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BAR 0214 【現代編】

はじまり

ある役者が言った。
「僕も今度、私小説を舞台化するんです」
その男は、紅に会ったことがあるのだろうか。
むろん、これからはじまる物語はフィクションである。




BAR0214(バーゼロニーイチヨン)メニュー

【現代編】RED EYEの誘惑(公開中)
    やさしいBLUEeyes (公開中)
    空白の丑密 (公開中)
     LAST ~会釈~ (公開中)

【平安編】丑三の秘め事(公開中)
     漆黒の恋 
(公開中)
     真夜中の絵師たち 
(公開中)
     つかの間の永遠 
(公開中)
     鏡淵 
(公開中)
     テンバイ峠の怪
(公開中)


【江戸編】花ぞ昔の香ににほひける 2021年4月10日有料公開予定)

【大正編】さようなら三つのくれない(2021年5月15日有料公開予定)





RED EYEの誘惑


「クロエ?ですか?」
隣に座っていた彼があまりにもバッグを見ながら言うので、
なんとなく勘違いしているのかなと思った。

「どこですか?」と、伏せ目がちにバッグの方を見て言ったが、
きっと、どこにお住まいですか、ということかと「黒江」だと言っても
目を合わせてくれなかった。念のため付け加え、こう続けた。

「いえ、バッグはノーブランドです。
この辺りの地区の名前が、黒江(くろえ)というんです」

少し覗き込むようにして、彼の目を見る。

あら、まぁ、なんて美しい顔立ち

「あ、あの、実は、おねーさんがタイプだったもので、
そちらを見れなくて。
言葉足らずの質問になったみたいで、こちらこそすみません。
僕も実家はこっちのほうなんです。まあ、まだまだ南の方ですけどね。
明日もこの近くで仕事なので、今夜は近くのホテルに泊まっています。
ふらっと散歩していて、吸い込まれるようにこのバーに入ったんです。
いつも飲まないのに、BARに入るなんて変な感じです。
あははっ、慣れないお酒を飲むもんじゃないですね。恥ずかしいです」

そう言いながら彼は汗びっしょりのグラスを揺らせた。
その色からみると、彼が飲んでいるのはカシスオレンジだろう。
「今お飲みになっているのは、カシスオレンジですか?
甘いお酒って酔いがまわるのが早いですよね、ふふっ」

「あ、はい。実はビール苦手で、甘いのしか飲めなくて。
おねーさんは、なんかオシャレな、あかいお酒ですね。
あ、申し遅れました僕こういうものです。まっちゃんと呼ばれています」

彼が差し出した蒼い名刺には、「画家 MATSUO」とあった。
どうやら絵描きさんらしい。

「まっちゃんですか、ずいぶん可愛らしい呼び名ですね。
そうですね。 私は……。ベニちゃんとでもお呼びください」

「紅、ですか。その紅い飲み物みたいな名前ですね。
 僕は赤より、そんな色の方が好きです。よく飲まれるのですか?」

まっちゃんは一瞬、自分の名前を躊躇する私の言葉に首をかしげたが、
深くは気にしなかったようだ。若そうだし、純粋そうだ。
この人ならピッタリかもしれない。久しぶりに喉がゴクッと鳴った。

「レッドアイっていうお酒ですよ。
私の好きな味によく似ているので、いつも頼むんです」

「へえ。僕も飲んでみようかな。って言いながら、
もうお酒が回って、ぼーっとなっちゃってるんですが」

いや、もうこれ以上は飲まないでいただきたい。
今が旬の、美味しそうな状態なのだから…。

マスターのグラスを磨く手が、一瞬、止まった。
カウンター奥のハメ殺しの窓からは、雲から顔を出した月が見える。
ああ、きっと真夜中には晴れてくる。
ひんやりとした夜に、
彼のような青年のうなじは、きっと、美味しい。

「あら、それは大変ですわ。この店はノンアルコールもありますのよ。
そうですね。この桃ベースの『はつ恋のしずく』なんていかがかしら?
私もノンアルコールにしますから、
二人でこの後、酔いを覚ましません?ホテルはその角かしら?」

丁寧な女性口調の 低いトーンで ゆっくりと話し、
真っ直ぐに見つめると、彼の頬が少し赤くなった。
冷静を装っていても、今みせた表情が酔いからの赤面では無いとわかった。

