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「何者かになれ」というプレッシャーについて語りたい

フォローさせてもらっている伊藤さんの記事を読んで、思わず「わかるぅ〜」という気持ちになった。今日はその気持ちがなぜ発生したのかについて、少し考えてみたいと思う。

ものすごく雑に要約すると、次のような内容だと思う。

得意なことがあったこと
今じゃもう忘れてるのは
それを自分より得意な誰かがいたから
BUMP OF CHICKEN『才悩人応援歌』
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ
ずっとコマつきのチャリをこいでた
Creepy Nuts『かつて天才だった俺たちへ』

何者かになりたかった。でもなれなかった。今さら僕がピアノを始めたり、プロゲーマーを目指したところで、どうせ一流にはなれないから辞めておこう。なんだかなぁ。そんな感覚だ(伊藤さん、違ったらごめんなさい)。

この感覚はどこから由来するものだろうか? 恐らく「その道のプロになって金を稼がなければ、その行為は無駄である」という世論に由来しているものだと思われる。

極端に言えば、プロ野球選手にならなければ高校野球なんでやっても無駄という価値観だ。もちろん、そこまで極端な価値観の持ち主は少ないかもしれないが、それでも何かの活動に没頭している人を見れば「それやって飯食えるの?」という疑問は誰しも多かれ少なかれ抱くと思う。

YouTubeはその傾向に拍車をかけた。今までならごく一握りの人しか飯が食えなかったピアニストという職業にも、ストリートピアニストとしてYouTubeで広告収入を得るという選択肢が現れた。これはもちろんある意味ではいいことだ。しかし、この結果、誰かに趣味の話をした途端、「それYouTubeで配信したらええんちゃう?」と言われてしまうという事態が訪れた。

まるで金にならなければ、趣味活動は全て無駄であるかのような発想だ。

ホリエモンも「遊べばいい」という言説を発信していることで有名だが、彼の言説も、趣味=金儲け至上主義に後押ししていると言わざるを得ない。なぜなら、「遊べばいい」の後に、「夢中で遊んでいたら、それを金にする方法があるから」が続くからだ。これが若干捻じ曲がって「何がなんでも遊びを金に変えろ。金にならないなら、やるな」という世論を形成してしまうのは、ある意味で当然の帰結であるように思う。実際問題、単に遊んでいるだけでは、食えないのだから。

つまり、今の社会には、金儲けを一切度外視した趣味活動をバカにするプレッシャーが蔓延しているのだ。

「下手の横好き」が許されなければ、人は軽いノリで趣味に挑戦できなくなってしまった。もちろん、10代の若者ならば許される。5年、10年とそのスキルを磨く時間的余裕があるからだ。一方で、既にその道のプロになる見込みが少ない年齢から、新しい趣味に挑戦することは大いなる勇気を要する。

楽器屋さんに行けばそのことがよくわかる。そこにはぎこちない姿勢でギターについて丁寧なレクチャーを受ける10代の若者か、試奏しながらプロ顔負けのテクニックを披露するおっさんしかいない。下手くそなおっさんはいないのだ。

先ほど引用したクリーピーナッツの曲は、そんな風潮に反発して、僕たち凡人を励ます歌のように見える。しかし実際は、この風潮の延長線上にあることは、次の歌詞からも明らかだろう。

俺らは大器晩成
時が来たらかませ
Creepy Nuts『かつて天才だった俺たちへ』

つまり、「30代からギターを始めてもいい」と言いながら「そのかわり、ちゃんとプロになって大器晩成してね」と言っている。「別に大器晩成しなくてもええやん」という歌ではないのだ。人生100年時代用にややアップデートはされているものの、結局は世論の後追いに過ぎない。

(その点BUMP OF CHICKENは、やや歯切れが悪いものの、凡人が凡人のままでいることを肯定してくれているように見える。)

僕たちに必要なのは、「何者かになれ」というプレッシャーから趣味活動を解放することだろう。ここで「羽生結弦は初めはプロを目指したわけではなかった」的な言説に逃げ込んではならない。なぜならその言説は結局、羽生結弦になることを目的化しているからだ(思いついたから名前出したけど、羽生結弦がどんな気持ちでスケートしてたかは知らんw)。

やってみたくなったから、とりあえずやってみる。そんなラフな姿勢が僕たちには必要だ。そうじゃないと人生がせせこましくなる。

僕も馬鹿みたいに文章を書いている。たぶん、大半の職業エッセイストよりも書いているんじゃないかと思うくらいだ。最近はYouTubeも始めてしまった。それでも、これらの活動が僕が正社員の仕事を辞められるだけの収入になる見込みはない(いくらか有料記事を買ってもらったことと投げ銭をもらったことはある。関係各所の方々、その節は、どうも!!)

それでも、僕は馬鹿みたいに続ける。ちなみに僕はこの文章のうち、1つ訂正しなければならないことがある。楽器屋に下手くそなおっさんはいないと言ったが、僕はこの前、楽器屋さんで下手くそなおっさんとしてギターを買ったのだ。今さらエドシーランを目指すつもりはない。ノリだ。

(もちろん「エドシーランになって億万長者になれたらいいなぁ」という想いが全くゼロというわけではない。しかしそれは「宝くじ当たったらいいなぁ」くらいのもので、別にその感覚を否定する必要もない。)

伊藤さんが毎日noteを更新しているのも、きっとノリなんだと思う(違ってたらごめんなさい!)。別にいいか、ノリで生きていれば。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!