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1章 サボることは社会貢献【14歳からのアンチワーク哲学】

※2024年6月発売予定の新刊を1章ずつ無料公開します。

【前の章】


 大人たちは僕に教えてくれた。人生の本番は六五歳からだと。

 遊んでばかりではいけない。少しでも偏差値の高い高校に入って、少しでも偏差値の高い大学に入るための準備をしなければならない。

 なぜか? いい企業に就職するためだ。

 いい企業に就職すればたくさん給料をもらえる。お嫁さんを見つけて、子どもができて、マイホームを買うことができる。仕事や子育て、住宅ローンの返済や子どもの学費のことで忙殺されるかもしれないけれど、六五歳まで(もしかしたら七十歳まで)働けば退職金と年金がたっぷりもらえて、子どもは独り立ちし、あとは穏やかな余生を過ごすことができる。そのときのために頑張るんだ、と大人たちは言う。そして「オバケに食べられるぞ」と子どもを脅しつけるように、「ニートになるぞ」とか「ホームレスになるぞ」と言って僕を勉強机に押し込もうとする。僕にとって人生とは、六五歳までの間に一歩でも踏み外せば地獄へと落ちる綱渡りのようなものだった。

 一日だけでもいい。そんな人生から逃れてみたい。そう思って今朝、学校の一つ手前の駅を、夢遊病のような足どりで踏み締めた。まるで足の感覚がなくなったようだった。はじめて降り立った静かな住宅街。仕事や学校など、行き先を持った人たちとすれ違うたびに、僕だけがゴールのないレースゲームをプレイしているような疎外感を味わった。

 とにかく歩いた。日焼けした自動販売機と、誰かが無造作に停めたスーパーカブの向こう側に、見晴らしの良さそうな公園が見えた。芝生もある。あそこで寝転がって、お昼になったらお弁当を食べることにした。少し離れた屋根付きのベンチに先客が一人だけいたが、気にする必要はないだろうと、僕は思っていた。

 芝生に横たわると、体に引きずり回されていた意識がぼんやりしはじめる。でも、不安だけはモヤのように漂っている。うたた寝をしているような、していないような、そんな気分で過ごしていた。どれくらい寝転んだ後だろう。突然、聞き慣れない関西弁の声が聞こえた。

「学校、サボってるんか?」

 起こされたのか、それともずっと起きていたのかわからない。瞳を開くと、男の姿が霧の奥からやってくるように現れた。

「まぁ、サボってるってことになるね」

 返事をする。が、起き上がりはしない。起き上がれば、この男との会話がはじまることを僕が了承したことになる。僕は不安と共に過ごす夢の世界に、居心地の良さが芽生えているのを感じていた。こんな男に邪魔されてなるものか。

「そうか。なんでや?」

 僕の様子を見ても男は邪魔することを諦めたくないらしい。芝生から起き上がらない僕の横にしゃがみこんだ。

 なんだよ、邪魔だな。

 僕は知っている。理由を聞いてくる人は、理由を聞きたいんじゃなくて、説教したいだけだ。この男も「歯を食いしばって学校に通い続けたらいいことがある」とかなんとか、僕に説教するつもりだろう。先生や親ならまだしも、得体の知れない男に説教される筋合いはない。もし、説教しようとしてきたなら、売り言葉に買い言葉だ。日頃のイライラごと、この男にぶつけてしまえ。

 僕は自分の中に怒りが巻き起こるのを感じ、話しはじめた。労働するだけの人生を歩みたくないこと。受験したくないこと。つまらない人生を受け入れて妥協している同級生が嫌いなこと。今日、学校をサボっていること。

