソフィアさんが治癒してくれたんですか?」
「はいっ! まだ恩恵だけは残っていますので!」
 聖女として役目を終えた人間は女神からの恩恵が次の聖女に移される。
 しかし、それもある程度の猶予があり、二十歳になるまでは恩恵が体に染み付いた状態で残ってしまうのだ。
 故に───
「二十歳になってリゼさんの料理を食べてしまったら、私は……ッ!」
 身近に危険があると恩恵を手放すのが怖くなってしまうこともある。
「ありがとうございます、ソフィアさん。僕を助けてくれて」
 ユリスはぺこりと頭を下げる。
「いえ、あれはリゼさんがしちゃったことなので気にしないでください。それに───」
 ソフィアは優しい笑みを浮かべる。
「誰かのために何かをする。それは私が一番好きなことでしたから」
 ユリスはその笑顔を受けて、どうしてソフィアが聖女として女神に選ばれたのかを理解した。
 他者に対して慈悲深く、広い心を向けられる存在。
 心根が優しい彼女だからこそ選ばれ、聖女として慕われてきたのだろう。
 どことなく溢れる温かい雰囲気に、ユリスは思わず息を飲んでしまった。
「では、早く戻りましょう! あまり長居しちゃうと風邪を引いてしまうかもしれませんので!」
 そう言って、ソフィアは腰を上げてリビングへと繋がる扉へと歩き出した。
 ユリスも返事だけをして、その後ろをゆっくりとついて行く。
(あぁ、やっぱり彼女は聖女なんだな)
 名前と容姿を知っていたとしても、偽り騙せる方法などいくらでもある。
 しかし、確信にまで至らせる何かを感じさせることはできない。
 ユリスは間違いなく聖女としての何かをソフィアから感じた。
 だから───
(いただきます《・・・・・・》)
 祭服の中からロープとナイフを取り出した。
 そして、背中を向けるソフィアへとその二つを向ける。
 しかし、その瞬間───ユリスの姿が消えた《・・・・・・・・・》。
「あ、そうです! リゼさんにはちゃんと言い訳を……って」
 ドアノブに手をかける直前にソフィアは振り返る。
 だけども、そこにユリスの姿はなかった。
「あれ、ユリスさん……?」

 ♦️♦️♦️

「何、が……ッ!?」
 視界が暗くなったかと思えば、今度は自分の体が投げ出されている。
 地面を転がった際、草の感触が全身を襲った。顔を上げ、月が浮かび上がった夜空と教会の外観が視界に入り、ここが外なのだと理解させられる。
(でも、なんで外に!?)
 ザク、と。草木を踏む音が聞こえてきた。
 夜の暗闇から自分とは違う祭服を着た男が姿を現す。
「男同士語り合うことがあるんじゃないかって気を利かせてやったんだから、少しは感謝してるような顔をしろよ」
「サクさん……ッ!? どうしてここに!?」
「言わなきゃ分かんないか?」
 サクはゆっくりと地面に転がるユリスに向けて足を進める。
 一歩、一歩踏み込む度に夜景に溶け込むような黒い影が辺りに広がった。
「聖女は信徒の中から無尽蔵に選ばれるわけじゃない。血筋っていうのも、立派な女神の判断材料だ」
「…………」
「嘘言ってるわけじゃないっていうのは分かってるよな? 統計でも取れば一発で分かることだし、お前はそれを知っている」
 女神は確かに信徒の中から聖女を選ぶ。
 だがそれは決して箱の中から手を入れて選ぶくじ引きのようなものではなく、必ず何かしらの理由が存在する。
 その理由は信徒である人間には分からないが、統計を取ってみると『血筋』が一つの要因であると分かった。
 それが何を意味するのか?
「元とはいえ、聖女は聖女だ。孕ませれば次に生まれる子供は聖女になる可能性は高い」
「な、なんの話しを?」
「しらばっくれなくてもいいだろ? ソフィアの背後からそんな危ないものを向けていれば嘘もだいぶチープなものにしかならない思うぞ?」
 ユリスは小さく歯噛みをする。
(見られていたのか? 一体どうして? そもそも、僕が初めから狙っていたと気づいていたのか!?)
 だが、そんな疑問を無視してサクは言葉を続ける。
「聖女には大聖堂が総出で身を守っている。何せ大事な存在だからな。けど、役目を終えた聖女はその限りじゃない」
 ソフィアのように、聖女としての役目を終えた少女は自由な世界へと足を運ぶ。
 毎度入れ替わるそんな存在にわざわざ総出の警備なんかしていられない。
「狙うなら間違いなく役目を終えた聖女だ。おかげで貴族やら私腹を肥やそうとする商人やらに狙われることなんてしょちゅう」
 目の前までやって来たサクはユリスの顔を覗き込む。
「お前のようなやつはいっぱい見てきたぜ?」
 獰猛に、それでいて余裕そうに笑うサクに身の危険を感じたユリスは首元目掛けてナイフを振るった。
「ッ!?」
 しかし、そのナイフは黒い霧に当てたかのように見事に空振るだけ。
(こいつは一体……ッ!?)
 ユリスが驚いていると、タイミングがいいのか悪いのか。教会の入口から修道服を着たリーゼロッテが顔を出す。
 その姿を確認した途端、ユリスはナイフを持ち直してリーゼロッテ目掛けて走り出す。
「あんまり近くでやらないでっていつも言ってるじゃない」
(こいつを人質にすれば、まだ……)
 しかし、次の瞬間———ユリスの頬に重たい一撃がめり込んだ。
「逃げ切……バッ!?」
 もう一度、ユリスの体が何回も地面をバウンドする。
 辛うじて捉えた視界。そこには足を振り抜いたであろう姿のリーゼロッテが映った。
「ソフィアに見られたら記憶を消すのが少し面倒になるんだから」
 ユリスは転がり終えると激しい痛みが走る頬を押さえる。
「がッ、なんで……お前もッ!」
「すまんすまん。さっさと処理しておいた方がいいかなーって」
「百歩譲ってそれはいいとして、非戦闘員の私に戦わせないでよ。さっきまでソフィアの記憶を消すのにちゃんと労働してきたばかりなんだから」
 如何にも呑気な様子で会話を続ける二人。
 その視線は少ししてユリスへと注がれた。
「本当に大聖堂から派遣されたから泳がせておいたんだが、どっかで貴族に買収されたな? まんまと尻尾を出しやがって」
「遊びに出掛けている体裁を取っていてよかったわね。私がいなくなった途端に襲うんだもん」
「大方、ソフィアの警戒も薄くなったタイミングを見たか、元聖女の確信が取れたからか」
 黒く覆われる影。人では起こりえない現象を見て、ユリスはようやく思い出す。
(こ、こいつらもしかして、あの女神に認められた───)
 聖騎士とは違う、大聖堂に所属する特務機関。
 その存在は噂でしか耳にせず、聖女を守るためだけに影ながら拳を握り、人外の力を持つ人間だけが集められた組織。
 名前は───
「まぁ、どちらにせよ」
 リーゼロッテとサクはユリスの前へと立ちはだかる。
 そして、サクは逃げ出そうとするユリスに向かって黒く染まった拳を振りかざした。
「特務聖女機関《リアフォーリア》相手に誘拐なんかできると思うなよ? コソドロが」
 次の瞬間、みずみずしい潰れるような音が響き渡り、黒い影がユリスを覆った。

