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母性の行き場がない【アンチワーク哲学】

光浦靖子が「母性の行き場がない」と言うとき、その発言はいき遅れた独身女性の自虐ネタとして受け止められるが、もう少し真面目に考えるべきだと思う。

この発言は、いくつかの前提の上で成り立っている。

  1. 女性は普遍的な母性を持っていて、自分の子ども以外にも母性を注ぎたくなることがある。

  2. しかし本来、女性が母性を注ぐべき対象は自分の子どもである。

  3. そのためには結婚して自分の子どもを産まなければならない。

  4. 結婚に失敗したなら、子どもを産めず、母性の行き場がなくなることは仕方がない。

  5. そうならないように女性は早く結婚すべきであり、行き遅れたなら嘲笑の対象となっても仕方がない。

一方で、この社会にワンオペ育児に苦しむ孤独な母親が多数存在することは誰もが知っていて、その結果、自分の子どもを殺すような事件も少なからず報道されていることも誰もが知っている。そして、これが解決すべき問題であることに異論はないはずだ。

かたや母性の行き場をなくして苦しんでいる女性がいる。かたや24時間ひとりで母性を注ぐことを半ば強制され苦しんでいる女性がいる。この状況を僕はこの前「お腹いっぱいなのに焼き肉を食い続けなければならない女性と、お腹ペコペコの女性が同時に存在しているような状況」だと指摘した。解決策はひとつである。「みんなで焼き肉を食えばいい」だ。

しかし、現実にはそうなっていない(子育て広場のような取り組みもあるにはあるが、たいした規模には拡大していない)。障害となっているのは、明らかに先述の「本来、女性が母性を注ぐべき対象は自分の子どもである」や「そのためには結婚して自分の子どもを産まなければならない」といった前提だろう(これを「血縁至上主義」と呼ぼう)。

血縁至上主義は、血縁関係の間柄による無条件の貢献を祀り上げる。母親は血縁関係者に貢献することを欲望することが自然であり、欲望すべきであると前提する。逆に、血縁関係にない他者が自分の子どもへの無条件の貢献を欲望することはない(あったとしてもそれは願ってもいない僥倖であると解釈されるべきである)。そのため、「人様に迷惑をかけるべきではない」や「子どもをあずけるならプロにお金を払ってあずけるべき」といった結論が得られる。なぜなら、本来他人がそれをやりたがらないのであれば、他人にお願いすることは避けるか、せめてお金を払うべきだからだ。

しかし、先述の通り母性の行き場をなくした女性はこの社会には多数存在している。行き遅れた女性だけではなく、子どもが独立した女性も多い。彼女たちが子どもの世話を「迷惑」と解釈するとは到底思えない(少なくとも数時間程度なら)。光浦靖子の発言を聞いて笑っているオーディエンスは、このことに同意するだろう。

そして、女性に限った話ではない。僕の甥っ子は河川敷で遊んでいたら男性のホームレスに絡まれて、最近では毎日一緒に遊んでいるらしい。ホームレスが存在することに対する一般的な説明は次のようなものである。「利己的で、怠惰で、努力をせず、他者へ貢献しなかったから、ホームレスになってしまった」。しかし、他者への貢献を毛嫌いするはずのホームレスが、楽しそうに進んで子どもの面倒を見ているのだ(同じホームレスが僕の甥っ子に出会わなかったなら、きっと彼は公園でハトにパンでも投げ与えていたことだろう。これもごくありきたりな光景だが、よくよく考えれば「ホームレス=利己的、怠惰」という説明とは矛盾している)。

このことから当然のごとく導き出される結論は次のようなものだ。「人間は(少なくともある場面においては)血縁関係にない他者に対する貢献を欲望する」。これは僕が常々「貢献欲」と呼ぶ欲望である。「母性」とは「貢献欲」の1つの側面にすぎない。それは母親でなくても、女性でなくても、誰もが持つ欲望なのだ。

僕が「貢献欲」という言葉にこだわる理由はここにある(よく僕は「貢献が欲望? だからなに?」と言われる)。これが万人が持つ欲望であると前提するならば、社会システムの大半が明らかに非効率なのである。どう考えてもワンオペ育児に苦しむ母親と光浦靖子は手を取り合えば双方が幸福になるし、ホームレスも同様である。それなのに「貢献欲」なる概念が存在せず、無条件の貢献を血縁至上主義が制限しようとするせいで、人々は光浦靖子を「行き遅れたのは自業自得である」と笑い飛ばし、子どもを殺す母親のニュースを見ては「母親としての自覚がない」とかなんとか言うのである。

僕たちは言語によって思考を限界づけられている。言語によって思考を拡張すれば、世界を変えられる(人文学や哲学とはこういう発想のために存在する学問だと思っている)。アンチワーク哲学はこういうことを伝え続けていくのだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!