なんてピュアなひと。こんな男と三日月の夜に出会えるなんて…。

「じゃあ、 マスター、はつ恋のしずく下さい。
そうだ!一杯ご馳走させて下さい。あ、えと、べ、紅さんも、桃ですか?」

あらあら、これから一杯吸わせていただくのに、
ご馳走してくださるとは、罪な青年…。

マスターは黙って台を拭きながら目配せをしてくる。コイツならいけると。

「そうね、私はあの珈琲をいただきたいわ。この後、まっちゃんを
無事ホテルまで送れるように、シャキッとしたいの」

彼は何も疑わず、ニコニコして黒板の本日の珈琲、「漆黒の恋」を注文した。
ネクタイを緩めた彼の胸元には、ロックアーティストが着けているようなチョーカーが見える。コレさえ、外していただければ…。
「酔っていらっしゃる時は、ネクタイも、ネックレスも、お脱ぎになった方がいいのよ」

脱ぐ、という言葉に反応したのか、彼は素直にその全てを外し、
無造作にカバンに詰めた。

珈琲の湯気が口元を緩め、危うく八重歯を見せるところだった。
まっちゃんは氷がたっぷり入った桃ジュースをゴクゴク飲み干し、
お冷を二杯もお代わりして、二人分の支払いまで済ませソワソワしていた。

「漆黒の恋」にお砂糖をたっぷり加え、スプーンでゆっくりとゆっくりと円を描く。この珈琲はマスターと私とのサインだった。
まっちゃんはすでに、コートもマフラーも手袋まで身に着け、
腕時計に何度も目をやっていた。
彼はやっと席を立つ私の椅子を少し引く手伝いをし、紳士的にコートを羽織らせた。先に出口に向かい、カランカランとドアを鳴らすと
少し振り返り、まるでお姫様を扱うようにエスコートをしてきた。

前に進みだした彼から三歩後ろを守り、
窓越しに見えるマスターにいつもの合図を送った。

 いただきます

やたらとこちらを見ながら、ずいぶん前を歩くまっちゃんの後を、
ゆっくりとゆっくりとついていき、
二人でホテルのエレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まったその瞬間、左コーナーに彼を力強く追い込み、耳元で囁く。


「 目を、 瞑って くださらない? 」

よし、落とせた。

素直に目を閉じたまっちゃんの口元はすっかり緩んでいた。

そう、何も怖くないわ。少し、チクっとするだけ。
そしてこのあとは、あなたが望む夢を見れるのよ。
この青年なら、自分の絵が高値で売れる夢かもしれない。

気づけば朝で、血を吸われたことも、女性に出逢ったことも、
名前さえも、リセットされて何も覚えていない。
ただ、漠然とした幸福感だけが残る。
それがこの地方のヴァンパイアの能力だった。

あぁ、彼のうなじは雪よりも白く美しいのに、
こんなにもはっきり紅い筋が…。
彼の首にあてた唇が、少し、震えた。

「何、してるんですか?」

顔を真っ赤にしながらも、喜んだ顔でこっちを見てくる彼に驚いた。
噛まれたからではなく、首にキスをしていることに、ニヤリと口角を上げながらまっちゃんは意地悪にもそう質問してきたのだった。

ウソ!
その瞬間、逆に、
「えっ? ちょっと!」

今度はまっちゃんに押され、右コーナーに追いやられる。
唇を、奪われた。
経験したことの無い震え…。身の危険を感じるほどだ。

―― チーン

古びたエレベーターのドアが 7階で開く。

逃げるしか ない。

非常階段へと続くまっすぐな廊下を 脇目も振らずに駆け出す。
緑の光だけが、道しるべだった。


どうなっているの?条件は整っていたのに…。
マスターでさえ彼を見抜けなかったということ?

