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ノルウェーの森。

男性と女性の同意によって、性を行った。という、証言から、
女性が声を上げる被害があるのは私自身も経験がある。
ただ、声を上げなかっただけで、性は搾取され、惨状だった。
私は世間にとって男女の同意で性を行ったと表示され、人々が女性の人権について謳うべきものが、何かはわからない。
だから、自分のこととして、という意味のみで考える。

(いつもとは違って、ただ、感情で書こうと思う。まとまった答えとか、考えとかではなく、ただの気持ちで。)

性被害なんてもの受けてしまえば、もう、暴力を振るわれることが、全然痛くない。
リストカットが、全然痛くなかった。
流石に果物ナイフで血だらけになった時は
正直心が空っぽの状態でいながら、痛くて痛くて、あれはびっくりしたというか、面白いくらいの感覚だった。
あれが、血を流す、という意味なのかな。というような...。
私は性被害ということが辛すぎて辛さの先に行ってしまった。
そこは、仏教の教えみたいな世界。
"諦めさない。"
これは悲しいことじゃない。
体が朽ちる限り死は避けられない。
心がある限り、悲しみや辛さから避けることはできない。
そう感じ続けた。
私は、だから、男性に犯されたところで、
女性としての人権を奪われたとか、恨み、みたいなのを、少し考えたとしても、何も訴えたいとは思わないだろう。
ただじゃあ、自分がこの世界で、生きてる、生きてゆく人間に何ができるか、何が伝えられるか。
私も、同意というより、男性医師に、
"もっと色っぽくやりなさいよ、女としてみられてる証拠。馬鹿だねー、あんたもっと色っぽいんだから。"
と、家族に性行為を行なわれたことについてそう語ってた。
それは精神科医者だったけど。
もう、同意、という言葉など超えてる。
でも、だからこそ仕方ないと思える。
だから、諦めという、流れに沿う生き方ができたと思う。
私は性被害で同意、っていう事柄について、私の場合は、ぶっちゃけ同意したと思ってる。
と言ってもそのことは考えることはなく、
ただ自分の起こったデータを分析して、短所を今から変えよう。と、動くことが好きかな。

んー、性被害を受けたというマイナスの気持ちが全然出ないから、当の本人であってもわからないな。

変なのが、今日男子にひつこく付きまとわれて(ヤリモク)しんどかったけど、苦痛を味わいすぎてて苦痛を感じてしまえば変に懐かしくて、気持ちがよかったりする。
我慢して、自分を殺して、人から映る私はキラキラしてて、ってのを感じると、暗い森の中を、ただ、通行止めになるその瞬間を何かしらの安らぎというか、ぼうぜんと落ち着く感じというか、そんな感覚でぼーって、歩いてる感覚で、でも、私はすごく歩くのが好きで、ってな感じで、元々がスーパーポジティブなのかな。多幸感になってしまうんだ。苦痛を考えたり感じたりすると。それを我慢してること自体も多幸感になって治まってくる。そしてまた疼いてその繰り返しで、森や、その森から見える星、その森の向こう側に波紋がある湖、全部暗いんだけど、確かに綺麗なの。
私はそんな景色も愛しい。

私は、性被害を受けたり、被害だらけの人生に晒された過去の私のことを、心から愛することができるから、その少女をずっと抱きしめて、二人で話をしてはそこに未来の私も話に混ざれる時は混ぜたりして、結局は満たされてるんだと思う。

だから、人の笑顔が条件なしで好きでいられてるんだと思う。

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