 そして、僕の話を一通り聞いたあとに男が言ったのだった。

「ええか、労働ってのは悪なんや。世の中から撲滅された方がええ」
 こうして僕の怒りは迷子になって、困惑と好奇心が代わりにやってきた。


 君は君の役に立て

「ちょっと詳しく聞かせてよ」

「お、アンチワーク哲学に興味あるんか?」

 まるで「お、釣れた釣れた」とでも言うようなテンションだ。釣られたと思うと腑に落ちないものの、しばらくは付き合ってもいいだろう。

「どうせ暇していたし」

「暇なんやったら学校行けばよかったやん」

「それが嫌って話、さっきしたでしょ?」

「そうやったな。少年、役に立つことして偉いなぁ」

「え? どういうこと? むしろ役に立たないことをしてるんだけど?」

 男の言うことは、やはり意味がわからない。

「どうしてそう思うんや?」

「だって、『役に立つ』って受験勉強みたいに、将来の役に立つことを意味するんじゃないの?」

 僕の言葉を聞いて男は「計画通り」とでも言わんばかりに、頬に笑いを含ませる。思い描いたシナリオ通りに、僕が返事をしているみたいだ。

「なら、そうまでして目指す『将来』ってなんや?」

「それは・・・いい企業に就職すること?」

「どうしていい企業に就職したら役に立ったことになるんや?」

「いい企業に就職すれば、給料がたくさんもらえるからじゃないの」

「なんで給料をたくさんもらえたら、役に立ったことになるんや?」

「いつまで質問つづけるの?」

「いいから、考えてみ」

「うーん」

 なにを答えても質問で返されてばかりだ。それでも、どうやら男の質問は、文字通りの「質問」らしい。普段、先生や親から受ける質問(「どうして勉強していないの?」)のように、答えた途端に「それは言い訳だよね?」と蓋をされるようなことはなさそうだ。

「お金を儲けたら家族を養えるから?」

「じゃあ銀行強盗に成功して、そのお金で家族を養ったら役に立ったことになるんか?」

「そりゃあならないよ。銀行強盗は単に略奪しただけ。きちんと仕事をして、誰かの役に立って、給料をもらわないと」

「なるほど。なら、質問は元に戻ってきたな。大企業で働いてたくさん給料をもらうということは、誰かの役に立ってることを意味するんやな? じゃあ『誰かの役に立つ』ってどういうことや?」

 考えすぎて脳みそが筋肉疲労を起こしているのを感じる。あれだけ受験勉強しているのに、運動不足の脳みそに無理やり筋トレをやらせてるような気分だ。

「うーん、つまり『なんのために仕事するのか?』ってことだよね。それは『誰かを喜ばせるため』じゃないかな? 食べ物をつくれば食べる人が喜ぶし、漫画を描けば読んだ人が喜ぶわけだし」

「なるほどな」

「あとは『誰かの苦しみを取り除くため』も、かな。皿洗いに苦労している人のために食洗機をつくれば、皿洗いという苦しみを取り除いていて、それは役に立っているよね」

 いつもイライラしながら皿を洗う母親を思い出しながら、僕は付け加えた。

「そうやな。で、少年は誰かにとっての『誰か』やろ?」

「ん? そうだね」

「なら、少年が喜んだり、少年の苦しみが取り除かれたりすれば、それは『役に立つこと』やろ?」

「まぁ・・・他の人からすればそうだよね」

「他の人からしてそうなら、少年からしてもそうや。大人たちは少年を喜ばせたり、少年の苦しみを取り除くために、朝から晩まで働いて食べ物や漫画をつくってる。それやのに少年が行きたくもない学校に行って自ら苦しんだなら、大人たちはなんのために役に立とうとしているのかわからんやろ? だったら、少年はゲームでもアニメでも好きなことをやって、嫌なことから逃げればええ。それが『役に立つ』ってことなんや」

「好きなことは、役に立つこと?」

「そう。それは社会貢献みたいなもんや。少年は社会の一員なんやから」

 一体どういうことだろう? これまで僕は、我慢することが「役に立つこと」なのだと、大人たちに教えられてきた。我慢して我慢して、歩き続けたら、いつの日か泉のように湧き出る「好きなこと」を思いっきり味わう未来がやってくるのだと言い聞かされていた。

