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国分寺書店のオババのもう一つの顔

「惻隠の情」について書いていて頭に浮かんだ人がいる。椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」のあのオババである。僕達は結婚して国分寺に住んでいた。24歳と22歳の若夫婦で夢のような新婚生活だったが、二万円少々の僕の月給ではやりくりが付かず、蔵書を売っては生活の足しにしていた。その際に本を売りに行くのを嫌がる新妻に救いの手を差し伸べてくれたのがオババその人だったのだ。
駅の南口に古本屋が二軒あり、その一軒がオババの店の国分寺書店だった。椎名誠と同じく僕もオババとの出会いは悲惨なものだった。偶々足を踏み入れたその店で西脇順三郎の「梨の女」を見つけた。だが買いたくても買う金がなった。給料日まで待っていたのでは売れてしまうかもしれない。取り敢えず本を人目に付かないところに移動しておこう。そんな邪な考えで本を手にしたら、何時の間にか僕の後ろにオババが立っていたオ。オババから万引犯であるかの如く厳しく叱責され、即座にその店に入り辛くなってしまった。
もう一軒は駅のロータリーの正面にあった。店の真ん中の平積みに雑誌や参考書が雑然と並んでいる古本屋らしからぬ店だった。その平積みの中にそれまでどんなに探しても探し出すことができなかったC. E. マニーの「小説と映画」が紛れ込んでいた。しかも価格が何倍もするはずの絶版の本が元の値段の半額以下だった。何か言われるかと恐る恐る代金を払ったら素知らぬ顔して受け取った。何だか貴重な本をだまし取ったような気分で店から飛び出した。尤もそんな僥倖はその時一度きりのことだったが。
オババの店の敷居が高いとあって本を売るにはその店しかなかった。二度ばかり持ち込んだが店主に本を見る目がないのか僕が予想した値の三分の一程度にしかならなかった。みすみす損をするのはもうこりごり。専門書の揃っているオババの店なら高く買ってくれるに違いない。今度こそは何があってもあの店に持ち込もうと勇躍家を出た。だが、店が近付くにつれあの怖いオババの顔が頭に浮かんできた。次第に足取りが鈍くなり駅前の広場を行ったり来たりしているうちに名案が頭に閃いた。
妻に売りに行かせようとの姑息な思いを胸に家に飛び帰った。だが妻はそんな質屋通いをするようなはしたない真似は絶対に嫌だと突っぱねる。そうかい、それならいいよ、その代り売った金は自分が全部使うから、と僕も嫌味を口にする。言い争いが続いたが、家計を与る妻がとうとう了承した。引きつった顔して渋々家を出た妻はなかなか家に戻ってこなかった。店に入ることが出来なかったのだろうか。悪いことをした。迎えに行ってやろう、と家を出たら向こうから妻が帰ってくる。意外にも軽々しい足取りで。
妻が手にした大きな風呂敷を振りかざして凱旋将軍のように意気揚々と我が家に入ってきた。草色の風呂敷のその片隅に国分寺書店と名前が印字されている。何でもあのオババが「これからはこの風呂敷に本を包んで持ってきなさい。高く買ってあげるから」と言って妻に呉れたのだそうだ。びくびくしながら店に入ってきて口もきけない妻を見てさすがのオババも憐憫の情を催したのだろう。店で本を大事にしない客を容赦なくとっちめるあの怖いオババにそんな一面があったのかと驚きを隠せなかった。
それからというもの、妻はその風呂敷を広げては「そろそろオババに会いに行かなければね。何か売る本はない」と言って本を催促するようになった。僕から本を取り上げるや妻はまるで親戚のおばさんにでも会いに行くようにいそいそとオババの元に駆け付けた。僕の本は福田恒存のシェイクスピア全集以外すべてなくなったが、オババが本を高く買ってくれたおかげで僕達はサラ金とは縁なく過ごすことができたのだった。ここに改めて「ありがとう国分寺書店のオババ」とオババに心からの感謝を捧げることにする。
(写真:ライムと同じく我が家のスダチの木にも実がなった)

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