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#心に残るあのエピソードをあなたへ

チェーンナーさんのバトンリレー企画

のんちゃさんからバトンを受けました。
とても光栄です。

のんちゃさんと私とは、昨年5月頃からのお付き合い。謎のビャンビャン麺コラボも。

いつもありがとう。


さて、本題。

社会人になって最初の勤務地は、阪神間にある某飲料会社の工場。翌年の1月に阪神大震災が起こった。
新婚生活3ヶ月目のことで、婚礼家具や電化製品はほとんど損傷した。

会社は社宅から歩いて5分の距離にあった。地震翌日見に行くと、製品や半製品はもちろん、多くの機械類も倒壊していた。とても製造どころではない。地震から1週間後に視察にやって来た本社社員は、早くとも数ヶ月間は製造停止と見積もった。

若手が最初に指示されたのは、従業員の安否確認であった。自宅の片付けもままならない中、私も神戸長田あたりまで原付で走った。余震は続いていた。数名の社員がお亡くなりになっていた。

ライフラインは断たれ、ガスと水は復旧まで数週間を要した。しかし、地震翌日には、懐中電灯、カセットコンロ、水、缶詰、即席麺などが会社から支給され、凌ぐことが出来た。当時は今ほど保存食の備蓄など言われていなかったので、緊急調達したものだと思う。

会社は地域に住む人にも、貯水タンクから飲料水を提供した(飲料工場なので水はふんだんにあった)。数日後には従業員用の浴場を開放。受付をしていた私は、涙を流しながらのありがとうを何度も頂戴した。

別働隊が昼夜問わず復旧作業にあたっていた製造ラインは、予想をはるかに上回る3週間での製造再開に漕ぎつけた。

今考えても、このときの会社の判断、対応は素晴らしかったの一言だ。

社会人一年目での強烈な経験は、その後の私の仕事観、人生観に決定的な影響を与えている。

①経済活動だけが会社の存在意義ではない。
②マイペースなどと言っていられないときがある。
③昨日まで元気であっても、人間死ぬときは死ぬ。

一生忘れない出来事。


私からバトンを渡すのはPJ。
みんなの俳句大会音楽•動画担当としてもおなじみ。PJも、のんちゃさんと同じ最初期からのお付き合いで、昨年5月にはコラボをしている。

いつもありがとう。


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