見出し画像

私らしい、私になる

ビザの関係で渡航が遅れていた妻と、3週間ぶり再開した。

その夜、「次に日本への帰任発令が出た時点で会社辞めるわ。旅人になる」と告げた。「ええで」との返事。その後、15時間近く深い眠りから目覚めなかった。

学生時代の私の生き方コンセプトは、「旅するように暮らしたい」。休講期間になると、なけなしのバイト代をはたき、バックパック一つでアジア各国を旅したものだ。みずみずしい青春の1ページである。

卒業後は旅への未練を断ち切り、月並みに就職した、つもりであった。しかし、「旅するように暮らしたい」のが生来の私。断ち切ったつもりの未練は、実際には断ち切れていない。仕事から帰れば、猿岩石のユーラシア横断ヒッチハイク旅を遠い目で眺めたりしていた。

30代には、ありたい自分と現実との葛藤から鬱を患った。ついには最初の会社をやめ、一年半もの間、子持ちプー太郎としてヨーロッパに渡ったこともある。じたばたしていたのだ。

しかし、娘が小学校に上がってからは、そんな思いにもようやく蓋をする覚悟が出来た。いや、「家族を不幸にしない」を旗印に、自己催眠をかけたのである。それ以降は、給料やポジションを上げていく会社員双六をそれなりにエンジョイしてきたと思う。

海外出張のあるポジションに配置してもらったりで、内なる自分をなんとかごまかしやってきた。そして5年前、ついに念願の海外赴任を勝ち取り、現在二ヶ国目。面談では必ず帰任の話が持ち上がるが、頑なに首を振っている。

「旅するように暮らす」自分から遠ざかる理由はない。

そうこうしているうちに娘も独立し、旗印もなくなったので、会社員双六を楽しむための自己催眠からも目覚めることにした。そんな儀式が、「会社やめるわ。旅人になる」「ええで」である。

30年に渡る、長い長い夢から覚めた気分だ。
目覚めた時には涙が流れた。

随分遠回りしたが、私らしい私になれた私がここにいる。

いや、その遠回りがなければ、私らしい私はここにいなかっただろう。


みんなの俳句大会ライラック杯のテーマは「私らしい、私になる」。絶賛募集中。


励みになります。 大抵は悪ふざけに使います。