霊憑き男子は推し活女子に恋をする 第7話【創作大賞2024恋愛小説部門応募作】
食べ終わって食器を片付けて時計を見ると、夜中の十一時であった。
ふふふふふ、もうこれからは大人の時間ではないか。私はにやけそうになる。
「あ、あたしシャワー浴びてきていいですか?」
食器を洗いながら言う早坂さんの言葉が再び超ド級ストライクで飛んできた。
パードゥンミー?リアリー?と激しいボディランゲージ答えてしまうところであった。
動揺して、「いえこの家は早坂さんの家なので客人の私になど聞かずにいつでも入っていただいて結構です、はい」と早口でまくし立ててしまう。
「じゃあ、失礼しますね。
あ、テレビとか見てていいですから」
そう言い残して、彼女は風呂場へと向かった。
これは「先にシャワー浴びてくるね」と言う意味にとって宜しいのだろうか?
再び私は、部屋の中央に正座した。風呂場ではがたがたと物音がし、シャワーを使っている水音が響いている。
ほんの十メートル先ぐらいで、彼女はバスタイムを満喫しているようだ。
私は考える。
どうする?
脱ぐか?
ベットに横たわって、「来いよハニー」とでも言ってみるべきか?
そういうことに関しては百戦錬磨の私だったが、珍しく慌てた。普段は私がリードして、それなりのムードを作ってからの展開だったので、どうすればいいか焦る。
落ち着け彰文。深呼吸だ。
「陣八、しりとりをしよう」
『ああ、構わんが…大丈夫か?』
「何を言っている。大丈夫に決まっているだろう。ははははは」
『そうだな、では…花見』
「み、み、みかん。…あ」
『駄目駄目ではないか』
陣八が呆れたように呟く。どうやらかなりの具合で壊れてきた。いかんいかん、私としたことが。
常に優雅なことを心得ていなければならないのに。しかしそわそわしてしまう衝動を抑えられない。
数十分後、風呂場から早坂さんが出てくる音がした。
おそらく今、水で濡れた裸の体をタオルで拭いているであろう。
煩悩を消し去るように何の興味もないバラエティ番組を見る。内容は全然頭に入ってこない。
「お先に失礼しました。あーすっきりした」
私の方は、すっきりしない。むしろ悶々としている。
早坂さんは、ピンクのチェックのパジャマを着て、水の滴っている髪をタオルで拭きながら風呂場から出てきた。
フローリングの床なのに何故か正座をしている私の横で、シン様ののプリントがされているグラスにオレンジジュースを注いで美味しそうに飲んでいる。
ピンクのチェックのパジャマ。実に彼女らしいではないか。
なんだかあんまりジロジロ見るのもいけない気がして、テレビと早坂さんを交互に見やる怪しい私。
早坂さんはシャンプーのフローラルな香りを漂わせながら、落ち着きのない私に告げる。
「遠野さんもどうぞ。お湯は張ってないからシャワーですけど」
私は頭の中で、それを「彰文君も、シャワー浴びてきてよ…」に変換した。
喜んで!と勇んで立ち上がるも、めっぽう苦手な正座をしていたため足がもつれて転倒しそうになりつんのめる。
大丈夫ですか、と心配されるも、平気です平気ですと連呼して、逃げるように風呂場へと向かった。
私は腹をくくった。
「早脱ぎの遠野」は卒業後も現役だ。元クラス一の速さで、服を脱ぎ捨てる。
普段は全裸の自分を全身鏡に映して惚れ惚れするところだが、今日はそんな余裕はない。
一目散に風呂場に飛び込む。
シャワーを頭から浴びる。さながら滝に打たれる修行僧のごとく。
濡れた髪のまま鏡台を見ると、陣八が話しかけてきた。
『彰文、何をそわそわしている。男ならばどんと構えていろ』
「ああ。とりあえず、体を隅々まで洗いつくすつもりだ」
『分かっておろうな。据え膳食わぬは武士の恥だぞ』
据え膳なのか?
