Weathering with you(ネタバレ注意)

感情と理性

以下ネタバレを盛大に含むので閲覧注意です。

この映画がハッピーエンドだとか、バッドエンドだとか、犯罪だとか…そんなものは心底どうだっていい、どうでもいいのです。(個人的にはハッピーエンドだと思ってます)

この映画の対立軸は「感情(子供)」と「理性(大人)」なのです。しかし、「愛」はその対立を上回るのです。

須賀さんは「年を取ると優先順位が変えられなくなる」だったり、「一人の人柱で晴れてくれるならそれでいい」と言うわけです。

この言葉は、大人になると”感情の前に理性が立つこと”、”一人の犠牲で、多数の幸福が実現されるならそれでいい(功利主義)こと”を示唆するのです。

(こう考えると、自分の大事な人以外に興味がわかず、大事な人が幸せであればそれでいいと思っている僕はまだまだ子供っていうことですね。)

ここでいったん整理しておきます。

理性(大人)➡ 感情より理性、個人の満足より多数の満足

感情(子供)➡ 理性より感情、多数の満足より個人の満足


主要な登場人物はどっちに属するか

ここで帆高、陽菜の2人がどっちに属するか分類してみます。

帆高→悩む間もなく子供です

陽菜→大人です(バイト、料理、凪の世話、みんなが笑顔になると嬉しい)


帆高のバックグラウンド

この映画は帆高のどうしようもないくそっぷりがたくさん出てきます。実家を出た理由もはっきりとしたことは描かれていませんでした。

ただ、マクドナルドで陽菜からもらったハンバーガーを一人で食べて、”16年間生きてきた中で一番…”という発言から考えると、帆高の実家での生活はそんなに幸せではなかったのだと推測されます。

つまるところ、帆高は他人から「愛された」経験が東京に来るまでなかったのです。憧れの東京に来てからも、チンピラにどつかれ、働き口もなく息苦しい生活を送っていたわけです、陽菜や須賀に会うまでは…


「愛」を知った帆高

東京で陽菜や須賀に会い、人の温かさを知った帆高は、ちゃんとその温かさを陽菜や凪へと向けることができるのです。愛を知らなかった帆高は愛を知って、ちゃんと周囲の人に対して愛を与えることのできる人間でした。

それが狭い範囲にしか及ばない愛だったとしても、それでいいのです。それでいいの?と思う人はいるでしょうが、帆高に重なる部分が多分にある自分は、個人的に帆高を肯定しなければなりません。


彼岸から降りてきたときに帆高が陽菜を、陽菜さんではなく陽菜、と呼んだのは年下だと知ったからではないと思います。

陽菜の方が辛いのに頼りない自分の存在、陽菜に頼り切っていた自分の存在からの決別をあれは意味しているんだと思います。これからは自分が陽菜を背負っていくんだ、という決意の表明に違いないのです。

高校を卒業し、東京に出てきた帆高は東京農工大に進学するのです。現役の時に東京農工大を志望していた身として、帆高はまあまあ勉強したと想像がつきます。

優しさに加え、ちゃんと帆高は努力をすることが出来る人間なのです。陽菜のために立派になろうと、いろんな意味で何もない島で努力をしてきたのです。これをいい男と呼ばずに何と呼ぶんでしょう?


東京は沈んだけど

ラストシーンで陽菜は空に向かって祈っています。この祈りは何なのか…。陽菜が大人であることを考えると、これは東京を水に沈めてしまったことに対する後悔の念の現れなんでしょうか…(まだわかりません)。​

これを見た帆高は涙を流します。

この歌を聴く限り、帆高が泣いた理由は、陽菜が背負っている罪悪感に思いを寄せた結果だと思います。

そして、同じシーンで陽菜は帆高を見つけた瞬間、帆高の方へと走っていきます。きっと陽菜は、自分に晴れ女の”役割”を与えた帆高からの大丈夫だ、っていう言葉を望んでいたんだと思います。

そこで帆高は、「僕たちはきっと大丈夫だ!」ってちゃんと言えるんです。

これは帆高が子供だから言えた言葉かもしれないけど、その子供っぽさに陽菜は救われたんです。それでいいんです。よく言った帆高!いい男だ


陽菜と帆高はきっと大丈夫。世界なんてどうでもいいんだ。大事な人を愛することのできない人間に世界を愛することなんてできやしない。

大事な人を愛することのできる彼らは世界も同じように愛して行ける!




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