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トリニティ・サイトへの訪問 日本語訳


これはトリニティ サイトを訪問するための完全なガイドです。
今日のガイドでは以下のことを学びます:

  • アクセス

  • 出発前に

  • 訪れるべき場所

  • よくある質問

  • トリニティ・サイトの歴史

つまり、トリニティ サイトへの訪問を計画しているなら、この新しいガイドはきっと気に入っていただけることでしょう。

Trinity

トリニティは世界初の核実験のコードネームで、 今日では実験が行われたニューメキシコ州のジョルナダ・デル・ムエルト(Journey of the Dead Man)地域を指す言葉としても使用されます。 この爆心地への訪問に興味がある場合はまずその背後にある歴史を理解することが体験を豊かにするのに役立つことでしょう。

Trinity Site Open House

トリニティの爆心地を見学できるのは年に2回の一般公開日のみ。 オープンハウスには軍の監督官が同行します。 彼らはトリニティ・サイトの重要性を理解するための没入型体験を提供してくれます。

ホワイトサンズ・ミサイル実験場(WSMR)は軍事施設として現在も使用されています。 この場所はミサイル着弾区域内にあるため敷地の大部分は一般立ち入りが禁止されています。

オープンハウスは年に2回、4月と10月の第1土曜日にのみ開催されます。当然これらの日程にはオープンハウスに参加するために何千人もの人々が会場を訪れるため事前に旅行の計画を立てる必要があります。 オープンハウスは午前8時から午後2時までなので、丸1日かけて多くのことを学ぶことができるでしょう。

提言 : 早めに行く

群衆との戦いや長蛇の列に並ぶのが苦手な場合は会場が開く午前8時よりも午前7時または午前7時30分にスタリオン・ゲートに行ってください。

How to Get There

トリニティ試験場はニューメキシコ州ホワイトサンズの高速道路380号線から外れたWSMRにある。 オープンハウスの日に訪問したい場合は4月の第1土曜日か10月の第1土曜日のいずれかに行くように計画する必要があることに注意してください。 ツアーが開催されるのは毎年この2日間だけです。

ホワイト サンズは都市ではなく、国勢調査指定地域(Census-designated place : CDP) です。つまり住民はいますがレストランやホテル等の設備はほとんど存在しません。 1晩泊まる場所が必要な場合は西に約27マイル離れたラス・クルーセス(Las Cruces)または近隣都市のホテル等を予約するとよいでしょう。

ニューメキシコ州サン・アントニオからスタリオン・ゲート入口へはマイルマーカー139(mile marker 139)のI-25出口から東へ12マイル。カリゾゾから行くには、ハイウェイ54番出口からハイウェイ380に入り、西へ53マイル進む。スタリオン・ゲート入口からハイウェイをさらに5マイル。ハイウェイ380号線沿いにはわかりやすい標識があります。

トリニティサイトから近隣の町までの距離(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)

実験場を構成する51,500エーカーの敷地は、国定歴史建造物に指定されています。ランドマークに含まれているのは、マクドナルド・ランチ・ハウス、グラウンド・ゼロ(GZ)、ベースキャンプです。オープンハウスの日に行けば、グラウンド・ゼロを自分の目で見ることができます。このエリアにはジャンボ、ファットマンの外装、歴史的な地下壕、核爆発のクレーターの一部が含まれています。爆発の結果生まれたトリニタイトも展示されています。

Before You Go

たとえ試験場が観光名所であり国定歴史建造物であっても軍事基地の一部であることを忘れてはいけない。 入場する前に審査が行われます。 政府発行の写真付き身分証明書(外国からの旅行者の場合は有効なビザ)を必ず携帯してください。 また、自動車保険と自動車登録の証明書も必要です。 レンタカーを使用する場合はレンタカー会社の契約書も必ず携帯してください。

現場には食べ物や水がないことに注意してください。 準備が必要です。 仮設トイレはありますが標準的なトイレはありません。 手を洗うためにウェットティッシュを持参するとよいでしょう。

オープンハウスではない日に訪問する場合は敷地内に入るために軍のエスコートが必要になる場合があります。 通常ゲートは午後3時30分に閉まりますので、少し早めに到着するように計画してください。 オープンハウスの日は午前8時から午後2時まで門が開いており軍のエスコートなしで通過できます。

出発する前に必ずWSMRの職員に連絡し現地に行けるか否かを確認してください。 現地では不発弾のため道路から出ることはできません。犬に関してはリードにつながれて躾の行き届いた犬であれば同伴可能です。 犬の排泄物を片付けるための袋を必ず持参してください。

トリニティによる放射能は危険ですか?