 でも、この男は違った。いま目の前にある「好きなこと」を味わえばいい。それが「役に立つこと」なのだと言う。バカバカしい屁理屈かもしれない。でも、そんな風に生きられたなら、どんなにいいか。

「アンチワーク哲学は『好きなことをやって、嫌なことから逃げろ』って主張する哲学や。そうすればみんなが幸せになるっていうことを証明しようとしてるねん」


食欲は存在しない

 好きなことをやって、嫌なことから逃げる。そんな風に生きられたらどんなにいいか。でも、信じたい気持ちを脇に置いてみれば、やっぱりおかしいと気づく。そんな上手い話があるはずがない。僕は冷静さを取り戻して、男に反論を試みた。

「うーん、そりゃあみんなが好きなことをできた方がいいよ。でもさ。みんなが好きなことをやって嫌なことから逃げていたら、世の中が成り立たないんじゃないの? 誰かが食べ物をつくらないと、食べるものが無くなっちゃうんだし。みんなが我慢して嫌なことをやって、結果的にみんなが喜ぶ社会になっているんじゃないかな。ていうか・・・」

「ていうか?」

「ニートがそれ言っても説得力なくない?」

「なんでや?」

 男は本気で「意味がわからない」といった顔をしている。この男には常識ってものがないのだろうか。

「だってニートって、必死で働く人々の恩恵を受けて暮らしているわけじゃん? そのくせニート自身はなにも社会に貢献していないじゃん? 『好きなことをやれば幸せになれる』とは言っても、みんながニートになったら社会は成り立たないよね? 『ニートは苦労を知らないで、気楽でいいよね』ってことにならない?」

「なるほど、面白いことを言うな、少年は」

「いや、面白いことを言ってるのは僕じゃなくて・・・」
 そういえば、僕はこの男の名前を知らない。

「・・・俺か?」

「うん」

「少年、いま俺のことなんて呼べばいいかわからなくて迷ったやろ?」
 やっぱり、この男は僕の心を見透かしているような印象がある。僕は気恥ずかしさを背中に隠すように、冷静さを装って返事をした。

「え? まぁ、そうだね」

「名前教えたいけど、なんか癪やなぁ・・・まぁ『イケメン』とでも呼んでくれたらええわ」

 なにがどう癪なのかがわからない。それにしても「イケメン」だなんて、この男のネーミングセンスは壊滅的なようだ。

 でも、一風変わった服装のせいで注目していなかったが、改めて男の面構えを見つめてみると、スマートな切れ長の瞳にスッと高い鼻。引き締まった頬。整えられたゆるふわパーマ。悔しいが、「イケメン」と呼んでも差し支えない顔をしている。

