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ケン・リュウ 紙の動物園 月へ(To the Moon) 補完資料(のようなもの)

「どう思われます?」サリーは不安げに息をのみ、尋ねた。
キャメロンは肩をすくめ「標準的な物語だ。とてもよく出来ているが、凄くはない。君が出来ることはあまり無いな。悩まないことだ」
「アフリカから来た人間なら、男たちはいつもジェノサイドを逃れてきたと言い、女たちはいつも兵士にレイプされ性器を抉られそうになったと答える。中央アメリカから来たなら、いつも、警察とつるんでいるギャングから逃れて来たと言う。中国から来たなら、女たちは常に政府に強制的に堕胎されそうになったと言い、男たちは常にキリスト教徒あるいは反体制派だと答える」

アパートの一回のドアは開いている。リビングでは中国人たちがシミの付いたぼろぼろのカウチや折りたたみ椅子や床に座って話をしている。
・・・日付を記憶しろ・・・
・・・そいつは共産党員だったと言え・・・
・・・一人では少なすぎる、三人堕胎したと・・・
喋り声がぽつぽつと止まり一同はサリーの方を向いた。




アパートの一室に18人の中国人が同居している。彼らは一攫千金を夢見てアメリカに潜りこんだ密航者である。ブローカーに支払った密航費用は1人あたり30,000ドル。この3万ドルは彼らの故郷の収入30年分に相当する。この金のほとんどは親戚や高利貸しからの借金だ。生活費を切り詰めたギリギリの生活。彼らはアメリカで1年働けば福建省で20年働いたのと同じ額を手に出来ると信じここまでやってきた。

余談:もし最低賃金(90年代)の4ドル25セントが守られているのならば1日13時間労働を休日0日で1年行えば稼ぎ出すことが出来る。だが、実際のチャイナタウンの時給は最低賃金の半分ほどしかない。現地の人たちは自分たちの職場を苦汗工場と呼んでいる。

1993年6月、270人の中国人密航者を乗せたゴールデンベンチャー号がNY沖で座礁。海に飛び込んだ6人が死亡する事件が起きた。この船が中国福建省を出発したのは1993年2月。タイとケニアでも中国人を拾いNYを目指した。25,000km 4ヵ月の航海であった。

中国福建省は華業の里と呼ばれている。山が海岸線に迫っているため農地が乏しく海外に出稼ぎに行く伝統があるからだ。東南アジア、アメリカ、ヨーロッパ。福建人のネットワークは世界中に広がっている。

30,000ドルと命を懸けた福建人の密航は(90年代の)アメリカ移民局の推計で年間30,000人と言われる。

NYチャイナタウンの職業紹介所。仕事の紹介料は紹介した仕事の月収の10%。前払いである。この金は仕事が決まらなくても返してくれない。そのためこの場所はトラブルが絶えない。

チャイナタウンにやってきた福建人が決まって紹介されるのがチャイニーズレストランと衣料品工場である。衣料品工場はチャイナタウンの中に1,000件を数え、年商5億ドル※1の一大産業である。

身分を証明するものを何一つ持たない彼らがアメリカで働く為にはアメリカ移民局が発行する労働許可証が必要である。許可証なしで働かせた場合1人に対し2,000ドルが経営者に請求される。

1989年の天安門事件以降アメリカは中国に対し人権の尊重を強く求めてきた。この影響でたとえ密航者でも政治亡命だと主張すれば審査の結果が出るまでの間、合法的に働ける資格が与えられてきた。この労働許可証はProvision of Lawの欄に(c) (8)と記入されておりC-8カードと呼ばれている。
 密教者が主張する政治亡命の理由は多くが一人っ子政策による迫害だ。彼らは審査を潜り抜けるために物語を作る。「村の共産党幹部に妻が2人目を妊娠したことを感づかれ堕胎するよう説得されました。もし逃げれば家をめちゃめちゃに破壊すると脅されました。私が中国に送還されれば国の政策に背いて妻に2人目の子供を産ませた廉で厳しい罰を受けるでしょう。加えて非合法的手段で国を出たことも罪に課されるに違いありません」

「我々はルールに則ってプレーしようとしているだけだ。誰もが物語を持っている。だけど、あなた達はある種の物語しか聞きたがらない」

「どうして真実を話してくれなかったの?」

「なぜなら『人種、宗教、国籍、あるいは特定の社会集団の一員であること、あるいは政治的見解を理由に』していないからさ」「(前略)この世界にはおぞましい物語がたくさんあるが、法律は一部の話だけ耳を貸す価値があると見なしている」(紙の動物園55. 57.p)





注釈

  1. 当時のレートは大体100円前後

レート

元ネタ

中国〜12億人の改革開放 第10集 福建発ニューヨーク行き

これ見てると中島みゆきのファイトの歌詞を思い出すんです。

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