【長文】私は偽善者でしかない
ずっと後悔していることがある。
私の身内にずっと虐待を受けていた子がいる。
その子は、最終的に自分で施設での生活を選んだ。
私はもう、その子がどこの施設にいるのかを知ることはできない。
その子の受けた虐待の詳細は、私にはわからない。
私がわかるのは、心理的虐待・ネグレクトをうけていたこと。
それは生まれた時からだった。
祖母はちょくちょく様子を見たり、助言をしていたものの、何も改善はされていなかったよう。
転機が訪れたのは、母親が保育料を使い込んで未納し、退園に追い込まれた時。
見かねた祖母がその子を平日だけの約束で引き取り、祖母宅近くのツテがあった保育園に入園させたのだ。
その頃、私はすでに「これは虐待だ」と思っていた。
だから、その子を引き取って育てたいと思っていたし、そうすることがこの子にとって幸せなんじゃないかとすら思っていた。
でも、当時の私はフリーターで自分の生活もままならない。
しかも、この子を引き取るにはこの両親と対峙する必要があった。
結果的に、私はできなかった。
私もその子の両親と一緒なのだ。
自分がかわいいのだ。
その後、子の両親は離婚し、その子は祖母と数年生活を共にした。
その頃が一番落ち着いていたように思う。
だけど、その生活も長く続かなかった。
その子の親が再婚し、突然新しい家族と生活を共にすることになったのだ。
当然、その子はその家庭になじめなかった。
その頃にどんな虐待を受けたかはわからない。
身体的虐待もあったのではないかと思われる。
この間、私も少しは動いた。
祖母に「虐待だと思う」と伝え、動いてもらうように働きかけた。
でも、これはいい方向に動かなかった。
しかるべき機関に相談もしたけど、彼の生活する場所がわからなかったので、何もできなかった。
「できることなら引き取りたい」と夫にも相談した。
だけども、「そんなに簡単な問題じゃない」と一喝された。
詳細は省くけど、夫の言い分はもっともだった。
結局、私は何もできないまま、時だけが過ぎていった。
最後にその子に会ったのは、私の住む町の花火大会の日。
祖父母に連れられて、我が家に遊びに来たのだ。
子供たちにとても優しく、なつかれるような、素敵な素敵な子だった。
当時は中学2年生になっていたと思う。
彼は高校には行かせないと言われていた。
だから、私は言った。
「看護師なら働きながらなれる。きっとあなたならなれる。」
彼は早く家を出なくてはいけない。
このままでは、この子の人生は不幸になっていくばかり。
もしかしたら、生命の危機すらあるかもしれない。
でも、一人で生きていくには、長く使える資格が必要だ。
だから、私はこの子に看護師を勧めた。
今はもう少ないけれど、看護助手でも寮に入れるところはある。
それに、人の痛みがわかる人間だから、看護師は向いている。
そう思っての発言だった。
しかし、祖父母はすぐに
「この子はバカだから、看護師になどなれない」と言った。
祖父母ですら、彼のことを受け入れてなどいないのだ。
ただやっかいだけれど、両親のもとに置いておくのも忍びないから、こうやって連れてきているだけなのだ。
ただその子は寂し気な笑顔を浮かべた。
それが最後だ。
それから数カ月後、その子は自ら家族を捨て、施設を選んだ。
私は何もできなかった。
私もまた、その子の両親や祖父母と何も変わらないのだ。
私は、時々会ってはその時だけ優しく接するだけの、偽善者に過ぎない。
「あの時引き取っていたら、その子を救えたのだろうか。」
そう思うこともある。
でも、そもそも「救う」という言葉すら、私の自己満足なのだ。
「その子は救われなくてはならないほど、かわいそうな子。」
きっとどこかにそんな考えが、この私にもあるのだと思うと、悔しくてたまらない。
私はそんな汚い人間なんだと。
その子は今も、どこかで生きている。
私はその子の人生に携わることは、もうできない。
ただ、その子のこれからの人生が、幸せなものであるよう、この場所から祈るだけだ。
あなたの幸せを祈ることだけは、どうか許してください。
神様、あの子の人生がこれから幸せなものになるよう、お守りください。
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