 だとしても、「イケメン」と呼ぶなんて、それこそ癪だ。

「なんか嫌だなぁ。だっておっさんじゃん?」

「おっさんでもイケメンはおるやろ?」

「まぁ」

「ほな、『イケオジ』はどうや?」

 どうって言われても、「イケオジ」も、この男にはもったいない褒め言葉だ。もっとひねくれていて、だらしない印象を表現しなければ・・・

「うーん、でもニートだしなぁ」

「ニートは関係ないやろ」

「わかった『ニケオジ』はどう?」

「なんやそれ。属性盛り込みすぎて渋滞してないか?」

「じゃあ略して・・・『ニケ』?」

「なんや猫みたいな名前やけど、まぁええわ、それで」

 ニケ。しっくりこない気もするが、イケメンと呼ぶよりはマシだ。

「じゃあ、話の続きを聞かせてよ、ニケ」

「慣れるまで時間かかりそうやなぁ・・・」

 ニケは頭をポリポリとかきながら、話の続きをはじめた。

「ほんでな、アンチワーク哲学ではな、みんなが好きなことをやってても世の中は成り立つし、いままで以上に幸せな社会になると考えるねん」

「でも、それはうまくいかないってさっき言ったよね?」

「結論を急いだらあかん。少年は人の『好きなこと』がなんなのか、考えたことはあるか?」

「好きなこと?」

「そうや。つまり、人はなにを欲するんや?」

 相変わらずニケは質問してばかりだ。それも、いままで考えたこともないような質問を。

「そりゃあ、『食欲・睡眠欲・性欲』が三大欲求と呼ばれるくらいなんだし、ご飯を食べることと、寝ることと・・・」

「セックスやな」

「・・・そうだね」

 ニケは「セックス」だなんて、平日の昼間から平気で口にする。恥じらいというものがないらしい。

「ほかには?」

「うーん、ゲームで遊んだり、面白い漫画や本を読んだり、スポーツで体を動かしたり? あとはベッドに転がってダラダラと動画を観るのもいいよね」

「じゃあ、他の人の役に立つことを欲することはあるか?」

 人の役に立つこと? そんなの欲するわけがない。先生や親は「人の役に立つことをしろ」と口にするだけではなく「人の役に立つのは気持ちいいこと」なんてキレイゴトを言う。僕はそういうキレイゴトを聞くと吐き気がする。ニケも似たようなことを言おうとしているのだろうか?

「無いでしょ? もしそんな風に思ったとしても、『いい人に見られたい』とか『見返りが欲しい』とかそういう理由であって、役に立つこと自体を欲するようなことはあり得ないよ」

「それはおかしくないか?」

「どうして?」

「少年は電車で老人に席を譲ったことはあるか?」

 そういえば、ニケはさっきから僕のことを「少年」と呼ぶ。昔観たアニメ映画に登場するおじさんキャラが、主人公のことをそんな風に呼んでいたのを思い出す。ニケは僕の名前を知りたくないんだろうか。

「聞いてるか?」

「え、あぁ・・・何度かあるよ」

「それは老人の役に立つことを欲したんとちゃうんか?」

「いや、マナー違反をする奴だと思われたくないし、いい人に見られたいからだよ」

 それが本音だ。人の役に立つことなんて、本当ならやりたくはない。

「じゃあ、貢献したいという欲は存在しないけど、食欲は存在するってことやな?」

「当たり前じゃん。貢献はしたくないけど、食欲があるからご飯を食べたくなるんでしょ?」

「じゃあ、食欲を取り出して見せてくれるか?」

「え?」

 食欲を取り出せ? そんなことを言われても・・・

「無理やろ? じゃあ外科のお医者さんなら食欲を取り出せるか? 顕微鏡で人体を観察したら食欲が見えるか?」

「・・・無理だね」

「『食欲』ってラベルがついたホルモンが体内で分泌されているわけじゃない。食欲は存在しないんや」

「食欲は存在しない?」

「人が食べ物を欲する理由を説明するときに、『食欲』に突き動かされていると考えた方が説明しやすい。便利やからとりあえず存在することにしただけで、実際に存在してるわけではないんや」

 そんな風に考えたことはなかったが、言われてみればたしかにそうだ。哲学者ってのは、変なことを考えているらしい。

「だとすればおかしくないか?」

「なにが?」

「人が食を欲するのを見て食欲に突き動かされていると考えるなら、人が誰かに貢献しているのを見れば、貢献欲に突き動かされていると考えるのが筋とちゃうか?」

 ニケは不思議な言葉を使う。貢献することが欲? いったいどういう意味なのだろう?

