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かっこいいお金の使い方について正月に考えてた、youtube動画を見ながら

お金の使い方の時代の流れって、私の認識ではこんなかんじ。

40年くらい前は「「みんな」が持っているとされるもの」を買う、追いつく消費。マイホームとかマイカーとか、ペットとか婚約指輪とか訪問着とか。高度成長期の昭和の残滓であったり、そういう親たちを見て育った子世代が世帯を持って行った消費活動であったり。昭和の終わりと平成初期ですね。

その次は金持ちやセレブが買ってるとされるブランドとかを背伸びして(でも背伸びしてることは言わずに)買う、または買ってる人がすごいとされる、富裕層もどきの消費。シャネルとかディオールとか、高校生でもグッチの財布とか。ザ・平成ってかんじ。平成中期。

でもってその揺り戻しと不景気による、ミニマリストとかシンプルライフとか低コストを使いこなすとかの節約系消費。これが平成後期と令和初期。

そして令和6年現在(まだ令和初期と呼べる時期なのかもですが)、たぶん一番いけてる金の使い方って「個性のある使い方」なんじゃないかな、というのを、すしらーめんの動画見ながら思ってました。

思ったきっかけはこちらのラジオなんですけど。

ここで「これからの消費は「どれだけ得をしてるかではなくどれだけ損をしてみせるか」じゃないか」「損をしてる姿に、みんな「すげー」ってなるんじゃないか」みたいなこと話してて、そこで挙げられてたすしらーめんの動画を見てみたんですね。


様々な「実験」のためにいろんなことしてる動画配信者(24歳!)が、いろんなことをし続けるために廃校になった小学校を購入した、そのルームツアー動画です。ルームツアーですが買ったのは小学校なので学校ツアーです。昇降口を車で爆走したりする。

なるほど、これが今いちばん新しい「憧れられる浪費の姿」か……と、激しく腑に落ちた次第です。
人間、「新しいもの」を見ることでそれまで見てたものが古くなったのだと知るわけですが、小学校を買う、に比べるとヒカキンの爆買いとか20億の豪邸とかは、もはや一世代古い浪費の仕方に見えてしまうんですね。すげーなーとは思うけど憧れにはならない。でも10年、20年前だと確かに「憧れ」になってたんですよ。これは私が中年になったからというだけでなく、おそらくどの世代的にもタワマン最上階生活を「すげー」とは思っても「うらやましい」とは思わなくなってる、そういうかんじ。

そう、金持ちが金持ってることがわかる消費の姿、スポーツカーとか(これもたいがい古いけど)クルーザーとかそういうのって、見た一般人が「憧れ」「これができるのはすごい人だ」と感じた時代は確かにあった。でも今はそうじゃなくて、動画配信のために小学校買ったとか、都会の広告代理店にいたけどエミューと暮らすために田舎の家に移住したとか(これも好きなチャンネル)、そういう、個性のある、江戸の言葉でいうと「粋」とか「酔狂」とか呼ばれてた消費行動、それがたぶんこれからのカリスマとかインフルエンサーとかの姿……

そして一定以上のあるていどの成果物はAIで作れるようになったことも絡んで、今後は「発想力」、そしてその実現度、というものが評価軸になっていくんじゃないか……

かつて家柄で人が判断されていたのは、良い家柄でないと良い教育を施されていなかったから(学校に行けなかった、そもそも)、家柄がそのまま人間の完成度のパラメータとして機能してたため。
そして誰もが学校に通えるようになると、今度は学歴で判断されるようになった。
さらによほどの事情がない限り大学進学が必須ともいえるようになってくると、今度は学歴でもなく人柄とか発想力とか、そういうもので判断されるようになってくる……発想力はさらに実績の形で見せないといけない……

のかもしれないな、と、爆薬でリアルTNT作ってみた動画を見ながら考えた正月でした。

ところで小学校直すためにお金がいるということでクラファンやってらして、これが早々と目標の十倍でゴールしそうな勢いです。
でもわかるー。
こんだけ楽しそうなことを楽しそうにやってる人にちょっと出資することで「俺もあれに少し噛んだんだぜ」っていえちゃうんでしょ? すごいことだそれは。
人間が楽しいのは楽しいことをするか楽しそうな人を応援するかの二択しかないんですもんある意味で、結局。
クラファンでお金集まってるってことがそのまま憧れられてるってことの表れだよなあ。

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