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外資金融で働いていたはなし④:リーマン・ショック

こんばんは
今日も一日お疲れ様でした。

さて、早速続きを・・・

2008年9月15日(月)日本は祝日
母からの電話で慌ててテレビをつけると、ほんとにニュース速報で「リーマン・ブラザーズ証券が米国連邦法チャプター11(日本で言う民事再生法)を提出」と報道されている・・・えええええ・・・頭真っ白です。
直後に上司から電話がきて、報道されている以上のことはわからないので「とにかく明日は会社に来て」とのこと。
その日はたまたま同僚と神楽坂でランチして上野でフェルメール展を見る予定だったのですが・・・まぁその時点では何もできないので、予定通りにすることに。
でも、ランチしながらもお互い携帯で情報収集。情報はかなり混乱錯綜していたように思います。せっかくお気に入りのお店でのランチだったのに全く落ち着かず。フェルメール展も行ったけど、心ここにあらず状態の鑑賞でした。。。。

翌日、言われたとおりに出社。
六本木ヒルズのオフィスタワー入口には報道関係者の姿が・・・入ろうとすると「リーマン・ブラザーズの方ですか?」と声をかけられるが、「違います」と逃げるように中に入りました。リーマンのオフィスへの入口とエレベーターは他社と一緒だったので(GSのように専用ではなかった)他社の社員のふりして逃げることができたのでした。

随分前のことなので、細かいことは記憶が薄れてしまっているのですが、倒産のニュースから一週間くらいは、顧客対応でけっこう忙しかった気がします。でも郵便一つ出すのも普通郵便もバイク便も現金でその場で支払わないといけなくて、会社がつぶれるってこういうことかぁ・・・と思ったことを覚えています。
そして、普段はけっこう適当にあしらっていたヘッドハンターに皆んなコンタクトしまくって、下のカフェで同僚達と順番に会ったりしてました。でも、なかなかアシスタントのポジションはなかったですね。

そんな怒涛の一週間くらいを過ぎ、顧客対応も終わるとトレードがあるわけでもないし、何もすることがなくなり、毎日会社に行くものの、手持ち無沙汰な日々が続きました。そして9月下旬くらいだったかと思いますが、野村證券が買収(北米除く)と発表され、従業員についても希望者は野村に移ることができるという話を聞かされたのでした。(まじかー😳とびっくりでしたが)
その後、野村の人とも面談もし、オファーレターも貰い、サインをして提出しましたが、一か月ほど放置(?)状態でした。その間、株式部などはごっそりバークレイズに移ったり、債券部でもチラホラ同業他社へ転職していく人が出てきました。

そして。。。11月の頭くらいに、出勤して間もなく31階の顧客ミーティング用の部屋から内線があり、出ると上司で、すぐミーティングルームに来るようにとのこと。

ああ、とうとう来たかと・・・

覚悟はしていたので、特に動揺はしませんでした。ミーティングルームに行くと、上司と人事の人がいて、野村證券ではポジションがありませんので、解雇となります。(解雇は野村證券から)これこれの条件を出しますので、よく読んでサインしてください・・・・ということでした。(その後、次々と同僚が呼ばれていったのでした・・・)
平時であれば、そのような形で解雇された場合、自席に戻ることすら許されないのですが(お財布とかバッグなどは人事の人が取りに行くか、上司が取ってくる。で、デスクの私物は後日送付が定番)このような事態なので、自席に戻ることも許され、また何日か後が最終出社日だったように思います。
最後の日は同僚と六本木ヒルズのオフィスタワー入口にLehman Brothersと社名がある墓石??みたいなものがあったのですが、そこで記念写真撮ったりしましたねえ。解雇ではありましたが、まぁ通常の解雇とは違ったので、心の折れ具合は軽かったとは思います。

2008/11/14最終出社日に記念撮影。。



とはいえ、この先どうしよう・・・シングルで貯金もそんなになくて、一人暮らしで(実家は近いけど戻りたくなかったし)、職はないし(ジョブ・マーケットは全く動いてなかったし)・・・お先真っ暗でした。

・・・つづく

最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
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