階段を降りきると、彼が追いかけて来ないことを確認し、
もういちどBARに戻ることにした。
セメントを打つピンヒールの音だけがALLEGROに響く。


24時00分

雲の隙間から覗く三日月が 冷たく笑っているように見えた。




やさしい BLUE eyes

まつおは久しぶりに氣持ちのいい朝を迎えた。

窓から差し込む柔らかい陽が、ビジネスホテルに泊まっていたことも

忘れるほどだ。

大きなあくびをし、猫のような伸びをして起き上がると枕元の蒼い羽根がヒラリと舞い、足元に落ちた。

これはなんだろう

昨夜のことを思い出しながら、スマホで今日の予定を確認する。

お酒を飲まない彼が、何故吸い寄せられるようにあのBARに入ったのか、その答えは簡単だった。

美しい女性がその店に入っていくのを見かけたからだ。その店の名前も女性の名前もすっかり忘れている彼だが、綺麗な三日月の夜にうつくしい女に出逢ったことだけは覚えている。「描きたい」という下心でナンパしたのに、自分のことを知らない女性を全く落せなかった。

少し前まで東京でよく使っていた「俺が描いてやってもいいんだぜ」という口説き文句も通じないとわかると、何もできなかった。

とにかく丁寧な女性だった。

それ以上を思い出そうとしても、思い出せない。

布団から出た彼が ふと思い出したのは、

美味しい桃のノンアルコールカクテルが『はつ恋のしずく』という名前だったことだ。

もう一度、あのBARに寄ってみるか

そう呟きながらテレビをつけると、この前、桃の節句カフェの空間デザインと称して撮った、チークが可愛い女子アナとのインタビューが流れている。あの女性からのメッセージはすべて既読スルー状態。どんな女性に対しても、カノジョにしたいと思うことがなくなった。

描くこと一筋に生きてきたまつおは週刊誌に恩師との疑惑の関係を書かれたこともあった。故郷でもそんな噂がたつ画家として知られているだろうと思っていたが、このあたりの人には全く声をかけられなかった。チヤホヤと同時にとことん追い込まれる都会とは全く違う故郷の空気に、体も心も緩んでいた。今朝のまつおは特に、人として生き返った感覚につつまれ、言葉に表しようのない漠然とした幸せの中にいるようだった。

顔を洗い、髭を剃り、湯気で鏡が曇ると、昔ホラー映画で観たかのような文字が浮かんだ。

三日月の夜にまた逢いたい、紅

思わず手が震え、少し顎を切ってしまった。

そんな部屋に泊まってしまったのか。ツイてないな。

彼はチェックアウトの時にフロントに文句を言おうかと思っていたが、あまりにも係のお兄さんが青白い顔で立っていたので、何も言わず宿を後にした。

その角に、BARは無かった。

あるのは花屋。ちょうど開店したところで、店先に花を並べていた。

まつおはすべてが夢だったように感じてきた。

ボーっと立つ青年に何かを感じたのか、ブルーのエプロンお姉さんが

彼に声をかける。

「おはようございます。そのマフラーについている羽根、ステキですね。プレゼントですか?」

着けた覚えもなかったが、枕元にあったあの羽根がまるでコサージュのようにマフラーに付いていた。

「ああ、えーっとあの、この辺りに確か、そうだ。数字のBARは無かったですか?」

「数字、ですか。そんなオシャレなバー、聞いたことないですね。若い人が始めたのかしら……」

「いえ、別にいいんです。あ、あの蒼いバラを一本だけ頂いてもいいですか」

「はい。ありがとうございます。あら、もうすぐ入荷なのに……。ごめんなさいね。これ、少し悪いみたい。お値引しておきますね」

店員の氣づかいにほっとするものの、やはり自分が知られていないことに寂しさを感じてきた。

特にどうするかも考えず目についたバラを欲しいと言い、どのくらい値引されたのか分からないまま二一四円支払って店を出ると、

マフラーに寄り添っていた羽根が風に連れ去られ、空高く舞った。

 満月のようなやさしい太陽が頬を温めると、ふと昨夜の三日月を思い出した。

さっきは恐怖を感じたあの文字を手帳に書き留め、まつおは次に描く一枚を想い浮かべた。

来月になれば、何かが わかる。そんな氣がしていた。



空白の丑蜜 ~透きとおる時間~ 

 彼女はその晩、「紅」という名を口にしたが、名前なんて無かった。もう、そんなこともどうでもよくなるくらい長い間生きている。人間のことは、猿から進化を遂げて、狩猟や木の実取りの時代、文明が発展して争いが起き、争う大きさも変化し、道具まで使って殺しあうようになったことも、それが何度も繰り返されていることも見てきた。