 ♦♦♦

「あ、こんなところにいたんですねリゼさんっ!」
 それから少しして、明かりの付いた教会の入り口からソフィアが姿を見せた。
 すると、サクを見かけた途端に勢いよく駆け寄り始める。
「それに、サクも! 帰ってきたんですね!」
「おう、ただいま」
 抱き着いてくるソフィアの頭を受け止め、サクは頭を撫でる。
「あれ? そういえば、私は誰かもう一人捜していたような……?」
「気のせいだろ」
「気のせいだと思うわ」
「そうでしょうか?」
 首を傾げるソフィアに、二人は間髪入れず否定する。
「俺、遊び疲れたからしばらく教会にいることにしたから」
「本当ですかっ!? 私、とっても嬉しいです!」
 瞳を輝かせ、頭を撫でられながらもサクの胸に頬擦りを始めるソフィア。
 そんな姿を見て、サクは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「なぁ、ソフィア」
「ふぇっ?」
「今、幸せか?」
 何を言っているんだろう、と。ソフィアは突然の言葉に首を傾げる。
 だが、その疑問もすぐに満面の笑みへと変わった。
「はいっ! 私は今とっても幸せです!」
 その笑顔は眩しすぎるほど綺麗で、サクは思わず笑みを浮かべてしまう。
「ハッ! そ、そうです! サクが帰ってきたのならお料理を作ってもらわないと!」
 思い出したのか、ソフィアは胸から離れてサクの腕を引っ張る。
 その様子を見たリーゼロッテはからかうような笑みをサクに向けた。
「相変わらず、あなたに対しては甘えん坊ね」
「本当にな」
 サクは肩を竦め、横を歩くリーゼロッテにだけ聞こえるような小声で口にする。
「だからってわけじゃないが―――」
 そして、月夜に浮かぶ教会を見上げた。
「ソフィアのことは俺が守るよ。それが俺の仕事だからな」
 聖女の役目を終えた少女は多くの人間から狙われる。
 何せ、残っている恩恵は誰もがほしがり、その血筋は聖女になりやすいからだ。
 とはいえ、聖女を神聖視している大聖堂が聖女を狙う輩をおいそれと許すはずもない。
 そんな少女を守るために大聖堂が派遣したのは、秘密裏に脅威を退けるための特務機関。
 女神からの恩恵を聖女を守るためだけに賜った信徒の集団。
 名前を特務聖女機関《リアフォーリア》。
「お二人は何を話されているのですか?」
「いいや、なんでもないよ」
 これはユリスという少年のお話───ではない。
 影ながら守っていく人間と、護衛対象である心優しい少女の教会暮らしの物語である。

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