祈りのような仕事。
今日、地域の味噌づくりに参加した。
移住の先輩、地域の先輩たちに教えてもらいながら地域コミュニティのいい例だなぁと感じた。
何回か味噌づくりはやったことがあったけど、麹から仕込むの初めて。しかも、自分たちでつくったお米で麹を仕込めるのが嬉しい。今回の味噌イベントの参加にあたって色々準備してくれたパートナーには感謝だ。
麹を仕込んでいるときにパートナーが「なんかこういう仕事って、農業とかと似てて、あとは見守るしかないっていうか…」って呟いた。
僕も「そうだなぁ」と思った。
ちいさな畑や田んぼも適当にやっていると、生き物や自然に対して自分ができることなんてほんとちっぽけだなと思うし、自分の意図や思い通りにならないことが多い。むしろ起こったことをどれだけ「ただ見る」ことができるかが大切だと思う。そこからまた自然からメッセージを読む力や自分に出来ることを考え、行動することも必要だろう。ほんとうに「ただ見る」ってのは本当に難しい。何もしないわけでもなく何かするわけでもなく、景色や現象に自分を溶け込ませていくというか…
そんな風にぼんやりしたことを考えた。今してる仕事でも「ただ見る」ことが難しい。介護の仕事でも「見守り」ということが大切だ。初めのうちは「見てるだけ」の難しさを感じた。もちろん仕事中は動く人のことを「見てるだけ」なんてことは出来ず、何か突飛な動きがあるとすぐ声や手が出てしまう。それでも慌てて動かずしっかり「見守る」ことが大切だ。「見て」「守る」本当に難しい。
何かを育てたり、お世話をする。いわゆる「ケアワーク」や「お手入れ」の仕事、大袈裟な言い方になるかもしれないが「命」と関わる仕事では「何かをする」ことよりも「どーか無事でありますように」と「祈る」ようなことしか出来ないんじゃないかと思う。
もちろん本当に何もしないわけにはいかないし、知識や経験などに基く手立てが意味が無いことはなくて、どれもやれることはやっておきたくなるのが人間ってやつだ。それでもこの「どーか無事であるように」という「祈り」みたいなことが自分以外の「命」に対してできるささやかな仕事なのだろうと思った。
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