小説家は、ダメ人間の最終就職先

そんなことを、どこかの小説家が言っていたような気がする。確かに、作家には年齢制限はないし、応募資格もない。30代からアイドルになることはできないし(純烈みたいな例外はあるが)、スポーツ選手を目指すことも難しい。起業家になるには資金やコネクションが必要だ(と思っている人が多い)。何だか一発当てられそうで、社会に縛られない生き方で、自分でもできそうなこと、という制約で普通に考えていけば、ダメ人間は小説家に辿り着くだろう。

僕は、小学生の頃、小説家になりたいと思っていた。でも、本気で目指したことはない。年齢制限がないことを知っていたから「いつか、なにもやることがなくなったら小説家になろう」と保留してきたのだ(なろうと思えば、なれると思っているのが、どうも浅はかで笑える)。もし、今から目指すとなれば、僕も典型的なダメ人間だ。「おれは、他の奴らとは違う。才能がある」という、その他大勢と何ら変わらない謎のプライドを抱えた小説家志望者の1人だ。そんな自分は恥ずかしくて耐えられない。米津玄師の『ナンバーナイン』風に言えば「恥ずかしいくらい生きていた僕らの声」というやつだ。「笑わないでね」という気分になる。

小学生の頃と違う点があるとすれば、物語がどれほどの力を持っているのかを、20年近くかけて体感してきたことだ。『サピエンス全史』でいうフィクションこそが、歴史をつくるということを知っていることだ。僕たちの頭の中に、どれだけのフィクションが存在して、どれだけの影響を被っているのかはわからないが、少なくとも、僕たちの社会がフィクションに左右されていることを知っている。そのフィクションに揺さぶりをかける、新しいフィクションを作りたいのだ。正確に言えば「作れそうだ」と思っているのだ。

noteの設定を変えて、明朝体にしてみたら、急に小説家っぽい雰囲気になった。影響されて、それっぽいことを書いてしまっている。なんだか、こっぱずかしくなってくる。

でも、いいじゃないか。恥ずかしいことを垂れ流して、批判されて、バカにされて生きていくのも。よく思い返せば、バカにされるのは慣れている。村上春樹曰く完璧な文章なんて存在しないのだから、適当にやって、笑われよう。

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