子どもの予防接種について思うこと。

受けた方がいいと思っているし、受けてもらっている。だが0歳8ヶ月の息子は明らかに嫌そうだ。でもこの子はまだ予防接種の有用性を理解できないから説明することはできない。仕方なく「この子のため」と心を鬼にして、強制的に予防接種を受けてもらう。

ここで僕が書いた「この子のため」は、大人が自分の都合を押し付けるのに使う常套句だ(例えばゲームするより勉強しなさいとか、起業するよりも大手企業に就職しなさいとかだ)。僕はこれらの言葉が嫌いだ。子育てをするときには使うまいと決心していた。だが、予防接種に限っては使わざるを得なかった。僕は「予防接種はセーフ」だと言い切ることはできなかった。

予防接種の有用性は科学的に証明されており、副作用はあるがかなり低い可能性に留まっている。しかし、科学は間違うこともあるし、可能性はあくまで可能性だ。もしかすると100年後の世界では「愚かにも昔の人々は予防接種なんてものを打っていたらしい」と言われているかもしれない。なら、本来、全ての情報を比較検討し、打つか打たないかを判断するのは、本人であるべきだろう。

「判断できないから仕方がない」「まだ理解できない」も大人が都合を押し付けるための常套句だ。困った。ごめんよ、これは僕の都合なんだ。

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