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どこでもドア実験

東洋経済オンラインを読んでたら、

[渋谷がいつの間にか「池袋化」している理由 - 渋谷を渋谷たらしめた文化は影を潜めた] 

という記事をみつけた。

2013年には長年保っていたJRの乗降客数3位の座を東京、横浜に抜かれて5位に転落、さらに2016年には僅差ではあるものの、品川に抜かれ、6位に転落。憧れの地として人を集めてきた勢いを失い、単なる猥雑な繁華街として個性を失いつつある渋谷に未来はあるのだろうか。

1990年代のぼくにとっては、渋谷は洋服とレコードを買いに行く街だった。代官山のハリウッドランチマーケットから裏原まで歩くのはまったく苦にならなかった。その途中で渋谷で食事したり、ZESTやシスコテクノやシスコレゲエでレコードや本を買ったりすることもよくあった。

いまでは本も洋服もレコードもすべてネットで見つかる。時間もないし、わざわざ代官山から裏原まで歩いたりしない。そうやってぼくは15キログラムの脂肪を纒うかわりに、時間を獲得したのだ。2000年11月にAmazonが日本に進出してから、本だけでなくCDなどもネットで買うのが普通になり、その分野も拡大していった。2004年にZOZOタウンも始まっている。

ZESTが閉店したのが2005年の6月、HMVの渋谷店が2010年8月だけど、こうして、ネット対応が遅れたショップがどんどん閉店していき、代官山から渋谷経由で裏原に至るグレーター渋谷圏のリアルのトラフィックを失っていったのが、渋谷の無個性化がすすんだ大きな要因だろう。ぼくも2004年末から10年近く渋谷に通勤していたからわかるが、中小の個性的な店が存続できないレベルでのトラフィックの減少があった一方で、渋谷の家賃は落ちなかった。表参道にソフトバンクやグローバルブランドの旗艦店が出店し、H&MやZARA,フォーエバー21などのファーストファッションの出店も相次いでいた。渋谷の家賃に耐えられるのが、こうしたチェーン店だけという現実によって、渋谷はどんどん無個性化していった。

現在では逆に、南平台とか松濤とか、住宅街が張り付いていている「奥渋谷」とよばれるような地域には、居住者が普段使いするような、気の利いた飲食店が増えて賑わっているという。もう個性的な個人店はそうした、もともとあまりトラフィックがなかった、辺境の渋谷にしか出店できなくなってしまったが、幸運にもそうした集積が人を呼び込んだのだろう。

で、タイトルの「どこでもドア実験」なのだが、街の魅力を考えるとき、あなたが「どこでもドア」を持っていたら、渋谷に行きたいと思うのはいつですか?という思考実験をしてみればいいということ。いったん交通事情を捨象してしまえば、その街の素の魅力をあなたがどう感じているかがわかる。

古本なら神保町に、中華料理を食べるんだったら横浜の中華街に、牛タンなら仙台に、寿司なら金沢に、焼肉なら大阪になどと思い浮かぶかもしれない。「高速道路や新幹線が通ればうちの街も栄える」というアホみたいな意見に出くわすことがあるが、ぼくはいつも、「どこでもドアがあったらあなたの街はなにを目的に人が訪れるんですか?」とこころの中でつぶやいている。

「どこでもドア実験」の結果、ぼくが渋谷に行く必要があるのは、ホルモン焼きを食べに「ゆうじ」に行くときだけだということがわかった。だから渋谷の乗降客数がいくら落ち込んでも驚かない。「どこでもドア」ができた未来には、交通事情とは一切関係なく、独自の魅力をもったサービスや商品をもった街しか生き残らない。今のところ「どこでもドア」ができるとは思わないけど、新幹線やLCCや自動運転は「どこでもドア」がある未来に、街を少しだけ近づける。そんなふうに藤子不二雄先生のクリエイティビティをつかって世の中のことを考えるのは楽しい。





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