「それはそうかもしれないけれど、だったら貢献欲とやらはそんなに強い欲ではないんじゃないの? ご飯を食べない人はいないから『食欲』という言葉をつくらざるを得なかったけど、席を譲らない人はたくさんいるし、貢献という行動は誰もが行うわけじゃない。だから『貢献欲』なんて言葉は必要なかったんじゃない?」

「ほんまにそうやろか?」

「そうだよ?」

「人の役に立たずにいることは辛いって、少年も知ってるやろ?」

「そうかな。僕は誰かの役に立ちたいなんて思わないけどね。家でお母さんに皿洗いを手伝ってと言われるとウンザリするよ」

「みんなが学芸会の準備で忙しそうにしてるのに、自分だけ突っ立ってたらどんな気持ちになる?」

 少し想像してみて、なんとも居心地の悪い感情を覚える。でも、なぜかそのことを認めたくない気がして、強がって返事をした。

「別に。手伝わずに済んでラッキー、かな?」

「ほんまか?」

 ニケがニヤニヤ顔のまま僕の瞳を覗き込む。再び心を見透かされているような気分になって思わず遠くに目を逸らす。二人きりだった公園にベビーカーを押した若い母親が来ていて、行き場を失った僕の視線はそこに流されていった。

「正直に言うてみ。居心地悪いやろ? みんなに貢献した方が楽しいやろ?」

「いや、別に?」

「じゃあこんな状況はどうや? 君は好きなお菓子を買ってルンルン気分で家に帰ろうとしている。ところが、道に今にも餓死しそうな子どもがいて『ちょーだい』って言ってきた。少年は子どもにお菓子を分け与えるか?」

 状況を想像してみる。さすがに断るのはしのびない。

「さすがにその状況なら分け与えるよ」

「やろ? そのときどんな気分やろか?」

「どうだろう。ちょっといいことした気分になれるかもね」

「ほな、逆に分け与えずに通りすぎたとすればどんな気分になる?」

 想像してみる。

「ちょっと、罪悪感あるかもね」

「せやろ。それは貢献欲がある証拠にはならんか?」

「状況が極端すぎない? たまたまそういう状況だから貢献するだけであって、『欲』とまでは言えないんじゃないかな?」

「なら、お腹が空いてるときに美味しいハンバーグ屋さんの前を通って『食べたい』と感じたとしても、食欲があるとは言えないってことやな?」

「うーん、でもなぁ・・・」

 理屈の上ではニケに押されている気がする。でも、納得はできない。貢献欲だなんてバカげている。そんなに人間は善良じゃないと、僕たちは知っているじゃないか。


人は殺してもいい

「でも、学校には喧嘩もあるし、いじめもある。芸能人のセクハラや企業のパワハラ、政治家の不祥事なんかしょっちゅうニュースになる。殺人や詐欺、強盗はいつまでたってもなくならない。もし人間が自発的に貢献し合う生き物だったなら、こんなに世の中が腐っているはずがないよ」

「せやな・・・」

「そうでしょ? だから貢献欲なんてないんだよ」

 ニケは「やれやれ」といった大袈裟な身振りをして話を続ける。

「あんな、話が極端やねん。俺はなにも人間は百パーセント善意だけで構成されているなんて話はしていない」

「え? どういうこと?」

「ええか。一個でも悪いことをしたら貢献欲が存在しないことになるのはおかしいやろ? 朝飯を抜いた日が一日あっただけで『食欲は存在しない!』なんて言う人はおらんやろ?」

「それは・・・たしかにそうだね」

 悔しいけれど、ニケの言うことには一理ある。哲学者を名乗るだけはあるようだ。

「アンチワーク哲学が言いたいことはな、人間はありとあらゆる行為を欲望するっていう事実や。食べることや寝ることもそうやし、貢献することも欲望する。それだけじゃない。人を支配すること、セクハラすること、人のものを奪うことも欲望するやろうな」

「じゃあさ、アンチワーク哲学は『みんなが好きなことをやればいい』なんて言うけど、トラブルだらけになるんじゃないの? 人は悪いことも欲望するんだよね?」

「まぁその可能性もある。ただな、少年が思ってるほど世の中に悪いことを欲望する人間はおらんはずや」

「そうかな。みんな一皮剥けば悪いこと考えてるんじゃないの?」

 一四年も生きていれば、大人たちの汚い部分が見えてくる。子どもの頃は、大人は完璧に正しくて、犯罪に手を染めるのは一部のダメな大人だけなのだと思っていた。でもいまでは違うと理解している。人間なんて一皮剥けば自分勝手で、ワガママで、強欲な生き物なんだ。それが現実なんだと、僕はもう知っている。