放射線被曝を心配する声もあります。トリニティの放射線量は周辺地域の10倍であり、トリニティに滞在すれば1時間以内に非放射能汚染地域1日に被爆する放射線量の1/2を受けることになります。放射線被曝が心配な方は長袖、長ズボン、帽子を着用してください(この服装は砂漠の太陽や風からも身を守ることができます)

Locations to Visit

トリニティ・サイトの敷地内には時間をかけて見学するべき場所がたくさんあります。この場所は現役の軍事基地であり博物館ではないことに留意してください。ここには1945年7月16日に何か重要なことが起こったことを示すものはほとんどありません。マクドナルド・ハウス、ジャンボ、グラウンド・ゼロなど、そこにあるものは時間をかけて見る価値があります。

必ず歩きやすい靴を履いてください。 繰り返しますがこの場所は博物館ではありません。熱い砂漠の砂の上を相当な量歩くことになります。

Trinity Test Site (Ground Zero)

グラウンド・ゼロは最大の見どころであり必ず訪れるべき場所です。それは直径2,900ftの巨大な円です。その境界にはouter fenceと呼ばれる高さ2.4メートルのフェンスがあります。

このグランド・ゼロの中央には窪みがあります。ここは核爆発によって形成されたクレーターで周りにはフェンスがあります。外側のフェンスと内側のフェンスをつなぐ有刺鉄線のフェンスも存在します。

トリニティ国定史跡、地球で初めて核の焔が灯った場所。オベリスクはこの場所の公式の目印です。左の白いものはトリニタイトの一部を保存している建物。

グラウンドゼロでは何ができるの?

  1. グラウンド・ゼロ記念オベリスクを訪れる

  2. トリニタイトを見つける

  3. ファットマンのレプリカの写真を撮る

  4. 爆弾が保管されている100フィートタワーの残骸の横に立つ

  5. オリジナルのクレーターの一部を保存しているシェルター

  6. 「ジャンボ」内で写真撮影

  7. 一連の歴史的写真に沿って北側のフェンスを進む

始めましょう!

1. Ground Zero Monument

場所:トリニティサイト内フェンス(https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=33.677283,-106.475379)

●爆発の正確な地点は爆心地で発生しました。 爆弾を投下するために高さ100フィートの鉄塔が建設された。 塔の最下部の地点が爆心地です。 現在、石のオベリスクがその場所を示しています。 「1945 年 7 月 16 日に世界初の核爆発装置が爆発したトリニティ サイト」と書かれた銘板があります。 それは、そこで解き放たれた破壊的な力を永久に思い出させるものとして機能します。

グランド・ゼロに設置されたオベリスク(U.S. Army photo)

1. Trinitite

この爆発により、直径約1.200ft、最大深さ10ftのクレーター形成されました。 核爆発のエネルギーにより爆心地の砂(石)は融解して凝集し「トリニタイト」と呼ばれるガラス質で緑色(訳注:場所によっては緑色が出ない。RDS-1で出来たХаритончикは黒い)の物質となった。

1952年にクレーターとトリニタイトの大部分は除去され埋立られました。 現場にはトリニタイトの小さな破片だけが残っています。

オープンハウス期間中はWSMRの安全担当官が訪問者に放射線とトリニタイトについて話すテントが設置されます。 また、箱に入ったトリニタイトのサンプルや訪問者が使用できる放射線検出器も見ることができます。

安全担当者のテントにある箱に入ったトリニタイトのサンプル。(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)


トリニタイトの拡大写真。(Photo by Shaddack / CC BY 3.0)
左にトリニタイト右にガイガーカウンタ奥にはウランガラスや6価のウランで着色された釉薬を使った皿がある。(Photo by Tartaric acid / CC BY-SA 4.0)

運が良ければ、敷地内でトリニタイトが見つかるかもしれません。

グラウンド・ゼロでのトリニティの眺め。 トリニタイトは原爆実験の際に生じた溶けた砂の塊です。(U.S. Army photo)

トリニタイトには依然として放射性物質が含まれているため拾ってはいけないことに注意してください。 またトリニタイトを持ち去る行為は違法です。

(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)

