なぜ?はほどほどに。

なぜ?とひとから問われると学習生無力感が生じるのだとか。ほけんだよりに書いてありました。後半に詳しく載せます。

対策書

今日も会社にいるので、
不具合品(不良品)の指摘についてメーカーから連絡があった際、全てではないけどこの

「なぜなぜ」

という自問自答をしなければいけない、という話を。

発生対策と流出対策。

人間のやる事だから、ミスはある。

なぜ、工場の外に出るまで発見できずに流出してしまったか。確認作業が抜けた理由など事細かに書くようです。だいたいはそこに変化点があるんですよね。

わたしが直接書いているわけではなく、隣のデスクで9歳上の課長がせっせと従業員に聞き取りしたりしながら完成させてる対策書の話でした!

お疲れ様です!!

ほけんだより

さて、わたしは子育て中でもあり、会社では会社に従い、家に帰れば学校からのお便りに目を通し、反省するわけですね。

ほけんだよりを子どもからもらい、

先生が"ご両親に知ってもらうのもいいかもしれません"だってー。

という事でその内容を載せさせていただきます。

ほけんだより 6月号

5月号では、「心の健康」教育に取り組んでいること、その中で「レジリエンス」、
逆境への強さを育みたいと考えていること、
それには幸せを感じることが重要であること、人が幸せを感じるには脳の使い方が重要であること、
人は悲観的な感情を強く感じる性質があること、

だから子どもたちには肯定的な言葉をかけることがとても重要なことをお伝えいたしました。

具体的な声かけで、考えていきましょう。もし、子どもが習い事に行きたくないとか、何かの練習をしたくないと、言い出した場合、どのような声かけをするでしょうか?



多くの場合「なぜ?」と尋ねると思います。金沢弁だと「なんで?」となるでしょうか。


「なぜ?」を尋ねると、子どもは行きたくない理由、やりたくない理由をずっと頭で考えることになります。ネガティブな思考を繰り返し、悲観的な感情を何度も体験することになるのです。


「なぜ?」はとても危険な言葉であることを大人は知っている必要があります。それよりも、どうしたらできるのかを子どもと一緒に考え、今の課題が子どもにとって適切なものかを吟味する必要があります。高すぎる課題にチャレンジさせて、できない気持ちを味あわせ続けたら、レジリエンスどころか学習生無力感という、「どうせできない、やりたくない。」という思考の習慣ができてしまうからです。どうしたらできるだろうと、自分にも子どもにも問いかける習慣をつけたいものです。
ほけんだより より

今日もひとつ反省をするのでありました。

おしまい。

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