 人間に惚れてはいけない、惚れさせてもいけない

その教えを破り、何度か人間のように人に恋をした。


惚れた男は先に逝き、惚れられた男はまるで抜け殻のように仕事をしなくなった。やはり、ヴァンパイア代々の教えは正しかった。

 何度も失敗を繰り返し、彼女はバランスをとれるようになった。ほんの三〇〇年ほど前からだ。

三日月の夜、純粋で夢に真っ直ぐな青年を選び、(迷った時はペアのヴァンパイアに目で確かめてもらう)人間の女性が男性を誘うような手を使い、血を頂く。頂いた代わりに、ひとつ夢をかなえる手伝いをする。男は彼女のことを忘れるが、漠然とした幸福感に包まれた男は次の朝から、夢へと一歩前進できる。そうして次の新月を迎える頃、その男の夢は不思議と叶っている。彼女はその瞬間を遠い山の木の上から見守ることが多かった。

 ある三日月の夜、彼女の三〇〇年の成功理論を覆す男が現れた。

男の名は「まつお」。画家だという。誘って引き込み、首筋に噛みついたところまではよかった。いつも通りだった。ところが男は気を失うどころか、キスを返してきた。彼の身体が火照り、燃えているように感じるエレベーターの密室。危険を察知した彼女は自分が飛べることも忘れ、七階から非常階段を駆け下り、一直線にバーへと走った。バーの扉に手をかけ、安心しきったその瞬間、ふわっと後ろから抱きしめられた。まるで美容師がケープをかけるみたいに、そっと、 やさしく、 そっと。

「どうして、 逃げちゃうんですか」


左耳元で囁く彼の声に、少しぞくっとしながらも彼女は冷静さを取り戻した。七階から階段を駆け下りていく彼女を見た彼は余裕にエレベーターを使って降りていた。そうして先回りして待っていたのだ。

「……」

「ごめんなさい。僕もちょっと酔ったふりなんかしてました。悪かったです。どうしてもあなたの絵が描きたくて。ずっと見てました。ぶっちゃけ、口説こうとしてました。でも紅さん、何か隠してません?ちゃんと言ってください。僕、聞きますから」

 三日月に雲がかかり、冷たい風が足元を通り抜ける。

彼女はやさしく手を振りほどき、コクッと頷いた。

「わかりました。ホテルに戻って、部屋に入れてもらえますか」

「僕はいいですけど。でも、ここで話を聞いたほうがいいんじゃないですか?それとも、あのマスターに聞かれるのが嫌ですか?マスターは彼氏さんですか?」

「ふふっ…。すべて見られていたんですね。お恥ずかしいです。彼は、そうですね。先輩、うーん相方みたいな感じです」

「僕は、紅さんがいいなら、ホテルに戻りたいです。あ、あのそんな意味じゃなく。さっきはすみません」

まつおはエレベーター内で情熱的なキスをしたことが今さら恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめ俯いた。

「こちらこそ、すみません。あ、うなじが」

彼女はそう言って彼のうなじの血をハンカチでぬぐった。

「もう一度、連れていってもらえますか?」

「はい、僕でよければ」

まつおがあまりにも紳士的に手を差出したので、彼女はそっと手をつないだ。人間に対してこんなにもやさしい気持ちになれるのは久しぶりだった。

「エレベーター、乗ります?」

「からかわないでください。私、これでも年上ですよ。もう噛まないですから、安心してください」

そんな冗談を言いながらエレベーターを待つ間、彼はずっと手を繋いでくれていた。人間の手はこんなに温かいのだと、彼女は久しぶりに昔の恋を思い出した。

彼には、言っておかないと…

「エレベーターの中は、狭いですね」

そう言いながらもまつおは、彼女を見なかった。階数表示が上がっていく様子を黙って二人で見上げながら七階につくと二人は同時に降り、やっと手を放した彼は今ではなかなか見ないレトロな鍵でその部屋を開けた。

「狭いけど、ちゃんとツイン料金払ってあるから、泊まってもいいんですよ?」


狭いベッドが二つ並んである角部屋の窓からは三日月と港がみえた。その向こうにはイカ釣り漁船らしき光が三つならんでいる。彼は入口のクローゼットにコートをかけ、紅にもハンガーを渡した。

