必殺「ママの一声」習得か?
無軌道な3歳半にルーティーンをこなさせるのはなまなかでない。すきなことしかやりたくない。
スケジュールの可視化、事前予告、競争ごっこ、ご褒美シール、禁断のひとくちラムネ…あの手この手を尽くしてもどうにもならない、それでも遅刻しそうなそんな朝は、
焦った私は「みーちゃん!」と少し声をあげてびしっとカツをあげようとする。
けれどこれはそううまくいかない。
優しく「みーちゃん?」はへらへら笑われて終わり。
迫力を出そうとおもって声を大きくしたらつい怒気が混ざって「みーちゃん!!」になるとみーちゃんは悲しくなって「やさしくして!」と逆上するので、もっと出発時間を押すはめになる。
なんだけど今日の「みーちゃん!」はうまくいった。
私の口からでた「みーちゃん!」は、手前味噌だが澄んだかしわ手のように、怒気も媚びも帯びずただ私の本気を伝えた。かくしてみーちゃんは「はっ」として、「わかったよ~」と言って靴を履いてくれた。
どうやってその声が出たのかわからない。でもあのときの声色を覚えて、再現性をもたせたいなぁと画策。
こうやって新米は新米でなくなっていくのか。
まぁカツを入れないでもこどもが動くように仕向けるのが、本当のベテランなんだろうけど。