3. Fat Man Bomb Casing

ファットマンは1945年8月9日午前11時2分に長崎で炸裂した原子爆弾のコードネームです。トリニティのサイトにアクセスすると、「ファットマンの外装」を見ることができます。 この遺物は長崎に投下された爆弾を収容していた薬莢を復元したものです。 ツアーのこの部分では、その名前の由来がわかります。(訳注:フレデリックスバーグにある太平洋戦争国立博物館にはアルバカーキの国立原子力科学歴史博物館から貸与されている同型のケースがある)

トリニティ・サイトのオベリスクとファットマンのケース。(U.S. Army photo)

4. Remains of 100-Foot Tower

場所:トリニティ・サイトのフェンス内

爆弾を据え置いた鉄塔は核爆発により大部分が蒸発した。 今では爆心地にあるその基部を見ることができる。

トリニティで使用された「ガジェット」を備えた塔1945 年。( National Nuclear Security Administration / Nevada Site Office photo, source)

おそらく、何が起こったのかを語る情報がほとんどないことにあなたはかなり驚くことでしょう。 ただし、爆発により多くの建物が破壊されたことに留意してください。

核爆弾が据え置かれた高さ100フィートの塔は核爆発によりほとんどが蒸発した。(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)

5. Shelter Protecting a Portion of the Original Crater

場所:トリニティ・サイトのフェンス内(https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=33.677692,-106.476530)

1945年の核実験により巨大なクレーターと共にトリニタイトが生成されました。 現在、トリニタイトは放射性の砂とともに取り除かれクレーターはほとんど埋め戻されています。この場所は博物館ではなく軍事基地とミサイル発射試験場であることを忘れないでください。

(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)

この小屋は実験当時のクレーターの表面を風化しないように保存しています。 しかし、ここで写真を撮りたいと思ったらがっかりするでしょう。 以前はシェルターのハッチが解放され当時のトリニタイトを見ることができたが暴風による砂で覆われてしまった。

6. Remnants of Jumbo

場所:トリニティサイト駐車場(https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=33.673123,-106.476388)

彼らは核爆発が失敗した場合に備えて「ジャンボ」という愛称のスチール製キャニスターを製造しました。 これは13lbのプルトニウムの爆散を防ぎ、後の実験のために回収するために作成されました。 ジャンボは直径10ft、長さ25ft、質量は214tでした。 試験場までは64輪のトレーラーで輸送されました。

「ジャンボ」は原子爆弾が適切に爆発しなかった場合に貴重なプルトニウムを保持するために原子爆弾を密閉することを目的としていました。 その後使用しないことが決定されました。(United States Department of Energy photo, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Jumbo.jpg)
ジャンボの残骸。トリニティ サイトの駐車場に残された214tの大型鋼鉄コンテナ。(Photo by Chris Short / CC BY-SA 2.0)

幸いなことに、誰かが Jumbo の使用をより良く考えました。 テストは成功しました! それに、もしプルトニウムが鉄製のケースに入っていたら、溶けた放射性物質がその地域一帯に降り注いだことだろう。 現在、トリニティ試験場を訪れると、ジャンボの残骸を見ることができます。

皮肉なことにジャンボはトリニティ サイトで最も記憶に残る常設オブジェクトです。

ジャンボの説明板(Photo by Chris Short / CC BY-SA 2.0)

7. Historical photos display

内柵の北側には写真があります。写真は実験前、実験当日の現場、高速度撮影で撮影された核爆発、実験後の白黒写真が吊るされています。

トリニティ サイト オープン ハウスの一部は、爆心地のフェンス ラインに沿って長い写真が展示されています。(U.S. Army photo)

Other locations to visit

グラウンド・ゼロ以外にも、訪れるべきエキサイティングな場所があります。

具体的には:

  1. ウエスト800計器シェルター

  2. シュミット/マクドナルド牧場

早速入ってみましょう。

1. West 800 Instrumentation Shelter

場所:WSMR P Route 20沿い、爆心地から800yd(https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=33.674845,-106.482813)

ウエスト800シェルターは計器掩蔽壕でした。 試験中、爆縮特性を測定するための装置が設置されていました。 訪問者が見ることができる唯一のバンカーです。

(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)

もともとバンカーは7つありました。 管制バンカー1、有人観測バンカー2、計器バンカー4。

ウエスト800シェルターの説明板(Photo by Chris Short / CC BY-SA 2.0)