「ウソウソ、言ってみただけ。ちょっと前まではそんなことを言っただけで女の子を落とせたんだけどなー。紅さんには通じないみたいだ。あ、適当にくつろいで。紅茶でいいかな。えーっとコレどうやるんだっけ」

「あ、わたしやりますよ。紅茶は得意なの」

彼女はコートをハンガーにかけ、クローゼットに封じ込めると紅茶をいれはじめた。

「僕、こういうの苦手で。ありがとうございます」

「男の人と紅茶を一緒に飲むのは久しぶりで。ドキドキします」

「ほんとに?紅さん、口、上手いですもん。僕も酔ったふりなんかして口説こうとしたのが悪かったですけど」

「ほんと、ですよ。でも、ほんとに私が飲みたいのはあなたの血なんです」

「???」

彼女はカップの紅茶を蒸らしている間に、自分のことを洗いざらいまつおに話した。ずっと人間の歴史をみて生きてきたこと、人間の男に好きになられたらとんでもない姿に変貌し、二度とその男には顔を見せなくなること、初めて口唇を奪われたこと。

「でも、忘れちゃうんです。男の人は、朝になれば、私のこと」

まつおは哀しげに俯く彼女の瞳をじっと見つめ、やさしく手をとった。

「こんなにうつくしい手、瞳、髪、唇…  僕は、絶対に忘れることができないですよ」

彼女はそれに返事もしなかった。

「お手洗い、使いますね」

そう言うと彼女はバスルームに入っていった。なぜか、シャワーの音。洗面台の水の音が聞こえ、まつおは男として少し期待したが、五分も経たないうちに彼女は着ていたワンピースのままで出てきた。

