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書物巡礼


『コンビニ人間』

「なぜコンビニストアでないといけないのか、普通の就職先ではだめなのか、私にもわからなかった。ただ、完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないままなのだった。」
「眠れない夜は、今も蠢(うごめ)いているあの透き通ったガラスの箱のことを思う。
清潔な水槽の中で、機械仕掛けのように、今もお店は動いている。その光景を思い浮かべていると、店内の音が鼓膜の内側に蘇ってきて、安心して眠りにつくことができる。朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。」



先入観はいつ身に付いてしまったんだろう。
多角的に、フラットに、物事にも他人にも並列の心でいたいのに、ちょっとしたことでそうではない自分を自覚して恥ずかしくなる。
どこかで耳にした目にした“常識”や“価値観”の受け売りを見事に鵜呑みにして得意げに語ったり、鵜呑みにした事象から誰かがはみ出ているとロクに考えもせず「えー大丈夫それ?」と非難と野次の入り混じった感情を言葉にする。
自分で考え抜いた結果の思考は他人に話してても違和感がなく、それを他人に揶揄されてもあまり気にはならないのだけど、受け売りから抜け出せてない思考を言葉にした後は何となく後味が悪い、という違いにようやく気がついた。
幸せ、という概念も本当に千差万別なわけだけど、これも結構厄介で私はだいぶ手を焼いている。自分の幸せの基準を社会の唱える“普通”に侵されそうになったり、他人にその“普通”を押しつけたり求めたりしようとしたりしてしまう。
そう言えば、幸せの概念について忘れられない思い出がある。
私が高校生の時にバイトしてたファミレスでの休憩ルームでの出来事。パートのマダムと2人、他愛もない会話をしていたら、ふとそのマダムに「高校卒業したらどうするの?」と聞かれた。私は当時高3だったが、大学にも専門にも行く気はなかった。音楽を仕事にしたくて、そのためにはフリーターになるのが1番最良だと思っていたから。
その旨をマダムに伝えると「あらすごいわねぇ。まぁ、自分の子どもがそうするって言ったら反対するけど。」と返された。
申し訳ないけど、この人の子どもじゃなくて本当に良かったと心から思った。
この人、自分が考える幸せの中で子どもをコントロールしようとしてるんだなぁ、親ってだけで、他人の人生侵害するんだなぁ、変なの、と「そうですかぁそうですよねぇ」と笑って受け答えながら考えていた。子どもの幸せを願うのはとても素晴らしい。だけど、私たちはみんな違う人間で、違う感情と意志があるのに。
私は血が繋がってることにこだわるのが好きじゃない。私が家族を大切に思うのは1人の人間として尊敬しているからで、遺伝子が近いからじゃない。

「コンビニ人間」は今年読んだ本のなかで1番の衝撃だった。
幼少期から、周りの思考が理解できず“普通”でいることが困難だった主人公が、唯一“正常な人間”でいられるのがコンビニでアルバイトしている時間。
バイト歴18年、36歳独身彼氏なしの主人公を通して描かれる、幸せや常識の暴力性と滑稽さ。五感を刺激される滑らかな文体と、脳天を打ち抜く主人公の思考回路に夢中で読み続け、あっという間に読み終わってしまった。先日二回目の読破をしたのだけど、やっぱりめちゃくちゃ面白かった。特にラストの主人公の古倉さんの決意がとても良くて、痛快な心持ちにさえなる。良かったね、それで良いよって、話しかけたくて仕方ない。
「コンビニ人間」を読むと自分の凝り固まった脳みそがほぐされて、エステを受けた後のような気持ちよさを感じる。これはこれで偏った感想な気もするけど。でも、私は古倉さん、好きだなぁって思うし、羨ましいなとも思う。彼女は揺るがない。

まだ手にとってない方は是非一読願いたい。
コロナで色んな当たり前がくつがえされ皆さんそれぞれの新常識を構築されてるタイミングで、今一度古倉さんと共に幸せって何じゃいなと探り当てるのは中々に有意義だと思う。
答えは人それぞれ。お互い、自分の本心を大切に。


#書物巡礼 
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#コンビニ人間 
#読書

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