2. The Schmidt/McDonald Ranch

場所:爆心地から2mi(https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=33.650652,-106.460293)

マクドナルド・ハウスは実験直前の1945年7月13日に核爆弾のプルトニウムコアが組み立てられた場所です。 この家は1913年に遡り以前は個人の家族が占有していました。しかし1942年に米国政府がこの家を軍事用途に割り当てました。家族は買収に抗議しましたが敗訴しました。 彼らは戦争が終わったら政府が土地を返してくれるだろうと信じていましたが依然として軍の管理下にありました。 現在展示の一部としてそこに住んでいた家族に関する家族史が展示されています。

この家は爆心地から2マイル離れた場所にあり、核爆弾のプルトニウムのコアが組み立てられた場所です。(White Sands Missile Range photo)

マクドナルド・ハウスは数十年間放置された後1982年に爆弾が製造された日の姿に復元されました。 現在トリニティ・サイトを訪問する人にとっては必見の内容です。 4月の第1土曜日と10月の第1土曜日のみ営業しています。

トリニティ・サイトからマクドナルド牧場まで訪問者を運ぶバス。(Photo by Samat Jain / CC BY-SA 2.0)

牧場巡り

トリニティサイトから牧場まではバスが出ています。 トリニティ・サイトの駐車場南端から30分ごとに出発します。

バスに乗ってマクドナルド牧場を訪れるには往復約45分かかります。

FAQs

トリニティ テスト サイトでは何を見ることができますか?
最初の爆発や再現された構造物の多くを見ることができます。 場所によっては、マクドナルド・ハウスとして知られる組立ステーションが含まれます。 もう一つは、爆弾が投下された高さ100ftの鉄塔の基礎です。 爆心地を示す石のオベリスクも見ることができます。

トリニティ テスト サイトはいつオープンしますか?
この場所は年に2日。4月、10月の第1土曜日の午前8時から午後2時までのみ一般公開されます。

トリニティ・サイトへの入場料はいくらですか?
入場は無料です。 食料や水はありませんので持参してください。

トリニティ・サイトが閉まっているときに立ち入ることはできますか?
いいえ、この場所は現役のミサイル射場および軍事射場であるため公開されていない日は厳しく一般立ち入りが禁止されています。

トリニティ・サイト旅行のベスト シーズンは ?
この場所を訪れることができるのはオープンハウスの日である4月と10月の第1土曜日だけです。

どこに泊まればいいですか?
おそらくホワイトサンズの周辺には宿泊施設が見つからないでしょう(一部のAir BnB除いて)。 アラモゴードやアルバカーキなど、近くの都市に滞在する計画を立ててください。 ただし交通状況にもよりますがこれらの場所は約2~3時間離れていることに注意してください。

トリニティ・サイトには何を持って行けばよいですか?
トリニティ・サイトは軍事基地であるホワイトサンズミサイル射撃場にあります。 グループ全員分の写真付き身分証明書を必ずご持参ください。そうしないとアクセスが許可されない場合があります。

十分な食料と水をご持参ください。 歩き回ることが多く砂漠の暑さの中では自分が脱水症状になっていることに気づかないかもしれません。 滞在中ずっと飲める十分な水を必ず持参してください。

A Brief History of the Trinity Site

The Manhattan Project

第二次世界大戦中、連合国の一部の国はマンハッタン計画として知られる計画に参加した。 連合国が戦争に勝つために核兵器を開発するように設計されました。 マンハッタン計画は1939年に始まりました。この任務は非常に極秘であったためそれに従事した13万人の従業員の多くは自分たちが実際に何に取り組んでいるのか全く知りませんでした。

この研究はアルバート・アインシュタインが1939年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領に宛てて書いた手紙に続いて始まりました(訳注:アインシュタイロマンで当時の手紙とその後の手紙が紹介されていたはず)。アインシュタインはドイツ生まれのユダヤ人で、アドルフ・ヒトラーが権力を握った 1933 年に米国を訪問していました。 彼はヨーロッパに戻るのではなく、アメリカに残ることを選択した。 ナチスの軍拡と第二次世界大戦の勃発に伴い、ナチスの科学者たちが核分裂のプロセスを利用しようとしているという情報を彼は受け取りました。

原子力時代の誕生は正確に1945年7月16日の午前5時29分に当時のニューメキシコ州アラモゴード陸軍飛行場の北西にあるアラモゴード爆撃射撃場内の18mix24miの人里離れた場所で起こりました。(White Sands Missile Range Photo)