私は自問自答する。やはり早坂さんはそういう意味で私を挑発し誘惑しているのだろうか。
そうならば、女性に恥をかかせるわけにはいかない。喜び勇んで要望にお答えしよう。
しかし彼女の場合、親切心で私を家に泊め、気遣いゆえに手料理を振る舞い、仏心でシャワーを貸しているのだというのも、大いにありえるのだ。
というか、そうとしか思えない。
彼女は恐ろしいほど天然だ。そしてそれは、兵器にも勝る攻撃力を持っている。
罪作りな人だ。
私はため息をついてシャワーを止めた。
きれいに畳まれたタオルで体を拭きながら、そこで私は、はたと気が付いた。
着替えがない。
風呂上りに一日来た服を着るなんて美学に反するし、かっちりしたシャツやズボンなど着たくもない。
ああなんで入る前に気が付かなかったのだろう。私は全裸で後悔した。通常ではありえない失態。彰文、少し反省。
しかし今は十二月。全裸で立ち尽くすのは寒い。とりあえず下着を表裏にして着用した。洗濯表示のタグが尻の上ではためき、なんともみっともない。
「早坂さん、すみません」
風呂場から声をかける。早坂さんがやってくる足音がした。
「はーい、どうかしましたか?」
「着替えがないのですが」
「きゃあ!」
風呂場の扉を開けた早坂さんは実に可愛らしい声を上げて、ほぼ全裸(表裏パンツ着用)の私から顔を背け手で覆った。
あんまり新鮮な反応をするものだから、私も調子に乗って腕を組み、いい感じのポーズをとってしまった(ほぼ全裸で)。
「ちょ、ちょっと待っててください!
今すぐ着替えを取ってきますから」
部屋へと引き返し、タンスや押入れを開けて私の着るパジャマを探している早坂さんを待つ間、
ずっと腕を組んだポーズでいたのだが、幾分寒くて全身に鳥肌が立ってきた。
「見ろ、私の肉体美に彼女もメロメロだ」
『彰文…』
陣八の心底あきれた声。
少しして早坂さんは服を持って再び戻ってきた。
「すみません、こんなのしかなくて。
は、早く着てくださいね」
彼女はなるべく私の方を見ないように目線を反らしながら服を渡してきた。
「早く着てくださいね」を「早く来てくださいね」と勘違いした私は、待ってなよベイベーとでも言うように服を着ようとした。
彼女の服を着る事にうきうきと心が躍る。
が、次の瞬間、手渡されたその服を見て硬直した。
ブルーの生地に、なにやら可愛い動物のキャラクターが印刷された、いかにも子供向けのパジャマだったのだ。
クマなんだかブタなんだかイヌなんだか分からない未確認生物が、笑ったり怒ったり泣いたりとさまざまな表情をしていて、それが裾にも背中にも散りばめられているパジャマ。
子供向け番組で、よちよち歩きの赤ちゃんが着ているようなやつだ。
そのクマだかブタだか分からないキャラクターのプリントは、私の熱く燃える想いを一気に粉々に打ち砕くほどの破壊力があった。
これを着ろと。
これを着ろというのですか早坂さん。
あれだけ探して持ってきて、これしか本当になかったんですか。
私は(ほぼ全裸で)泣きそうになってしまった。
『泣くな』と陣八がなぐさめる声が聞こえる。
しかし早坂さんが用意してくれた物だ。着るしかあるまい。
私は断腸の思いでそれを着用した。
まずズボンは恐ろしく丈が短い。膝下程の長さで、まさにショートパンツともいえるだろう。
そして上着も着てみたが、肩幅が狭いため上手く着れなかった。服を引きちぎる勢いで無理やり体をねじいれ、どうにか着ることはできたが、胸の前のボタンが留められない。
第三ボタンまで留めたが、それより下はきつくて留められず、ヘソが丸出しになった。
どう考えても防寒としての意味を果たしていないパジャマを着て、私は鏡に向かう。
クマブタのプリントが、どうにもニヤニヤと私を笑っているようにしか思えなくて、怒りを通り越して悲しくなってきた。
袖も裾もつんつるてん。ヘソは丸出し。クマブタプリント。
ああ、遠野彰文、今なら恥ずかしさで死ねる。
すっかり湯冷めしてしまった体を引きずってくしゃみを一つ。風呂場のドアを開けた。
「先ほどは失礼しました…」
「ああ、遠野さん着れましたか?…うっ!」
テレビを見ていた早坂さんは私の声に振り向くと、一瞥して不意に私から目線をそらした。
背を向けるようにして、口を押さえてなにやら小刻みに震えている。小さく噴き出している声が漏れた。
泣いているのではない。声をこらえて爆笑しているようだ。
私はゆらりと彼女に近づいていく。
「早坂さん…」
「と、遠野さん、す、凄い似合ってますよ」
「早坂さん…」
「いえ、それ私の中学生の時に着てたやつなんですが、着れて良かったですね!」