 戻ってきた彼女の手を引き、まつおはやさしく、そっと、その手にキスをした。彼女の涙がポトっと まつおの手の甲に落ちる。

「好きにならないでください。そしたら、私も、きっと、きっと…」

「僕でよければ、ずっと血をあげます。だから、紅さんを覚えていたい」

「でも、忘れちゃうの。男はみんなそうだった」

窓の外では、さっきまであんなに晴れていた空に厚い雲が現れ、漁船は遠くへ行ってしまった。

羊のような雲が二つ三日月の上を通り過ぎていく。

「じゃあ、試してください。ほら!」

堂々と自ら首筋を差し出した彼に我慢できなくなり、紅茶を蒸らしていることも忘れベッドに押し倒した。

「…んっ。あぁ」

エレベーターの中とは違い、その管にしっかり噛みついて吸い出すと、まつおは少し顔をゆがめたが気を失わなかった。

「こんな男、初めて…」

彼女はそう呟き一瞬目を合わせたが、すぐにそらせた。まつおは彼女の腕を強く引きよせ、抱きしめた。

優しくじゃない、強く、強く、二度と離すものかと…。そんな熱い抱擁に満たされ、肩の力もふーっと抜けた。すうっと自然に目を閉じていく。

彼女が人間の男の隣でこんなにも安心して眠るのは初めてだった。

「僕も初めてだよ。こんなに我慢できるのは。なんて残酷で うつくしいんだ 君は」

彼女の耳元にキスをし、やさしく やさしく 髪を撫でた。彼女が深い眠りに落ちるまで。

まつおは眠気が来る前にどうしても彼女をデッサンしておきたかった。

そっと腕枕を外し立ち上がろうとすると、急激な眠気に襲われ目がまわる。

    ウソだ。悔しい、俺もほかの男と同じなのか。

幸せそうな顔で眠る紅のそばに倒れこみ、後ろからそっと彼女を抱きしめる。

厚い雲に覆われていた三日月がニヤリと顔を出す。

夢の中へ行こうとするまつおの瞳には、蒼くきらめく彼女の髪と、

その奥で深く深く染まった二杯の紅茶が映った。

三日月は厚い雲に覆われ、風は窓を カタ カタ カタ と鳴らした。

まつおは、眠りに落ちた。

デジタル時計がちょうど二七時を打ったときだった。


LAST ~会釈~ 

「今夜も頂けますか?」

満月ではなく、三日月の夜、彼女は現れる。

左のカーテンがふわっと揺れたら、あ、来たなと感じる。

「今夜はもう来ないと思ってたよ。まだ俺のでいいんだ」

ヴァンパイア歴の数え方は知らないが、歳をとらないらしい。

俺が見る限りの彼女は二十四くらいでどっかのOLかのように見えた。

黒マントとか想像しがちだが、意外にも普通の格好で、

パジャマ姿でもふらっと急に現れる。

初めて出逢った三日月の夜、彼女は蒼いワンピースを着ていたように思う。

BARで隣に座った俺は、完全に彼女を口説こうとしていた。そして別の意味で彼女も俺を狙っていた。

どんな基準だかよくわからないがそのルールがあるらしく、

清い血を好む系統で、

「不足するととんでもない姿に変貌してしまうから、お願いいたします」

と丁寧に頼まれた。そんなヴァンパイア、いる?

とにかく、条件はひとつ。

 

   『彼女を好きにならないこと』


そんなことを言われ、最初は戸惑ったが、

どうやら俺の演技は超一流らしい。

そう、今夜までは……。

俺のうなじから唇を離した瞬間、彼女は倒れた。

バレンタインからロングランで続いていた公演もフィナーレだった。

ストーブのないこのアトリエは吐息が白く、

彼女の口から煙みたいなもくもくが出た。

「だから、言ったのに…」

みるみるうちに小さくなり、窓から見えるあの海よりも蒼い羽根の鳥が

鳴きもせず飛び立った。

真っ直ぐ  遠く  遠くへ 

「紅さん!」

窓に駆け寄り精一杯の声で彼女の名を呼んだ。

その時は少しだけ振り返り、会釈したようにも見えた。

どこかでうつくしい鳥が飛んでいたら、彼女かもしれない。

俺は、今でも、三日月を待っている。



つづく……(ZINE初版:2020年2月14日)





《 感謝と今の想い 》

  いつもご支援いただき、ありがとうございます。おかげさまで、ZINE版は、第3版まで突入し、累計99部(1部は手元に残しました)を完売させることができました。これもひとえに、リアルに私をささえてくださった、みなさまのおかげです。

 リアルでのイベント企画を得意としてきた私にとって、このコロナ禍は、本当に辛いものでありました。

 しかし、先輩大御所作家さんをはじめとする、表現に全精力をつぎ込んでこられたみなさまも、同じく葛藤をいだいたのだろうと、必死に走り、筆を執り続けました。

 同じように表現される方は、少なからずこう思ったのではないでしょうか。


「 今こそ、 表現の力で、人々を勇気づけ、一緒に乗り越えるような作品をつくり、生きる人々にエールを送りたい 」


 それは、プロ・アマ、収入可否に関わらず、全ての表現者(クリエーターを含む、すべてのカタチをとり、伝えるひと)が抱いている、コアだと、私は考えます。


 しかしながら、現状は、表現者にとっても、とても厳しいものであります。中止・延期を繰り返す中で、お疲れになった方、イベントの中心企画者でおられた方も、ギリギリの判断を迫られ、肩に力が入りすぎた方もおられましょう。


 以前どこかの記事で読んだ、「地域のスクラップアンドビルト型イベントが若者を疲弊させ、ひいては、夢を潰す」という現実は、少なからずあったかと思います。特に、地方で、です。


 私は、そのような中でも、言いたくなる本音をグッと堪えて、耐えて、それでも、自分が納得するまで作品に向き合う方々を応援してきました。

 そんなもん、そんなもん、食っていけないだろうと言われつづけて育ってきたひとも、それでも、何かに向かうひとを、です。

 もしも、これを読んでおられる方のなかに、そういう方がいらっしゃいましたら、深呼吸して、胸に手を当てて考えてみてください。途中で諦める、楽しむ道を選ぶ、最後まで貫く、どちらを選択するにせよ、あなたの人生です。

 自信をもって、選択してください。


 ただ、いい大人が、未来を担う若者の抱える何かに、少しでも気付いてあげられなくなったら、申し訳ない。私自身は、そう考えます。もういい大人だから、です。

 どうか、そういうことで悩んでいる、私よりも若い世代のひとがいたら、どうか、あなたの好きな道を選択してください。

 そして、あなたのいのちは、何よりも最優先で。



 2021年2月14日 愛をこめて 初稿(現代編)全文公開

 香月にいな



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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

いいバレンタインを。





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