この概念は、膨大なエネルギーを放出する、つまり基本的には爆弾であることを意味していた。アインシュタインが大統領に宛てた書簡はナチスがこのような兵器の開発に成功した場合差し迫った危険があることを警告した。そこでアインシュタインはルーズベルトにナチスよりも先にこの兵器を開発するよう勧めた。

皮肉なことにアインシュタインは政治活動家でありドイツにルーツがあるためマンハッタン計画に取り組むために必要な機密保持許可を拒否されました。 実際アインシュタインは国家安全保障に対する脅威であるため研究に取り組む科学者たちはいかなる形でも彼と相談することを許されなかった。 代わりにチームを率いた科学者は核物理学者のロバート・オッペンハイマーでした。 原爆実験場で「今私は死となり世界の破壊者となった(この訳は『NHKスペシャル 映像の世紀プレミアム 第17集「人類の危機」』より)」と宣言したのは有名な人物です。

アインシュタインがルーズベルトに送った手紙に基づいて米国はウランの備蓄を開始した。 それはウランがこれまで知られていたものよりも何倍も致死性の高い爆弾の燃料となる可能性があるという理解のもとでのことだった。

1941年ルーズベルトは爆弾の製造を監督する科学研究開発局(Office of Scientific Research and Development : OSRD)を創設しました。 彼はまたウランに関する諮問委員会を設立しこれがウランに関する国防研究委員会となった。 これらの組織のリーダーがS-1委員会を立ち上げました。

S-1委員会の最初の会議は真珠湾攻撃からわずか11日後の1941年12月18日に開催されました。 任務はこれ以上ないほど緊急だった。

オッペンハイマーとグローブス。鉄塔基部の残骸そばで。

この科学者チームは爆弾の試作に成功した。 しかしそれは政府が1945年にニューメキシコ州のロスアラモス研究所に備蓄していたウランではなく濃縮プルトニウムからのものだった。研究所が遠隔地にあったため科学者チームはそこで極秘に作業することができた。 同様に人里離れた不毛の砂漠はこの兵器にとって完璧な実験場となった。

科学者が爆弾を実験する機会は1回だけなので最初から正しく行う必要がありました。 7月16日にそれが実行されたときチームは兵器の爆発が大気が燃え地球上のすべての生命を消滅させる可能性があると本気で心配していた。 濃縮プルトニウムによって引き起こされた連鎖反応により誰もいない砂漠の上にキノコ雲が現れました。 その時科学者たちは自分たちが世界史上最悪の兵器を作ったことを知りました。

アルバート・アインシュタインは大統領に製造を勧めた爆弾が日本の都市広島と長崎を破壊したことを知ったとき「わざわいなるかな(Woe is me.)」という反応を示した。 それは戦争を終わらせるのに役立ちましたが(訳注:諸説ある。市街地への空爆による被害は「自然災害的」であり、敵の戦意高揚はあっても消衰させることは出来ないとグロスマンが言っていたと思う)数十万人の民間人が死にました。 世界はボタンを押すだけであらゆる生命が消滅する時代に突入しました。

現在トリニティ試験場は国の史跡であり国家歴史登録財に登録されています。

Useful links

Trinity Site on the U.S. National Park Service site
https://www.nps.gov/whsa/learn/historyculture/trinity-site.htm


ギャラリー

14 July 1945 (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Hoisting_Gadget_TR-384.jpg)

鉄塔の山形鋼(アングル)主柱材はラップジョイント継手、同じくアングル斜材は片フランジ継手を使用している。

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:TR00224_(35631842225).jpg)

トリニティ

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_-_Jumbo_brought_to_site.jpg)

輸送されるジャンボ

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Test_-_Installation_of_Jumbo_prior_to_the_test.jpg)

ジャンボコンテナ。実験前にて。
最終的には使用されない事となり730m離れた位置にある鉄塔に引き揚げられ破壊力を観察する試料とされた。この距離は爆弾の威力を概算した結果決められた。

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_-_Jumbo_after_test.jpg)

ジャンボコンテナ。実験後にて。
ジャンボは破壊されずに残ったが鉄塔は倒壊した。

(Photo by Berlyn Brixner)(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Test_Fireball_16ms.jpg)

炸裂から16ms後の火球

(Photo by Berlyn Brixner)(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Test_Fireball_25ms.jpg)