「早坂さん…私の目を見て言ってくださいよ」
顔を逸らし続ける彼女の肩を掴む。
改めて間近で私の滑稽な姿を見た早坂さんは、次の瞬間、遠慮無く噴き出した。
「す、すみませんっ、ちょっと出来心で!あはははは!」
「お茶目なお方だ…」
彼女は目に涙を浮かべ腹を抱えて笑い出した。
この服しかないなんて、おかしいと思ったのだ。
騙されたのだと分かり、ちょっと拗ねてみたくなったが、あまりに早坂さんが楽しそうに笑うものだから、私もそれに合わせて少しだけ、笑った。
あーあ、ムードがぶち壊しだな。
私は少し残念に思いながらも、そんな無邪気で悪戯な彼女にも魅力を感じるのであった。
それから私たちは、いろいろなことを話した。
夢のこと、仕事上での面白い話、早坂さんの学校のこと、友達のこと、好きなテレビや音楽のこと、取り止めもなく。
着替えたいのですけど、と言っても駄目です、そのままの方が面白いし、似合ってますからと駄目出しされたので、私はそのパジャマ姿のまま。様々なことを語り合った。
早坂さんは純粋な人だった。
それと同時に不器用な人でもあった。
自分の思ったことを素直に相手に伝え、嘘の苦手な人だった。
好きなことは好きとはっきり言い、嫌いなことはこれまたはっきりと言った。
そして他人の幸せを自分の幸せと喜び、他人の不幸を自分の不幸のように悲しむ人だった。
友人や家族のことを、本当に大切な人だというように慈しんで話すものだから、私もその一員になりたいと願った。
しかし恋愛の話が出ると、彼女は首をかしげて、そうですね、いい人がいるといいんですけどね、と言葉を濁した。
BSで再放送しているシン様のドラマが始まると言ったので、テレビの前で肩を並べる。この前見た感動ものとは違い、軽快なラブコメの話は面白かった。
画面に映るシン様を見つめながら、私はずっと前から気がかりで、聞きたかったことを尋ねた。
「早坂さんはどうして神ノ木シンが好きなんですか?」
聞くと、彼女は画面から目を離して私をじっと見つめてきた。
「どうしてって…」
「いや、別にシン様じゃなくてもいいんじゃないかなと思って。どこが魅力的なんですか?」
率直に言うと、彼女は少し表情を曇らせた。
まずいことを聞いてしまったか、と内心焦った時、
「遠野さん、なんで会ったことの無い芸能人なんかにそこまで本気になれるんだ、って思ってます?」
「いえ、そんな…」
「嘘ばっかり」
彼女は口を尖らせて抱えた膝に顔をうずめた。何かを考えるように、ぎゅっと体を縮こませている。
私は正直に白状した。
「…本心を言うと、少し思っています。宜しかったら理由を教えてください」
「私、会ったことあるんですよ。シン様に」
「え」
「もちろんコンサートとかじゃなくて、間近で、しかも道端で」
驚いたのが顔に出てしまっていたのだろう。早坂さんは微笑む。
なにやらコメディタッチの掛け合いをしているシン様をじっと見つめ、
「二年ぐらい前かな。休日に一人で買い物していたら、物凄い人数の女性達が目の前を通っていったんです。
なんかのイベントかな、って思ったけどそのまま素通りしたんです。
そしたらその後、ちょっとした路地裏に入った時いきなり、隠れていたらしい男の人に手をつかまれて」
彼女は身振り手振りもつけ、大袈裟に語る。
「帽子にコート姿の男の人が、『ごめんね、アリーナの場所ってどこ?』って尋ねてきたから、道順を教えてあげたんです。
でもいまいち良く分かっていないみたいだったから、暇だったし、アリーナ会場まで送ってあげたんですよ。
途中何度もファン達とすれ違いそうになって、彼と隠れたりして大変だったけど。
三十分ぐらいしてコンサート会場まで着いたら、彼、ほっとしたような顔をして、『ありがとう、助かったよ』って言って、
――私の手の甲を取ってそこにキスしたんです」
そのときの情景を思い出すかのように、早坂さんは両手で顔を覆った。
「そしてにっこり笑って会場の裏口から入っていったんですよ」
頬に赤みが差している。
おいおい、少女漫画か。キザすぎるだろ、と思わずにはいられない場面だったが。
「その時からかな、私はもう、その人の事が好きになっちゃって。
もう一度会えないかなってずっと思ってたら、
テレビで大人気!って特集されてるの見ちゃって。
あの人芸能人だったんだって、そこでやっと気がついたんですよ」
早坂さんは、まるで夢でも見ているかのように、うっとりと画面を見つめていた。
自分の手の甲にキスをした男を見つめていた。
その瞬間、その時から早坂さんは、ずっと叶わぬ恋をしているのだろう。
道端で会った神ノ木シンとはテレビ越しに会えるけれど、言葉を交わす機会はもう無い。
