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労働撲滅界隈を盛り上げよう【アンチワーク哲学】
くみさんが発した労働撲滅界隈という言葉に現在、ツボっている。
労働撲滅界隈?の仲間
— くみさん@CC福岡60 (@kumicraft) May 29, 2024
ちなみに労働撲滅界隈の仲間とは僕のことである。
よくよく考えれば、労働を嫌悪人は多い。そのため連携し大きなムーブメントにしていきたい。
ただし、それぞれ微妙に主張の内容は異なるので注意が必要だ。僕は労働の完全なる廃絶を目指しているいわゆる「左派ニート」系の思想である。
※以下は、ニート研究者のゆるふわ無職氏の記事に基づく。
左派ニートとは・・・
左派ニートは「持たざる者」や「生きづらい人」に多い。彼らは「サラリーマンでなければ社会人に非ず」や「日本の世間体主義や同調圧力」に苦しんでいる。それ故に、革新や抵抗によって、「生きやすい社会」「働かなくてもいい社会」を目指しているわけだ。政治の面で言えば、ベーシックインカムやAI共産主義の主張。活動としては、寝そべり族(最低限しか働かない)やアナキズム系の運動が見られる。
要するに、「社会がイカれてるから、社会変えようぜ」と考えるタイプである(あるいは「社会がイカれてるから、俺は悪くねぇ!」「社会がイカれてるから、お前らなんとかしろ」といった自己弁護や他責思考に走るタイプもいる)。
この考え方は「右派ニート」系の思想とは若干、相性が悪いように思われる。
右派ニートはどんな人々なのだろう。個人的な印象を上げれば、「FIRE達成者」「セミリタイアラー」などに多い。彼らは現実を見据えており、「この社会」で働かない方法を模索し、努力してきた。それ故に、ある程度の資産を築き上げ、資本主義社会で「働かないで生きていく方法」を確立しようとしているわけである。
右派ニートは、「社会はイカれてるかもしれないけど、その中でなんとか搾取されないで生きようぜ(それができない奴は努力不足、乙)」的な思想の持ち主である。
「努力不足、乙」といった極端な思想を持つ者は、おそらく左派ニートと相容れることはない。しかし、右派ニート的な活動をしている人もたいていは「とはいえ現実的に社会は変わらないのだし、自分の身は自分で守りたいよね」くらいの身の丈に合った価値観の持ち主だったりもする。左派ニートに対して「自分は社会変革ができるほどのモチベーションはないけど、やる人のことは邪魔しないし、むしろ応援してるよ。たしかにこの社会は狂ってるからね」といった温かな視線を送る人もいる。
そう考えると、右派ニートの中でも極端な自己責任論を唱える一派以外なら、労働撲滅界隈として連携できるかもしれない。
とはいえ、「労働したくない」「労働が嫌い」という最終的な結論が一致していても、思想的なバックボーンには大きな開きがあることは事実だ。とくに左派ニート系思想の急先鋒(自称)アンチワーク哲学は、右派ニートとは前提する思想がまったく異なっている。
右派ニートは「自分は労働したくない」という発想であり、アンチワーク哲学は「誰も労働すべきではない」という発想である。アンチワーク哲学に対し右派ニートは「いや、そのような社会は成り立たない」という反論を加える可能性が高い。そうなってくると「労働」の定義論争に突入することになる。
右派ニートにとっての労働は(というか一般的な労働は)、「からだを使って働くこと。特に、収入を得る目的で、からだや知能を使って働くこと(デジタル大辞林)」といった定義である可能性が高い。たしかに誰もからだを使って働かなければ社会は成り立たない。ゆえに誰も労働しない社会は成り立たないという結論が導き出される。
ところがアンチワーク哲学は「他者より強制される不愉快な営み」と定義する。誰も強制されなくても社会が成り立つ可能性は、少なくともゼロではない。
「なるほど、そう定義するなら確かに労働のない社会の成立可能性はゼロではないかもな」と右派ニートは納得するだろう。しかし、「でもな・・・」と続き、もう一つの対立が生じる。
それは「人間は怠惰である。からだを使って働きたい人なんていないのだから、できるだけそれを避けられる方法を個人が模索すべきである」という右派ニートの主張と、「人間は怠惰ではない。からだを使って働くことも自発的に行われるなら喜びに変わるのだから、労働ではない形で社会を組織化すべきである」というアンチワーク哲学の主張の対立である。
とはいえ、右派ニートも「俺って頭や体を使って動くことが嫌なんじゃなくて、ヘコヘコしたり、怒られたりするのが嫌なんだよね」といった発言をすることも多い。つまり労働の一般的な定義が誤りであり、人間は怠惰ではない可能性に勘づいているのだ。
ここまで議論できたなら、もう和解まであと一歩である。アンチワーク哲学は、人間が怠惰ではなく、貢献欲や成長欲、達成欲を持った存在であることを根拠づける様々な材料を持ち合わせている。こうした議論で一晩飲み明かせば、アンチワーク哲学を理解してもらえるはずだ。
もちろん、アンチワーク哲学は考え方の一つにすぎない。最終的に導き出される労働の撲滅(=強制の撲滅)という結論には賛同できないかもしれない。それでも、その前段階の思考材料として、万人に(少なくとも労働撲滅界隈の人々に)共有することが有意義であると僕は考える。
・・・と、これくらいにしておこうか。
労働撲滅界隈で連携しようとしているのに、自分の思想を押し付けてばかりいるのはよくない。労働撲滅界隈の中でいろんな議論が噴出するだろうから、僕も耳を傾ける必要があるだろう。
というわけで、労働撲滅界隈に興味がある人は、以下のパーティに参加してみてね(宣伝)
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!