炸裂から25ms後の火球

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_crater.jpg)

実験直後のトリニティクレーターの航空写真。画面右下(南東)に見えるクレーターはTNT約100tを用いた予備実験で形成されたクレーター

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Test_-_100_Ton_Test_-_High_Explosive_Stack_003.jpg)

1945年5月7日に100t TNT試験が実施された。この試験ではトリニティ爆心地から800yd離れた木製の台に積まれた108tのTNTを炸裂させた。HEの山には1,000Ciの原子炉核分裂生成物が入った管が通されており、これはこれまでに行われた計装爆破(instrumented explosion)としては最大規模である。 この試験により爆風を測定するための機器の校正が可能になり爆発によって核分裂生成物がどのように分布するかをある程度示すことが可能になった。

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Test_-_Lead_lined_Sherman_tank.jpg)

転輪の間が狭く、車体は溶接、後部装甲の形から2台ともM4無印だと思う(専門外)。銀色の塗装は熱対策だろう。側面のボンベは圧縮空気、後部の台には放射性降下物サンプル採集装置を載せる。しかし採集装置はうまく機能しなかったらしい。

(https://www.youtube.com/watch?v=nN5q8i-kQj0)
(https://www.youtube.com/watch?v=nN5q8i-kQj0)
(https://www.youtube.com/watch?v=nN5q8i-kQj0)
(https://www.reddit.com/r/TankPorn/comments/154qakc/sherman_modified_to_take_soil_samples_during_the/)

サンプル採集M4が擱坐した時に使う救助用M4

(https://www.reddit.com/r/TankPorn/comments/154qakc/sherman_modified_to_take_soil_samples_during_the/)
(https://www.reddit.com/r/TankPorn/comments/154qakc/sherman_modified_to_take_soil_samples_during_the/)

オッペンハイマーの有名な動画

NHKスペシャル 映像の世紀プレミアム 第17集「人類の危機」では端折られて以下のように紹介された

  笑う者も泣く者もなく
  誰もがただ黙っていた
  ヒンズー教の経典の文句が思い浮かんだ
  「今私は死となり世界の破壊者となった」という一節だ

実際には
We knew the world would not be the same. A few people laughed, a few people cried, most people were silent. I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita. Vishnu is trying to persuade the Prince that he should do his duty and to impress him takes on his multi-armed form and says, “Now, I am become Death, the destroyer of worlds.” I suppose we all thought that one way or another.
と言っている



さいごに

元の記事(https://nuclearcompanion.com/a-visit-to-trinity-site-where-the-first-atomic-bomb-exploded/)の著者であるJennifer O'Donnell氏、問い合わせの対応や翻訳の許可を取っていただいたJavier Guerrero氏に感謝します。そして今これを読んでいるあなたへ感謝を。

本稿を用いなにか不測の事態に陥ったとしても、全て筆者の責任に帰すことをお断りする。

2024年4月8日



参考資料

爆縮式のアイディア
https://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Basics/jsawa-10.htm

32面体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E7%B8%AE%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA

プラズマ核融合学会誌81巻増刊号、2005年、19-28頁
https://www.jspf.or.jp/Journal/PDF_JSPF/jspf2005_09sup/jspf2005_09sup-19.pdf

ウランの黄色とオレンジ
https://sites.google.com/site/fluordoublet/%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D%E7%B5%90%E6%99%B6%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%81%B8/%E8%89%B2%E5%BD%A9%E3%81%AE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E8%AA%8C/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8

ウラン陶磁器(ウランまたはUGを釉薬に使った陶磁器)
http://uranglass.gooside.com/glaze/glaze.htm

トリニティのケーシング
https://www.pacificwarmuseum.org/visit/exhibits/artifacts/bomb-casing

鉄塔を知る
https://www.jsteam.jp/jst_t/know/tower

Trinity test
https://commons.wikimedia.org/wiki/Trinity_test

電気機械器具の防爆構造(2)
https://www.mgco.jp/magazine/plan/mame/2000-2001/0004/index.html

シャーマン戦車識別ガイド
https://tankhistoria.com/wwii/sherman-identification/

鉛ライナーM4
https://twitter.com/RangerGlen/status/953000523141070848

J. Robert Oppenheimer “Now I am become death...”
https://www.atomicarchive.com/media/videos/oppenheimer.html

写真のリンク


https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinitite-pieces3.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Display_trinitite_200710.jpg


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