しかしそれは私とて同じだ。
彼女の恋がどんなに叶わぬものであろうとも、彼女が他の男を好きである以上、私の恋も、永遠に叶わないのだ。
早坂さんは純粋な人であった。
それと同時に不器用な人であった。
彼女は囚われている。
テレビを中の彼を見つめる横顔は、愛する人を見つめる表情のそれだ。
決して私に対して向けることの無い、きらめいた瞳。
その横顔を愛らしいと思う。
こうやって肩を並べテレビを見たりと、ずっとこうしていたいと思う反面、全てをぶち壊してやりたいという衝動にも駆られる。
彼女の肩を揺さぶって、現実を見ろと叫んでやりたくもなる。
しかし私に、彼女の純愛を壊す権利など無いことも、痛いほど良く分かっていた。
私の葛藤のなど気づかず、早坂さんはテレビの中の彼を見つめ続ける。
ドラマが終わったので横を見ると、座った体勢のまま小さく寝息を立てていた。
私のために遅くまで気を使って起きてくれていたのであろう。
そのままでは風邪を引くので、私は静かに彼女の体を支え、抱き起こした。
いわゆるお姫様抱っこの格好で、ベッドまで運んでいく。
華奢な彼女は羽のように軽いかと思ったが、脱力しているのもあってそれなりに重かった。
その重みを全て私に委ねてくる、細い体。
ゆっくりと、起こさないようにベッドに横たえて、その寝顔を覗き込む。
白い頬、長い睫、小さく上下する胸元。
これでもかというほどに罪作りな寝顔を前に、私は思う。
きっとこの人は、心の底から、私が男であるということをまったく意識していないのであろう。
禁欲的でストイックな生活にそろそろ耐えられなくなってきている、遠野彰文二十四歳にペロリと食べられてしまうかもしれないなんて、微塵も思っていないのだろう。
自分の恋愛に、シン様に夢中で、人の事などちっとも考えていないはずだ。
私がこうやって、さまざまな想いを抱えながら彼女のことを見つめていても、彼女は今も、夢の中でシン様のことを想っているのだ。
私だけを見ていて欲しいと、いつでも思っているのに。
私が貴女だけを見ているように。
体の奥底からふつふつと湧き上がる欲望。むくむくと膨れ上がる下心。
いつの間に、この人が私の中で大きな存在になってしまったのだろう?
手に入れられないから欲しくなる。まるで子供のおねだりではないか。
薄暗い部屋の中、彼女の寝息だけが響いている。
早坂さんが着ている服が、チェックのパジャマじゃなくて白いバスローブだったら。
私が着ているのがクマブタパジャマじゃなくてワインレッドのネグリジェだったら。
部屋にはピンクの照明がついていて、ムード満点な音楽でも流れていたら。
私は彼女に正々堂々と手を出せたかもしれないのに。
いまいちきまらないな。
でもそれが彼女らしい。
あまりにも可愛らしい寝顔を、これでもかと見せ付ける早坂さんの手をそっと取って、私は静かにそこに口付けた。
二年前、彼女の想い人が街中で彼女にしたように。
ゆっくりと唇を離す。
これぐらいは構わないでしょう?
そして私は部屋中に貼られている、挑発的なポスターたちに向かって啖呵を切ってやった。
上書きしてやったぞ、と。
お前には絶対に負けないぞ、と。
* * *
夜が明けたので、私はそっと彼女の家を出た。
クマブタパジャマを脱ぎ、綺麗に畳んでその上に「お先に失礼します。ありがとうございました」と書置きを残して。
結局一睡もできないまま、私は帰路に向かった。
『つまらないぞ、彰文。
お前はあの程度のことで我慢できるのか』
「できるわけ無いだろう。自慢じゃないが、私は今、猛烈に欲求不満だ」
しょぼくれた目に朝日はきつい。私は目を細めながら大きく伸びをした。
誰もいない、しんとした冷たい空気の中、コンクリートを踏みしめふらふら歩いていく。
『据え膳食わぬは武士の恥だといったであろう』
「寝込みを襲うのが武士のやり方か?
どちらも合意の下でなければ楽しくないではないか」
『つまらん奴だ』
ぶつくさと文句をたれる陣八をたしなめる。
だが私も、消化不良なのは否めなかった。
あーあ、おあずけ食らってしまったなぁ。
この借りはいつか必ず返す。
そして気の済むまで彼女とイチャイチャしてやる。
欲望の塊を発散するように、うおおおお!と叫んだ。
頭の中の陣八は一瞬驚いたが、同じように私と共に雄たけびを上げた。
「口説き落としてみせ――――――る!」
『その意気だ彰文!』
大の男二人(片方幽霊)は、朝っぱらから声を上げて大笑いをした。
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