「あんな・・・そういうのを中二病って言うんや」

「中二病?」

 面と向かって「中二病」と言われたのははじめてだ。ニケには遠慮ってものがないらしい。 

「少年は実際にいま中二やからしゃあないねんけどな。そうやって無意味に斜に構える態度は中二病や。現実を冷静に見つめれば、悪い人間なんかほとんどおらんことがわかるはずや」

「そんなことは・・・」

「ところで少年は『なぜ人を殺してはいけないか?』について考えたことがあるか」

「いや、ないけど・・・」

「どう思う?」

「どう思うって言われても・・・『法律で禁止されてるから』? それとも『自分が殺されたら嫌だから』かな?」

「ほらな、その回答がもう中二病やねん」

 また言われた。僕は少しムッとして言い返してしまった。

「じゃあさ、答えはなんなの?」

「俺から言い出しといてアレなんやけど、そもそも質問が間違ってる」

「は? なにそれ、そんなのズルくない?」

「ズルないわ。ええか、そもそも人は殺してもいいんや」

 人を殺してもいい? なにを言っているんだこの男は?

「いやいや、ダメに決まってるじゃん」

「少年の家には包丁はあるか?」

「そりゃ、あるけど?」

「こっそりカバンの中に忍ばせてくることくらい簡単やろ?」

 僕は今朝の様子を思い出す。お父さんが一番先に家を出て、お母さんが出て、最後が僕だ。

「まぁ、簡単だね」

「俺が気を逸らした瞬間に包丁を取り出して刺すことなんか簡単やわな」

「やろうと思えばね」

「ほら、殺していいってことやん」

 いや、「ほら」ではない。

「でも、殺したら警察に捕まって刑務所に入れられちゃうよ?」

「刑務所も考え方によったら悪くない場所やで。刑務所内の労働は土日祝休みで残業なし。それでいて衣食住は保障されてる。刑務所より酷い環境のブラック企業で働いている大人なんて山ほどおるやろな」

「だからといって、殺していいことにはならないよ」

「考え方を変えよか。少なくとも、刑務所に入ることを前提にすれば人を殺すことは可能や。でもな、それでも人を殺す人は多くない。その理由はなんや?」

「刑務所に入りたくないから?」

「それもあるけど、もっと根本的な理由や。誰も人を殺したくないからや」

「え?」

「なにが『え?』やねん。少年は俺を殺したいんか?」

「いや別にニケのことは殺したくないけど・・・みんな『殺したい』って平気で言うじゃん」

 同級生たちとの会話を思い出す。そういえば、クラスで幅を聞かせる生徒たちに「殺すぞ」などと威嚇されたこともあったっけ。

「そんなもん中学生特有の強がりに決まってるやろ。本気で殺したい相手なんかおるか? そんだけ嫌いなんやったら、まず距離を取ろうとするのが普通やろ?」

「まぁ、そうだね」

「『なぜ人を殺してはいけないか?』という質問に真面目に答えるということは、『人は人を殺したがっていること』を前提にしてるねん。でも、その前提がそもそも間違ってる。本気で人を殺したがってる奴なんかほとんどおらん」

「でも・・・」

 僕は日々、リビングのテレビから流れるニュースの映像を思い出しながら言った。

「現実に殺人を犯す人はいるよね?」

「まぁ殺人がゼロの社会っていうのはむずかしい。でも、限りなくゼロにすることはできる」

「どうやって?」

「労働を撲滅すればいい。殺人が起きるのは労働のせいなんや。ぜんぶ労働が悪い、労働が!」


【続き】


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